HOME > 出版をお考えの方へ > 「本を書きたい」人が読むブログ > 小説でもエッセイでも「必修の裏ワザ」
「本を書きたい」人が読むブログ
「本を書きたい!」「本を出版するには?」と思っても、何からはじめたらいいか、わからないことがワカラナイ――という方も多いでしょう。当コーナーでは、小説を書くうえでのポイントや、読み応えのあるエッセイの文章構成、評価される詩の共通点などを、具体的な事例とともに解説。
本になる前の原稿を数多く読んできた文芸社ならではの視点で、あなたの一文が作品に生まれ変わるまでのお手伝いをいたします。

小説でもエッセイでも「必修の裏ワザ」

2016年05月16日 【小説を書く】

作品を読んでもらうことの難しさ

小説なりエッセイなり、自分が書いた作品を人に読んでもらうとき、恥ずかしさや不安を抱くことは当然の心理だと思います。逆にそうした緊張感を失った場合、おそらく作品それ自体のクオリティも同時に低下してしまうはずです。自分自身の手帖やメモ書きはもちろん、オンライン状態で常時つながっているSNSやLINEなど、仲間意識の高い内輪での文章をいくら書いたところで、第三者に読ませる文書の仕上がりが向上しないのはそのせいです。もし、あなたがある文章を「作品」にまで押し上げたいのならば、たとえまだ読者がただのひとりもいなくとも、読み手を意識して創作に取り組むことが必要です。

ただ、考えてもみてください。あなた自身、「本」という形にもなっていない、どこの誰が書いたのかもわからない、また価値すら保証されていない作品を、積極的に読もうとするでしょうか? なかなか難しいでしょう。その感覚は、あなたの作品に対する他者の態度と同じです。インターネット上に未発表作品を公開する場が次々に生まれていますが、未知の読者があなたの作品を読むハードルが下がったわけではないのです。発表することと読んでもらうことのあいだには、深い深い溝が横たわっています。

だからこそ、もしも誰かにパラパラとでもページをめくってもらう機会に恵まれたなら、その初めての読者を容易に手放してはいけません。そして、引き留めるための最大の策は、もちろん作品そのものに仕組まれた「技術」にほかなりません。それ以外の方法で読書を強いられる辛さは、学校に通っていた方ならどなたでもご存じでしょう。書きたいことを書きたいように書いても、ほとんどの場合、それは「読まれる」作品にはなりません。

というのが一般論。けれどせっかくこのページに来てくださった方には、ちゃんとお土産を用意してございます。本稿では、読んでもらうための裏ワザをご紹介します。

裏ワザ「頓絶法(とんぜつほう)」とは

テレビドラマなどでよく見かけますが、壁にドンッと手を突き「おれだって、お前のこと……」と発言を途中で止めるシーンがありますね。刑事モノならば「いますぐ、それをよこせ。さもなくば……」という感じになるでしょうか。重要なことを明示せず、視聴者に想像させる手法です。このテクニック、文章の世界では「頓絶法(黙説法とも)」と呼ばれ、同様の効果を期待して用いられます。

この頓絶法、効果的に活用すれば、あなたの作品のクオリティを確実に数段ステップアップさせてくれます。たとえば、ミステリアスな女性を描きたいならば、その人物にはあまり喋らせないことです。現実でも同じですが、饒舌な人は軽薄に映るものです。とはいえ、なんにも喋らないとなると、それはそれで不気味さが勝ってしまいますから、やはりさじ加減が必要です。また、同じ技法を連発すると、「○○のひとつ覚え」と読者の目には映ってしまいます。

今年(2016年)は夏目漱石の没後100年にあたります。その偉大な先達の著『三四郎』から参照例を挙げてみましょう。


 三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘(ぬかるみ)があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎はこちら側から手を出した。
「おつかまりなさい」
「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりとこちら側へ渡った。あまりに下駄(げた)をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。
「迷える子(ストレイ・シープ)」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸(いき)を感ずることができた。
(『三四郎』角川文庫クラシックス/1951年――青空文庫より)


「三四郎が何か言おうとすると」と、まず頓絶法に近い表現があるのですが、注目すべきは三四郎と美禰子の体が、両者の息づかいが感じられるほどに近づいた際、「迷える子(ストレイ・シープ)」と三四郎にも読者にも不可解な言葉を美禰子が発している点です。この、何とも捉えどころのない雰囲気によって、三四郎および読者は、美禰子という存在に激しい興味を覚えるわけです。たとえばここで美禰子に「好き」と言わせてみたらどうでしょう。それこそ野暮というものですね。野暮なものに人は興味をそそられません。

さらにこの『三四郎』では、上記例文の場面の直後、大学の講義もろくに聴かず、ノートに「stray sheep」とむやみに書きつける三四郎が描かれています。漱石、やはり舌を巻くほど巧いですね。美禰子にすっかり夢中になっている男性の姿を、これほどに品のある形で表現する方法はなかなか思い当たりません。

重要なことをあえて隠す

三四郎は美禰子に恋をしているのですが、美禰子の気もちは三四郎にも読者にもよくわからない書き方がなされています。三四郎に対して好意を抱いているようにも読めるし、年下の男性として可愛がっているだけのようにも読めるし、あるいは弄んでいるようにも読めてしまいます。そのぐらい美禰子の言動は不可解な部分が少なくないのですが、けれども支離滅裂な人物ではなく、読者が彼女をタイプの女性と見るかは別にしても、かなり「気になる存在」として描かれていることは間違いありません。

このように読者に「気になる」と思わせることが大切なのですね。「なぜ?」と思わせることが「先を読みたい!」という読書欲につながるからです。また、重要なカギが隠されていることで、よい意味で読者の期待を裏切って「おもしろい」と感じてもらえる場合も少なくありません。そうした読者の心理をくすぐるために、作品内の情報提供は最初から開けっ広げではいけないのです。

ただし、あれもこれも隠せばよいというわけではありません。ミステリー作品で犯人を隠したまま物語が終わってしまったら、読者は当然怒ります。なかには、あえて曖昧なままに終わらせ、その妙をもって読み手を魅せる作品も見られますが、トリッキーな一手法と見ておいたほうがいいでしょう。まずは、

一日も欠かさず毎日お墓参りをしている人物を描く。
でも誰の墓なのか、なぜそうするのかはすぐに説明しない。

どこでも手に入りそうなノートを大切にしている人物を描く。
でもその理由はすぐに説明しない。

など、主要な登場人物の言動や、物語において重要なポイントをあえて隠す「広範な意味での頓絶法」をマスターし、作品に奥行きをもたせる技術をあなたの筆にしっかりと覚え込ませましょう。