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「本を書きたい」人が読むブログ
「本を書きたい!」「本を出版するには?」と思っても、何からはじめたらいいか、わからないことがワカラナイ――という方も多いでしょう。当コーナーでは、小説を書くうえでのポイントや、読み応えのあるエッセイの文章構成、評価される詩の共通点などを、具体的な事例とともに解説。
本になる前の原稿を数多く読んできた文芸社ならではの視点で、あなたの一文が作品に生まれ変わるまでのお手伝いをいたします。

小説を書きたいなら、心に眠る“物語”に耳を澄ます

2016年06月14日 【小説を書く】

小説を書くための材料は自身の内にある

小説を書きたい、でも何を書けばよいのかわからない――もしかしたら、あなたはそんな思いを抱いていませんか。1冊の本を書くということは、たしかに簡単なことではないでしょう。けれども、あなたのなかに眠っている物語を探し出すことは、それほど難しくはないかもしれません。なぜなら、誰もが自分のなかに“物語”をもっているはずだからです。仏師が木のなかに彫られるべき仏像が眠っていると考えるように、あなたのなかにも語られるべき“物語”が存在しているのです。

幼い日に聞かされて根づいた“物語”

『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェルは、南北戦争を巡るむかし話を周囲の人々から繰り返し聞かされて育ちました。彼女が幼いころにはこの戦争を戦った老兵が存命していて、祖母からもアトランタ陥落や北軍の侵攻、飢えや略奪について問わず語りに耳にしていたのです。家のポーチで、食事の席で、老兵の膝の上で――。そして、いつしか当時の出来事はミッチェルのなかで自分が体験したことのように生きはじめたのです。のちに夫に小説を書くよう勧められたとき、南北戦争を背景としてその激しい時代を生き抜いた人々を描くことしか考えられなかったとミッチェルは語っています。じっさい、彼女はその生涯でこの長大な小説1作しか発表しませんでした。あまりにも目覚ましい成功をおさめたため、その対応に追われたり次作に自信がもてなくなったり……という理由もあったようですが、この小説でミッチェルは自分の書きたいものをすべて書き尽くしてしまったと推察することもできます。幼き日々に刷り込まれた南北戦争の話は、彼女にとって血肉のように自身の体を形づくっている物語であったはずなのですから。

“初恋”の物語の奥に秘められた素材

伊藤左千夫の『野菊の墓』とツルゲーネフの『初恋』はいずれも自伝的な作品と言われており、同様に“初恋”をテーマにしてはいるものの、物語のソースはいささかの違いがあるようです。『野菊の墓』は歌人・伊藤左千夫の初の小説作品で、自身の少年時代の淡い初恋がベースになっていると言われています。一途で純粋な恋心ほど、少年の日の記憶に鮮やかに刻まれるものはないのでしょう。いっぽうツルゲーネフの『初恋』では、少々複雑な人間関係のなかに恋を描いています。主人公ウラジーミルが恋するのはジナイーダというロマンスの絶えない女性なのですが、こともあろうかウラジーミルの実父が彼女と密通していたのです。そしてそのモデルが、なんとツルゲーネフの実父であったと伝えられています。そもそもツルゲーネフの両親の結婚は馴れ初めからして金銭絡みであったため、年上の妻に冷淡であった父は家の外に恋愛相手を求めていたようです。作中、ウラジーミルの父は臨終の床で「女の愛を恐れよ、この幸福を、毒を恐れよ」(『初恋』岩波書店/1960年)という言葉を残します。この名言もツルゲーネフの父が彼に折に触れ語った言葉であったといいます。それを息子に言ってしまう親も親なら、それを聞かされる苦悩を作中に織り込んでしまう息子も息子で、さすがに文豪の親子というのは常人の理解を超えた感覚をもち合せているものです。

ほんとうに書きたかったのは、自伝的小説

アメリカの小説家ロバート・R・マキャモンは、作家になりたいと早くから志を抱き、ホラー小説で頭角を現しついにミリオンセラーを飛ばす人気作家となりました。しかしあるとき突然、それまでのモダンホラーから普通小説へと転向しました。そうして書きあげたのが『少年時代』という小説です。殺人事件に遭遇する設定こそ用意されていますが、物語には(ホラー作品からすると至って平凡な)友情や初恋、挫折や冒険など少年期への郷愁がちりばめられています。吸血鬼が跋扈(ばっこ)する小説を書きながらもマキャモンの胸にいつまでも生きつづけていたのは、南部の田舎町で暮らした少年時代の思い出だったのでしょう。モダンホラー界での地位を不動のものにしたその絶頂期を経ても書かずにはいられなかった少年の日の思い出、それこそがマキャモンの真実の物語であったのでしょう。

カタルシスを求めて溢れ出す経験譚

詩人・萩原朔太郎の長女・萩原葉子はじつに数奇な幼少時代を送りました。祖父の命で結婚した父・朔太郎と母は、ふだんから他人のようによそよそしく振る舞っていたようです。母は子どもたちすら顧みずやがて出奔。葉子らは父方の祖父母の家に引き取られましたが、嫁を憎む祖母からは一片の愛情も与えられず虐待を受けつづけます。高熱を出しながら放置されたために脳に障害を負った妹とふたり、辛酸を舐めつくしたこの日々の体験はのちに『蕁麻の家』という小説になり、葉子は文壇で高い評価を受けることになります。しかし、彼女はこの小説に恨みつらみを吐き出したわけではありませんでした。ただただ、自分のなかで苦しみと辛さの記憶とともに生きつづけた物語を書かずにはいられなかったのです。後年、葉子は過去を淡々と振り返り、あのような体験を経ていまの自分があると語りました。自らの経験を乗り越えカタルシスを得たからこその言葉であるでしょう。

自分のなかにある物語はあなたにしか書くことができません。目を閉じて追憶のページを開き、あなたのなかに眠る物語を掘り起こしてみましょう。最初こそ小粒の種と思えるかもしれないある日の物語が、いつの日かあなたを小説を書くための一歩へと導いてくれるかもしれません。