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「本を書きたい」人が読むブログ
「本を書きたい!」「本を出版するには?」と思っても、何からはじめたらいいか、わからないことがワカラナイ――という方も多いでしょう。当コーナーでは、小説を書くうえでのポイントや、読み応えのあるエッセイの文章構成、評価される詩の共通点などを、具体的な事例とともに解説。
本になる前の原稿を数多く読んできた文芸社ならではの視点で、あなたの一文が作品に生まれ変わるまでのお手伝いをいたします。

「古き」を知り「新しき」を語る

2016年11月02日 【作家になる】

「古いもの」のなかにある「本物」を探す

「温故知新」とは誰もが知る言葉ですが、実際、古いものとの接点において、私たちはしばしば新しい視点や発見を得ることがあります。ここでの古いものとは、先人の技術や知恵で研磨された伝統と呼ばれる事物、いにしえの文化や歴史、骨董や美術品、悠久の時間が生み出す自然造形物……とさまざまありますが、共通しているのは、いずれも完成された「美」を具えていることではないでしょうか。

古いもののなかには、〈かつての“現在の”時間〉が層になって堆積しています。長いときを経て失われることなくいまに伝えられるそれは、いわば「本物」と呼ぶものです。つまり、古いもの、すなわち本物に触れて新しきを語ることは、独創性というものが、「基本」の徹底的な反復によって培われるのにも似ているかもしれません。これは文芸の道において、魅力的なエッセイを書く、小説を書く――でもまた然りといえるのではないでしょうか。

大切なのは、自分の「ものさし」をもつこと

目白で骨董店・古道具坂田を営む坂田和寶は、知る人ぞ知る骨董界のカリスマです。骨董といっても、評価の定まった品ものを商うわけではありません。大正期に柳宗悦が民芸運動を提唱し、それまで誰も目を留めなかった日常雑器に「美」を見出したように、千利休が欠けた茶碗やゆがんだ壺に侘び寂びの情趣を捉えたように、坂田はこれまで見過ごされてきた道具や器に、「新たな美」を見出しました。それは韓国の屋根瓦であったり、アフリカの部族の生活用具であったり、無名の人物が残した手紙の束だったりと、時間も地域性も相当の幅をもった「美」です。
坂田の著書『ひとりよがりのものさし』では、彼の独自の眼と自由な感性の「ものさし」によって選ばれた品々が、斬新な美の世界を繰り広げています。

西洋の美術は、あの乾燥した地中海の強い光の中でこそ成り立つもの。湿気の多い日本の、障子を通した柔らかい光の中ではトテモ、トテモ。日本で国宝や重文になっている様な茶碗を、地中海の乾燥した強い光の中で見ると(略)汚い。そしてその茶碗を僕達の、四季のある、湿った、障子を通した柔らかい光の中で見ると何んとも美しい。

美しさは知識からは見えてこない。自由な眼と柔らかな心がその扉を開く鍵らしい。(略)僕はせいぜい寝っころがりながら、自分のモノサシに油を塗り、使いこんで柔らかくして、何んともない身のまわりの工芸品から美しいものを選択して行こう。それは又、自分自身を確立し、歩こうとする道を明らかにすることでもあるはずだ。
(坂田和寶『ひとりよがりのものさし』新潮社/2003年)

古道具坂田の古道具は、斬新な美しさ、モダンな感覚、そして温かみに溢れています。坂田は、美しさを見出すのに「知識」は必要ないと語っています。しかし、厳格な美意識の目盛りが刻まれたその「ものさし」こそ、坂田自身の骨董遍歴、数多の〈古いもの体験〉によって研ぎ澄まされた、彼の「知」そのものであることは間違いありません。彼が著書に綴る言葉は、ものを「見る」ことのみならず、ものを「書く」のにも充分に役立つ、読者それぞれの「ものさし」を手にする助けとなることでしょう。

伝統芸能が生み出す、斬新で深遠な「美」の世界

いまや日本の伝統芸能に親しむ人は、どちらかといえば少数派であると思われますが、脈々と受け継がれ厳しい修業なくしては成り立ち得ない「芸」には、時代を越えて訴えてくる美と玄妙があります。

維新の元勲となった旧薩摩藩士の祖父をもつ白洲正子が能をはじめたのは4歳のときでした。習わされたのではなく、初めての能舞台に魅せられてみずから望み、稽古を重ねて女として初めて能楽堂の舞台を務めるまでになったのですが、女に能は舞えないと悟ってやめたのは能稽古50年ののちであったといいますから、この世界の深遠さは推して知るべきでしょう。

お能は難しいものではないし、知識で固めるものでもない、見て何かしら感じるものがあればそれでいい。

白洲の上には京都特有の時雨がときどき音を立てて降り注いでいました。ふと気がつくと、いつのまにか舞台の上に美しい女があらわれている。むろん顔なぞ見えるはずはなし、上手下手かもわからない。ただ、白い雨足を通して、水の上にぽっかり浮かぶ蜃気楼のような舞台の上で、軽やかに袖をひるがえしているのが、美しくて、目が放せないのでした。
(白洲正子『お能の見方』増補改訂版/新潮社/1993年)

白洲正子の名著といわれた『お能の見方』は、「見る」ことの本質を教えてくれます。「見る」という行為は、ただ姿形を捉えるだけではなく、その内側にある骨格や精神性、呼吸までをも感じとること――そんなふうに粛然と思い至らせてくれるのです。後年、白洲正子は老いて視力を失った能役者・友枝喜久夫の舞台を見て、美の真髄に身体が震えるほどの感動を覚えたと語りましたが、それは、精進しつづけ磨き抜かれた芸のみが現出せしめた、まさに新しい世界ではなかったでしょうか。

新しい物語を書くために

半生を費やして地中海世界の歴史と人を描いてきた歴史作家・塩野七生は、NHKドキュメンタリー『100年インタビュー』に答えて、「混迷状況の日本の未来像は、どう描けばよいのか。そのヒントが、民族や宗教の違いを乗り越え1000年の繁栄を築いた古代ローマや、徹底した現実主義で中世を生き抜いたベネチア共和国にある」と語りました。
新しい時代、新しい物語――それらは、古いもののなかにこそ見出せるのかもしれません。「古きを知る」ことは、あなたが作家になるための一要素として重要だといえそうです。