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宇宙は作家の心を磨く

2017年05月31日 【作家になる】

星々の世界に魅せられた偉人たち

宇宙。見上げれば目にも映るのに果てしなく遠く、地球上の「世界」という語が示す限定的な“ここ”とはまったく別の、無限の広がりを見せる“どこか”の世界――。星々の煌めく、神秘的でミステリアスな未知の魅惑に満ちた宇宙は、人々を惹きつけてやみません。

「真砂なす数なき星の其の中に吾に向かひて光る星あり」
と詠ったのは正岡子規ですが、星空に魅了されるのは作家や学者たちもまた例外ではありません。しかしながら、「ロマンティックな星空だね」「そうね……」と、うっとりした眼差しでふたり肩並べることを夢想しがちな私たちと偉人が決定的に違うのは、その尋常ならざる徹底した傾倒ぶりです。一般人が天動説よろしく自分たちを主格に据え、夜空をあたかも演出装置と捉えるのとは逆に、その世界の“本物”たちは、天に浮かぶ星々をこそ主格と捉え、暗い雲間に煌めきを探します。地球を含む星々を抱く宇宙には、叡智を秘めた深遠な思想があり、人間の姿や歴史を映しだす学問の土壌がある――そう信じ、終わりのない時間を費やして「存在」の意味を探究しつづけていた彼らの姿を見てみましょう。

オリオン座を愛する「星の和名」命名の父

日本で「星」にまつわる学問といえば、すぐにその名が結びつくのは野尻抱影(のじりほうえい)でしょうか。20世紀初頭まで、日本では星に統一された和名がなく、星にまつわる固有の伝承などもないと考えられていました。当時、学習書の編集者であった抱影は、この通説に疑問を抱き、全国に呼びかけて星の和名収集を始めたのでした。その結果、膨大な数のデータが蓄積され、星の呼び名や民話伝承の地域性・連関性が明らかになり、体系立てた論としてまとめるまでに至ります。抱影が彼だけの二つ名のごとく「天文民俗学者」と、あまり聞き慣れない肩書で呼ばれる所以です。

土星は、この夏も南の山羊座にいて、どんよりと憂鬱なモノクルを光らせている。まったくあの星の表情は昔の星占いや伝説を聞くまでもなく、誰の目にもグルーミーである。けれど、一度小さい望遠鏡でも向けると、彼はたちまち、その憂鬱さを捨てて、星の世界にもこれ一つきりの奇観を見せてくれる。
(『野尻抱影 星は周る』平凡社/2015年)

抱影の星に対する愛情を説明するには、「魅せられた」というような情緒的な表現よりも、「好きで好きでたまらない!」「四六時中目が離せない!」と身をよじって思いの丈を表すような生(き)のままの言葉が似つかわしいでしょうか。少年時代から夜な夜な星空を仰ぎ見た抱影の、もっとも愛した忘れがたき星の姿――それは、オリオン座でした。中学時代、修学旅行のさなか急病に倒れた抱影少年が、病室の窓からひとり見つめた星です。

何も知らずに産声を挙げた夜にも、あの雄麗な宝玉の図は屋根の上の空に描かれていた。そして、やがて柩に釘の響く夜の空にも、あれそっくりの天図は燦爛(さんらん)と輝いている。
(同上)

毎夜のように星を眺める人生を送った抱影は、1977年に世を去ります。10歳以上歳の離れた末弟の大佛次郎より長く生き、当時の平均寿命を遥かに超えた92歳という長命でした。オリオン座に対し終生ひとかたならぬ愛着を抱いた天文民俗学者が、ポリネシア人に倣って、死んだら行きたい星として挙げたのもオリオン座でした(ポリネシア原住民は死の床で死後に住みたい星を指さすという)。こんな言葉を残し抱影は星となりました。
「ぼくの骨はね、オリオン座の右端に撒きなさい」。

宇宙を凝視し「存在」を思索しつづけた埴谷雄高

小説家・思想家の埴谷雄高は、大長編小説『死霊(しれい)』を50年間書きつづけ、構想上の10章に及ばず9章まで書き上げたところで他界しました。「生と宇宙の謎をとくために、われわれは生まれさせられた、と。文学が発生するっていうのはそういうことなんですよ」と語った埴谷。その言葉の先にあるものこそが畢生の一作『死霊』、そして、宇宙のインフィニティと星の夢想であったと思います。既存の小説とは異質の世界を開いてみせた思弁小説『死霊』において、埴谷が追究しつづけたのは“存在”ということの意味。そのなかに、宇宙論がもち上がります。

膨張宇宙といっても寿命は数百億年。無限に比べれば瞬間にすぎない。さらにさらに瞬間にすぎない人間が現宇宙の数百億年を超えた無限大に向わなければ、精神の徹底性はない。
(埴谷雄高『死霊V』講談社/2003年)

あたかもブラックホールのごとき深淵に我が身を沈めて存在とは何かと思索し、『死霊』という異形の小説の執筆に半生を懸けた埴谷雄高。しかしそんな埴谷にとって、宇宙とは、しかつめらしく向き合わねばならない対象というわけでは決してなかったようです。野尻抱影がオリオン座なら、埴谷雄高はアンドロメダ星雲。欲しいものは何かと問われ「暗黒星雲」、好きな職業は「宇宙占い師(そういう職業があるとして)」と答え、作家はオペラグラスでアンドロメダ星雲を眺めるのを夜毎の日課としていたのでした(埴谷の命日は「アンドロメダ忌」と命名されている)。

私にとつて、宇宙旅行という微妙な陰翳に富んだ言葉の響きは、ただに惑星間ばかりでなく、私達の太陽がそこを走つている銀河星雲の一本の腕のはしまで航行してゆき、さらにそこから向うの暗黒の空間に私達の双生の兄弟のごとくに壮麗に旋回しているアンドロメダ星雲目指して飛んでゆく星雲間飛行にまで達しなければ、充分に言い表されたものとはいえなく(中略)私達が私達の「宇宙旅行」で何事かをなし得る空間は、宇宙について何かを想像し、精神の不思議な広大さを覚えるものが深い悲哀の苦痛を感ずるほど、狭く、小さいのである。
(埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』現代思潮社/1975年)

文章を書く……とその前に、星々と交感してみよう。

この『不合理ゆえに吾信ず』の一節は、埴谷雄高のアンドロメダへの愛と畏敬を示すものであり、また、宇宙のなかに存在する人間が受け取るべき示唆に富んだメッセージと読むこともできます。鼎談の場で「老年の革命と創造」について熱く語った埴谷雄高は、老いてなおエネルギーに満ち満ちていました。思えば、野尻抱影のみならず、幼時から虚弱を案じられた埴谷雄高も、開けてみると90歳近い長寿を全うしています。いやそれどころかガリレオ・ガリレイだって、16〜17世紀の人間としては驚くべき80歳に手が届くという長命を誇ったのです。もしや、星との交感作用が長寿をもたらす?―――そうした空想を巡らせることも、夜空を見る楽しさではないでしょうか。

こうした空想を、絵空事と片づけてはいけません。ひょっとすると、宇宙が等しくすべての人々に放っている未知のパワーを否定してしまうことこそ、常識に囚われ柔軟性を欠いた思考地帯の死角への入り口に立つ行為といえるのかもしれません。宇宙には、神秘の輝きが照らしだす文章がある――作家になりたいならば、星々の瞬く夜にはそんなふうに思索に耽って、ひとり静かに紺碧の空を見上げてみるのも一興です。あなたの文章を煌めかせる、ちょっとした転機が訪れないとは限りません。

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