沖縄米軍基地での教育体験
琉球・日本の伝統文化を伝えて
沖縄戦を生き延び、米軍基地初の日本語教師になり、
日米の架け橋となった女性の生涯。
沖縄戦をなんとか生き延び、「お金さえもらえれば、占領軍の基地で働くのもいとわないオキナワン!」と罵倒されながらも、基地で初めての日本語教師となり、日米の架け橋となるべく奮闘。アメリカンスクールの教師としての生きがいと、基地反対の強い意思。この相反する気持ちに心が引き裂かれそうな日々の中で、揺るぎない「自分のアイデンティティ」を確立した女性の生涯。