小嵐九八郎の書評コーナー
いろの辞典 改訂版
小松奎文

ISBN:4-8355-1499-8
定価: 2,700円 (本体 2,500円)
 いわずとも、性こそは人類最大のテーマ。なんだかんだ言って、コレへの力が失 せることは、即、人類の破綻に行き着く。ユダヤ人の知恵の粋であり、クリスチャ ンが『旧約聖書』と呼ぶ聖典は、のっけの「創世記」からアダムとエバの罪と羞恥 心を説く。中国の古代思想家・老子は「谷神は死せず、是を玄牝(げんぴん)と謂 う。玄牝の門、是を天地の根と謂う」として、万物生成の無限の働きを女性器の素 晴らしさと神秘性に求めている。いつの時代も「常識」、というわけだ。
 “玄牝の門”とは、つまり、女性器。『般若心経』の「色不異空。空下異色。色 即是空。空即是色」の“色”とは物資的現象であろうから、性も当然のごとく含ま れ、大乗仏教の“空”の哲学の至高の壁であった。日本で、この教典が綿々と尊ば れてきた根拠は、僧侶のみならず庶民が常に欲して悩んできた課題に正面からぶつ かり、回答を与えているような、与えていないような、読み手聞き手が中身を膨ら ませることができたことにあろう。
 この意味で、この辞典を編し著した小松奎文さんは、「いろ」の研究に20年を費 やしてきたわけで、素直に頭を垂れるしかない。
 性というのは、まず、わくわくしながら好奇心を拡げていくことが大切。それは 、ロマンと言い表してもいいだろう。青少年にとってはこれが決め手であるわけだ が、この辞典は、まずこの想像力を刺激するおどろおどろしさにおいて豊かである 。
 おれの場合は、いまから45年前の10歳ごろ、普通の国語辞典で「陰部」とか「性 交」とか「愛撫」といった言葉を引き、空想力を国語力とともに高めていった、な に、3つ年上の姉もそうしていたのを盗み見たことがあり、男も女も変わりなかろ う。
 小松さんの辞典では、もっと青少年の夢を羽ばたかせる語彙と解説にあふれてい て、羨ましい。例えば「せっか【折花】=女性の初交」「はたおりひめ【機織女】 =紡績や機織り工女の売春婦」などは歴史に裏付けられて想像力を掻き立てられる し、「こしけ【腰気・白帯下】=女性器から分泌される生理的な液体」に至っては 匂いまで想像できそうな表現。文字通り、子どもたちが健やかに大人になれる道を 準備してくれる。自分の息子や娘の性教育に手を焼く人は、この辞典を子どもが手 に取りやすいところに置いておくという方法はいかがか。国語の本当の意味で成績 が上がるのは保証できる(?)。
 この辞典を傍らに、青少年がボッカッチョの『デカメロン』、大江健三郎の『性 的人間』、野坂昭如の『エロ事師たち』を読破する日を、活字信仰者のおれは夢見 る。家庭の医学辞典と同じで、各家庭がこういう本を1冊持つべきだと結論したい 。検討されたし。
 書評家プロフィール
小嵐九八郎
(こあらし・くはちろう)
作家・歌人
1944年秋田県能代市生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。通算で5年余り刑務所生活を送る。小説『刑務所ものがたり』(文藝春秋、吉川英治文学新人賞受賞)、『癒しがたき』(角川書店)他。エッセイ『蜂起には至らず』(講談社)など。歌集『叙事がらりや小唄』(短歌研究社)他。近著に、小説『ふぶけども』(小学館)とエッセイ『妻をみなおす』(ちくま新書)がある。
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