HOME > 出版をお考えの方へ > 「本を書きたい」人が読むブログ > 原初的な食体験から冒険がはじまる
「本を書きたい」人が読むブログ
「本を書きたい!」「本を出版するには?」と思っても、何からはじめたらいいか、わからないことがワカラナイ――という方も多いでしょう。当コーナーでは、小説を書くうえでのポイントや、読み応えのあるエッセイの文章構成、評価される詩の共通点などを、具体的な事例とともに解説。
本になる前の原稿を数多く読んできた文芸社ならではの視点で、あなたの一文が作品に生まれ変わるまでのお手伝いをいたします。

原初的な食体験から冒険がはじまる

2016年12月22日 【作家になる】

食とは“食べること”のみならず

“食”にまつわる懐かしい記憶をもつ人は少なくないでしょう。決して上等な材料ではないのに、手の込んだ料理でもないのに、舌と心に刻印されている、あの味覚です。温度感や香りさえ呼び覚ますような、食にまつわるワンシーン――。18世紀フランスのモラリスト、ヴォーヴナルグは「偉大な思想は胃袋から生まれる」との言葉を残していますが、まさしく食とともにある記憶のひとつひとつは、料理人の原体験などには留まらない、いわば物語のプロローグ。本を書きたいあなたを果てしない旅へといざなう、目覚めの瞬間でもあるのです。

食のハンターを冒険に駆り立てる日本の食文化

「味覚人飛行物体」という異名をもつ農学者・小泉武夫は、その名に恥じず、世界各国を飛びまわり、種々の虫から世界一臭い缶詰まで、およそ霊長類ヒトが食べられるものはすべて口にしたといっても過言ではない「食の冒険者」として知られています。専門の発酵学・醸造学への造詣は、福島県の酒造元に生まれ、家業の命ともいえる“発酵”を日常的に体感しながら育った彼の必然かつ運命的進路であったのでしょう。食を探究しつづける彼の著書を読むと、“発酵”とは、最も古く伝統的な食の基本であり、この基本のメカニズムが奥深いがゆえに、食の冒険の地平は限りなく広がっていくのだとわかります。巨大なクモをサワガニに似ていると旨そうにシャリシャリ食べるからといって、それはゲテモノ嗜好や色モノ扱いされる類の話ではなく、発酵にはじまった食文化の実地研究の一環に違いないのです。

冷奴には好みにもよるが絹ごしがよく、冷水をたたえたどんぶりに入れて氷塊を浮かせ、青ジソ、さらしネギ、おろししょうがなどを薬味に、できれば青ユズの香りを添えながらしょうゆに少量の酒を割って、これに削りたてのかつおぶしをまいたものなど、素朴にして美しく、まさに日本人好みの食べものといえるものである。
(小泉武夫『日本の味と世界の味』岩波書店/2002年)

この一文のように、そんな小泉に日本の食文化への深い愛着があることは見逃せないでしょう。きりりと爽やかな季節の香りや、日本独特の旨みをまとった、ごくシンプルな料理。それは、ありとあらゆる世界の伝統食・発酵食を喰らい尽した「発酵仮面」(また別の異名)小泉が、繰り返し戻っていく郷愁の一皿であるのかもしれません。

異能・多才な通人の心に眠る味覚のポエジー

作家・エッセイストの勝見洋一は多方面において博覧強記の通人です。老舗骨董商の長男として東京は港区に生まれ落ち、若いころから一級の美術・古美術鑑定眼を持ち、音楽やオーディオ機器に通じ、国内外の食文化の方面では玄人はだし、料理の腕はプロ並み、本場のソムリエコンクールの利き酒で優勝するなど、専門家を4人も5人も合わせたような多才ぶりには驚くばかりです。満漢全席の起源や宦官料理の歴史を考察し、広く日本に紹介することに寄与した『中国料理の迷宮』は、サントリー学芸賞を受賞し中国通としても知られる彼の集大成的1冊となりました。
しかして「通」「粋」「知」をセットでそろえるかのような勝見ですが、少年期の味覚体験を語って、思いがけずドキリとさせるイノセントな空気感を醸す一文があります。

チョコレートを食べて子供のころの味覚を取り戻したいと期待するときがある。
自分の体の中に確かにあった、三まわりも四まわりも小さい、かつての自分の人体を感じたいのだ。
甘いチョコレートを食べる。
すると体の中のもっと小さな自分も「おいしい」と呼応する。その声をいつまでも聞いていたい。
(勝見洋一『ラーメン屋の行列を横目にまぼろしの味を求めて歩く』朝日新聞出版/2009年)

郷愁的な味覚とは、慣れ親しんだ味の記憶に限らず、幼い日、若い日の自分の姿とそのまわりの風景を伴ったものでもあるのかもしれません。そういえば檀一雄の『美味放浪記』には、ふと目を留めて風景を思い描いてしまうような、さりげなくも印象的な一場面がありました。それは、戦前の旧満州に渡った檀が朝鮮民族居住地で目にした光景です。

“食”にはじまる冒険とは知的快楽を求める旅

早春の春の草を摘みにきたのは、ロシア人だったためしは一度もない。中国人でもない。日本人は、私をのぞいて、ただの一度も、見かけたことはない。いつも、きまって、チマ、チョゴリをまとった韓国人の少女達であった。手に籠を持ち、浅いゴムの靴で、彼女たちは三々五々、そのチマ、チョゴリを春風にひるがえしながら、何を摘むのか、夥しい春の草を、摘んでいた。
(檀一雄『美味放浪記』中央公論新社/2004年)

世界を放浪した檀一雄。浅い春の新鮮な空気が感じられるような風景は、大陸的な大らかさを具えながらただ美しく、冒険の旅路に現れる未知の魅惑を予感させるようです。

“食”とは、栄養を摂取し美味を求めるだけのものではありません。本を書きたいあなた。忘れがたい味の記憶を思い起こしてみてください。鮮やかな味覚体験に根差すその風景には、冒険のはじまりとなるさまざまなエッセンスがちりばめられています。“懐かしい味”の先にあるのは、美食を求める旅、食文化を学ぶ道、あるいはクリエイションを磨く挑戦でしょうか。いずれにせよ、作家になりたいあなたにとっては一層、限りない可能性を秘めた大切な記憶であることは間違いありません。