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当たり前ですけれど、乳幼児が読む絵本をつくるのは、おおむね大人です。なぜでしょう、なぜ当たり前なのでしょうか? 大人顔負けに、やたらと絵の巧い青少年だっています。それなのに、なぜでしょう? 絵の巧い子どもが描いたって、年端もいかない幼児や赤ちゃんが喜ぶ一作ができあがることだっておおいにあり得ます。けれど、そうしたケースはほとんど見られないのです。なぜ──大人なのか?
要するに、一作の絵本を描きあげるには、大人ならではの資質が必要だということなのでしょう。絵を描くための資材の調達や選定、企画立案と実制作、関係各所との連絡や調整……エトセトラ。書店に並ぶ書籍として望ましい形に仕上げるためには、また絵本作家としてプロであるためには、描画技術だけではない“仕事”が山ほどあるわけです。いやはや大人でさえ、ひとりですべてこなした例は稀かもしれません。それに、乳幼児に何を読ませるべきかという、適切な創作意図やテーマ設定だって欠かせません。アイデア出し、原案、プロデュースの類に特化した人の力が必要になることだってあるでしょう。それぞれがそれぞれの分野で力を発揮し、役割分担しながらチーム一丸となってつくりあげる製作方法を採ることが、商業路線にのせる絵本の品質を担保しているのです。ちょっと乱暴なまとめ方になりますが、テキストのみで構成される文芸作品と違い、絵を伴ってはじめて成立する「絵本」というジャンルに関しては、担当編集者や出版社の役割が段違いといえるのかもしれません。
しかしです。“大人であること”だけでは当然足りません。相応のプラン、ありきたりの発想のみで構成された絵本や童話は、一見子ども向けだけれど、味も素っ気もない行政発の道徳マニュアルみたいな作品になりがちです。逆に児童心理に寄り添おうとしても、子どもの気もちをなぞるばかりの作品で終わってしまうこともままあります。大人の思考や考え方が空まわりするだけの、当の子どもたちはキョトンと目を点にしたまま本を閉じてしまうような……。絵本作家や童話作家を目指すなら、そんなエセ絵本で自己満足に帰結してしまうなりゆきには注意しなければなりません。そのためには、そう、大人の資質や技術に加えて、もっと大切な“アレ”を注入するということが必要です。それすなわち、自分のなかに眠る「幼子」です。
詩人にして、名作絵本を数多く世に送り出した絵本作家でもある谷川俊太郎は、あるインタビューに答えてこのように話しています。
「僕は人間の年齢って、木の年輪みたいなもんだって思う。たとえ70歳くらいのじいさんでも、切ってみると真ん中にちゃんと赤ん坊時代の自分がいる。でもその自分の赤ちゃん部分をいかにして掘り起こすかっていうのは、結構大変な作業なんですね。自分でも抑圧してるわけだから、ちょっとアホみたいになんないと出来ない」
真実を詩人の調べで語る目からウロコの至言です。赤ちゃんの気もちになる──のではなく“自分のなかの赤ちゃん”に出会うこと。アホみたいになってそれを掘り起こすこと。これが何よりも大事だと谷川俊太郎はいいます。そんな名匠による世の赤ちゃん垂涎の作品を挙げるなら、たとえば『まり』(絵:広瀬弦/クレヨンハウス)があります。まりが擬人化され、飛んだり跳ねたりどこかへ落っこちたりする様子が描かれているこの絵本に、もう赤ちゃんは釘づけ。『ふたり』(絵:中辻悦子/クレヨンハウス)は、カラフルなマッチ棒のような「ふたり」が向かい合って謎のあいうえお言語で会話するお話。そして、初版1977年の『もこ もこもこ』(絵:元永定正/文研出版)は、およそ半世紀にわたり無数の幼児を魅了しつづけ、とうのむかしに150万部を突破していまもなお人気絵本の第一線に立つロングセラー。もこもこにょきにょきとふくれあがってくる不思議な物体が弾ける様子が描かれています。谷川俊太郎が「自分の赤ちゃん部分」を掘り起こして創作したこれらの絵本は、ただオノマトペを並べてみた、という単純なつくりでは決してありません。そこには、赤ちゃんの感覚を刺激し弾ませる、シンプルでいて無限の自由さをもった「物語」が存在しています。これぞ、自分自身の裡にひっそりと眠る幼子に出会えばこその成果といえましょう。
さて、前出『もこ もこもこ』をはじめ、多くの作品で谷川俊太郎とタッグを組み絵を担当してきた元永定正には、『いろながれて かたちうごいて ぱぴぷぺぽ』という創作絵本があります。これこそは、画家である元永定正の面目躍如たる一冊。予測できない奔放な色の流れをさまざまに描いたイラストは前衛絵画さながらの気配を漂わせます。そのくせ、赤ちゃんが思わず目を瞠るであろうことは、あいうえおのリズムが流れるがごとく、弾むがごとく息づいていて、愉快なような、ちょっと怖いような、怪しげで独特の不思議な世界が描かれているからです。この絵本に元永は次のような言葉を添えています。
色が流れる、いろいろに流れる。色の流れは地球の引力、人の知恵では計れない。流れの中にかたちを描いた、時には大きく、時には小さく、わたしのかたちは変化する。流れたかたちと、かたちのかたちが絵本をつくる。七五の調べで、時間が動く。
極彩色、黒、フリーハンドで引いた細くいびつな線、絵の具をチューブから押し出したような線。水に滲んで色が流れていくなか、風に揺れるカーテンのように色が踊るなかを、いくつもの謎の物体が遊んでいます。「流れたかたち」「かたちのかたち」。「形」というものが固まって変化しないものと誰が決めたのでしょう。「わたしのかたちは変化する」という発想こそ、既成概念、固定観念をもたない幼子のそれ──なのです。「ぱぴぷぺぽ」に意味がある? いいえ、大人の考えるような意味はないでしょう。ただ、色が流れ形が動くところに発せられる音のひとつが、なんとなく「ぱぴぷぺぽ」なのです。
大人も子どもも動物も、その他もろもろ森羅万象が呼吸するこの世界は、色にあふれ、音にあふれ、匂いにあふれ、多種多様なモノにあふれています。幼子は、それらをどのように目に映し、どのように感じているのでしょうか? 絵本作家になりたいのなら「大人だからわからない」なんてことは口が裂けても言ってはなりません。絵本や童話を出版したいと願う大人は誰もが、例外なくかつて赤ちゃんでした。赤ちゃんであったころの気もちも、感覚も、大人になれば誰だって忘れてしまうでしょう。けれど、それは失われたのではなく、あなたの心の奥底や五感の記憶に、密やかに眠っているのです。それを掘り起こして正面から向き合うことが、幼子を純真な笑顔でほころばせる絵本を創作する確かな一歩になるでしょう。
自分のなかの赤ちゃんに出会うのは難しいですか? それは、そうでしょう。谷川俊太郎をして「大変な作業」と言わしめているのですから、難しいのは当たり前。けれど、幼い子どもが目を輝かせる絵本を出版したいと強く思うなら、ぜひ試してみてください。記憶を探るのではなく、“こと分け以前”の無垢な感覚を思い出して……たとえば、ものすごく冷たい水に手を差し入れてみたとします。「冷てっ」「痛っ」と手を引っ込めたのは、大人のあなたです。あなたのなかの赤ちゃんなら、どうです? 驚いて、目を瞠って、水のなかに、とても小さなたくさんの“何か”がいる、なんて思うのではありませんか? ほら、それが「赤ちゃん」発見。絵本を描くための、別の世界が見えてきた気がしませんか?
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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