本を出版するなら──文芸社「出版」のこと、気軽にご相談ください。
0120-03-1148
通話無料(受付時間:平日 9:30〜18:30)
Blog
想像してみてください。作家になりたいと志すあなた──書いてはああダメだと挫折し、また書いて、いつ終わるともしれない長く報われない日々、それでもいつか認められると信じて、努力を怠らず作品を書きつづけたあなた──がいるとします。苦節の末、ついに受賞の栄に浴しデビュー作が出版されることになった……。これほど感慨深い経験はおいそれとあるものではないでしょう。初の出版を前におそらくあなたは、栄えある自身の作品をもう一度見直します。そうして、よしこれで完璧だと確信したときに、完成稿にもうひとつ“想い”を重ねてみたくなるかもしれません。たとえば「献辞」。本の巻頭の1ページを使って、「○○へ捧ぐ、感謝を込めて──」などと、執筆の裏話のごとき感謝や愛、あるいは追悼の意を込めて著書を捧げる辞とした一文です。まさに、書籍完成の最後の一筆であり、これを記すあなたの胸には苦難の日々が去来し、それを乗り越える力を授けてくれた○○氏への感謝の念が感動とともに溢れているはずです。
そしてもうひとつ、同じく巻頭に掲げられるのがエピグラフです。題辞とも言い換えられるこの短文は、読み手を本編へといざなう【序】の役割があり、引用文、詩歌や聖書の一節などが引かれることが多いようです。エピグラフ(epigraph)とは、字義的にはもともと「……の上に書かれたもの」の意で、石碑などに刻まれた「碑文」や「銘文」を指します。それが転じて読者に対してこれから展開される物語のテーマや思想のヒントを与える役目を負い、小説の各章や冒頭、映画のはじまりなどに配置されるようになりました。そこに何を書き込むかはもちろん献辞以上に自由です。著作権に注意する以外、何をどう用いなければならないというような決まりはありません。作品全体を象徴するような箴言はもちろん、執筆の起点となった文献に見られる言葉、なんなら「なぜこの作品にこれが?」と読者を煙に巻く謎めいた巻頭文であってもよく、作品を最後まで読めばその謎が解ける──なんていう具合に首尾よくまとめられていれば、ミステリファンなどは賛辞を惜しまないことでしょう。
ゆえに、作家のセンスやオリジナリティの見せどころにもなるというわけです。もちろんエピグラフがない本のほうが圧倒的に多く、それを載せるも載せないも作家の自由。そういう意味では、料理におけるアクセント食材──ハーブやスパイス、ナッツ、柑橘の皮──に近い存在といえるでしょう。柚子の香りが立たずとも美味しい味噌汁はいくらでもありますし、毎度毎度柚子風味がすると飽きが来る、それでいてその椀の特徴を味噌汁の“本編”より素早く五感にストレートに伝えてしまうずるい存在が、アクセント食材──本稿で扱う「エピグラフ」──なのです。柚子の風味に触れない食レポをするグルメリポーターはひとりもいないはずです。それと同じように、エピグラフが作品本編を引き立たせたり、1ページ目で読者の興味をいっそうかき立てたりすることができるなら、それを用いる価値を一顧だにしないのは純粋に損です。
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
────ヨハネによる福音書(第十二章二十四節)
ドストエフスキーには印象的なエピグラフを掲げた作品がいくつかあります。上に引いたのは『カラマーゾフの兄弟』の巻頭に置かれた聖書の一節。成り上がりの強欲な父殺しを巡る兄弟の物語は暗く重々しい。しかし神の愛を説く三男の姿に重なるこのエピグラフでは、醜悪な人間世界に見えてくる一筋の光が明らかな輪郭をもって輝きを放つように思えます。
どうあがいても わだちは見えぬ、
道踏み迷うたぞ なんとしょう?
悪霊(おに)めに憑かれて 荒野のなかを、
堂々めぐりする羽目か。
………………………………
あまたの悪霊めは どこへといそぐ、
なんとて悲しく歌うたう?
かまどの神の葬いか、
それとも魔女の嫁入りか?
────A・プーシキン
(フョードル・ドストエフスキー・江川卓訳『悪霊』/新潮社/1971年 ルビは引用者による)
同じくドストエフスキーの『悪霊』に掲げられたのはプーシキンの同名の詩でした。心に闇を抱えた美貌の主人公の彷徨、革命を目論む青年が画策した殺人事件などの主旋律を通じ、虚無主義や信仰の喪失、人間の自由と責任を鋭く描いた『悪霊』は、無神論的革命に駆り立てられた人間たちの裡なる「悪霊」を浮かびあがらせます。
作品世界を象徴するテキストがエピグラフになり得ることは前述しましたが、それゆえエピグラフがそのままタイトルとなった作品もあります。たとえば、堀辰雄の『風立ちぬ』のエピグラフは「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」というポール・ヴァレリーの詩の一節。堀がこれを「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳したことでも有名です。
一方、タイトル説明をみずからエピグラフでおこなうという鮮やかな自作自演ぶりを見せたのは、難しいことを平易な表現で著し大衆を惹きつけたヘミングウェイ。ノーベル文学賞作家となる前の若き日のヘミングウェイがもし現代に生きていたら、優れた商業コピーを書くコピーライターとしても活躍していたことでしょう。それはあたかも荘厳なナレーションのごとく耳に響いて、我知らずページをめくってしまいそうです。
キリマンジャロは雪に覆われた標高一九七一〇フィートの山で、アフリカでもっとも高い山と言われている。西側の頂はマサイ族の言葉でヌガイエ・ヌガイ、「神の家」と呼ばれている。その頂にほど近いあたりにひからびて凍った豹の死骸がある。豹が何を求めてそれほどの高さまで登ったか、説明できる者はいない。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色(ねずみいろ)のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
最後にご紹介するのは我らが太宰治。上掲したのはエピグラフではなく、太宰の最初の短編集『晩年』に収められた『葉』の冒頭の一節です。二十代の初作品集なのに『晩年』と、いまでいう“中二病”っぽいところが、いかにも太宰らしいのですが、彼はこの自作についてこんな風に語っています。
「晩年」は、私の最初の小説集なのです。もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、題も、「晩年」として置いたのです。
読んで面白い小説も、二、三ありますから、おひまの折に読んでみて下さい。
私の小説を、読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あまり、おすすめできません。
こちらも太宰らしいといいますか、潮垂れているのか人を食っているのかわからない、真顔でそう語る太宰の横顔が思い浮かぶような自虐めいたユーモアですが、逆にこう言われては、読まなければいけない、いや、読みたい──という気にもなってしまうではありませんか。そして、忘れてはいけないのが、『葉』のエピグラフなのです。まさしく自殺への願望を抱きながら、“遺書”として綴った『晩年』の巻頭の一篇『葉』──そのエピグラフとして置かれたのは、ヴェルレーヌの詩の一節でした。
死の誘惑に取り憑かれながら、みずからを嘲笑うようなユーモアを発する太宰。その文章とエピグラフを並べてみると、太宰治という作家の本質的一部分が見えてくるような気がしませんか?
こうしてエピグラフを見ていくとわかるのは、作家たちがしばしば詩や聖書から創作のインスピレーションを得ている、ということ。それのみならず、ともするとエピグラフは、作家その人の魂のつぶやき──叫び、ではなく──をあらわしているように感じます。
一篇の小説を書く、詩や随筆を綴る、ということは、それだけでは一個の作品に過ぎないのかもしれません。一個の作品と、一冊の本との違いは何なのでしょうか。装丁? 帯や解説文のあるなし? そこには取り立てて違いがないこともあれば、目覚ましい印象の差が生じることもあるかもしれません。そしてその差に、エピグラフが関係することはない、ともいえないでしょう。
一方の読者の側に立てば、エピグラフは、単に巻頭の辞で終わらず、作品を二度三度と味わわせるピリリとよく効いたスパイスにもなりえますし、マニアックな楽しみの対象でもあるかもしれません。用いるも用いないも自由、でも、作家になりたいあなたとしては知っておいて損はない特別な一文、ではありませんか?
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
2026/05/01
4
「認知症介護」受難の時代に起きたこと 日本国内の高齢者人口比率が右肩上がりに上昇しつづけるなか、老老介護と並んで大きな ...
2025/09/19
4
現代の美しすぎる「聖域」観 日々を忙しく送るのみならず、多種多様なストレスにさらされている現代人。インターネットが常時 ...
2025/05/30
4
嫌われるペダンティック、好まれるペダンティック──その魅力に迫る
そもそも「ペダンティック」って何? 「ペダンティック」とは「衒学的(げんがくてき)」の意で、古代ギリシア語に語源を見出 ...
2026/05/27
5
「幼子」は眠っている、絵本を描きたいあなたのなかに 当たり前ですけれど、乳幼児が読む絵本をつくるのは、おおむね大人です ...
2026/05/01
4
「認知症介護」受難の時代に起きたこと 日本国内の高齢者人口比率が右肩上がりに上昇しつづけるなか、老老介護と並んで大きな ...