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小説に限らず、何かしら執筆のアイデアを求めようとするとき、頭のなかでああでもないこうでもない……とひねくりまわすばかりでは、行き詰まりもすれば嫌気も差すというものです。かといって、そのまま根を詰めて悩み抜いたとて、良質なアイデアがあふれ出てくるようなことは、悲しいかな、ほとんどありません。こうした状態に陥った書き手が真にすべきことは、受験生同様、案外ちょっとした気分転換なのかもしれません。実際、ふとした散歩で目にした何気ない一場面や、休憩がてら公園のベンチに腰掛け、頭を空っぽにしていたところで、突如としてアイデアが降って湧いた──なんてことは誰にも経験があるでしょう。これらはいわゆるリラックス、頭を休めることで生まれた効果といえます。一方で、アイデアを求めて積極的に別の“何か”を試みてみるのも悪くはありません。たとえば、過去にお蔵入りしたアイデア帳を読み返してみたり、愛読書や創作の師と仰ぐ人の作品をペラペラめくってみたり、気に入って保存していた画像を見返してみたり、あるいはスケッチブックに思いつくまま絵を描いてみたり……。そうしたところから苦境を脱するきっかけを得たり新たなアイデアが閃く、なんてことは存外あるものです。
想像力を活気づかせる「スイッチ」を押す──そのスイッチがどこにどんな形であるのかわかりませんから、まずは気の向くまま好きなことをする、そんな姿勢がかえってよいのでしょう。とはいうものの、それではあまりにタイパが悪いと言われてしまうのがこのご時世。チートじゃありませんが、もし格別に想像力を刺激してくれるような要素満載の“何か”が身近にあれば、真っ先に試してみたくなるのが人の心理です。さて、そんな都合のいい解決法があるのかって? それが、ええ、あるのです……とまでは絶対の効果を謳うことはできませんが、今回おススメするものが、想像力を刺激するアイテムであることは頷いていただけるのではないでしょうか。文章で構成される小説とはまた異なる空想性・創造性に満ち満ちたアイテムとは──すなわち画集です。
ひとくちに「画集」といっても、その世界は時・空ともに宇宙のごとく広く、作家はもちろんのこと、旧石器時代の原始美術やルネサンス絵画、象徴主義芸術といったように、数多くの様式や技法、モチーフがちりばめられたワザの宝庫。端的にいって広すぎます。そこでおススメしたいのが、前衛芸術の絵画。これぞ現実離れした不思議な世界観に思いがけない「物語」を発見する可能性を秘めたマジックアイテム。「シュールな」といった和製英語で一般化したシュルレアリスム(超現実主義)です。派閥も思想もさまざま、対立や盛衰の芸術的歴史もここではさて措きましょう。シュルレアリスムの画家の描く絵は不可思議で謎めいていて、「こりゃ一体何が描かれているんだ??」と首を捻るしかない作品も少なくありません。だからこそ、常日頃夢にも思わない物語が眠っているのです。
もちろん画家本人は容易なカテゴライズを受け入れないことも多いのですが、現代の一般的な視点で俯瞰して、シュルレアリスムと呼ばれる絵画を描いた有名画家は多数います。サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、マルク・シャガール……、ピカソも一時期シュルレアリスムに傾倒しました。そんな一大ムーブメントとなったシュルレアリスムにおよそ四半世紀も先駆けて、神秘と不条理に満ちた「形而上絵画」と呼ばれる多様な作品を遺した画家がいます。それは20世紀を代表する画家、ジョルジョ・デ・キリコです。ものは試し……と一度「ジョルジョ・デ・キリコ」で画像検索してみてください。たちまちにしてシュルレアリスムの芳香が漂い、“よくわからないそれ”の一枚一枚をよくよく覗き込めば、どう評価していいものかわからないものだから、考えても仕方なしとばかりに思考は止まり、頭のなかは空っぽに。そうしてできた脳内の空白には、代わりにセンス・オブ・ワンダーと異次元的な啓示の気配が満ちてくるはずです。
さて、絵も描けば彫刻も彫る多才なキリコの辞書に「天は二物を与えず」の項はなかったようです。文章にも優れたキリコは一冊の小説を出版しています。それはまさに、キリコの描くメタフィジカルな絵を文章化したような物語……
澄みきった秋の空には、ところどころ彫刻的な形の大きな白雲がゆったりと航行し、雲の真んなかには、無翅の天使たちが崇高な王侯のすがたさながらに身を横たえていた。かつての探険家は、まさにこの瞬間、壁一面に動物の毛皮や写真をはりつけた自分の部屋を出、郊外の小さな家のベランダに立っていた。(ところで、かれの部屋の動物の毛皮や写真もまた、白壁のうえで恰も大氷群の海にところどころ黒いインクをたらしたような具合に浮かぶ黒い船の姿を表象させていたのだ。)かれは放心したように雲のなかに横たわる無翅の天使たちの姿を眺めていた。そして、それらの姿から、ふと大海を漂流する大氷山にとじこめられ死物狂いになっている不運な白熊たちの姿を連想し、目に泪を浮かべているのだった。
『エブドメロス』がどのような物語か、言葉で説明することは難儀です。何しろシュルレアリスムの親玉アンドレ・ブルトンが諸手を挙げて大絶賛したくらいですから、不条理がこれでもかと横溢しているのです。それでもあえてひと言で説明を試みるなら、郷愁を胸に抱いたエブドメロスという画家の幻想的な旅の風景を描いた作品、というところ──なのですが、もとより筋を追って理解する読書法はこの際忘れるが勝ち。キリコは、絵画が本のごとく“読まれる”よう、本作が絵画のごとく“見られる”ことを望んでいたといいます。ですから『エブドメロス』のページを繰るときには、シュルレアリスム絵画を鑑賞するようにめくるめくイマージュに身を任せればよいのです。怒涛の象徴、長台詞に流れ流されて辿り着く終盤は、次のような“一枚絵”です。
エブドメロスは、崩れた廃墟の石のうえにあごひじをつき、もはや何も考えなかった。かれの思考は、今聞こえたばかりの極めて純粋な声の微風を受け、ゆっくりと撓み、ついには完全な自由奔放の姿にまかせたのだ。そうしてそのまま暫時、かれの思考はこれらの忘れ難い言葉の優しい波に身をまかせていたが、やがて、これらの波にのり、あの神秘的な未知の浜辺へと静かに漕ぎ出した。
(同上)
エブドメロスの旅の終わりの風景。それはすべてが石化した世界でした。見方によっては、カタストロフィ、破壊と破滅の終末風景といえます。しかしエブドメロスは、まるで初めて希望にめぐりあったかのように、未知の世界への再生を穏やかに見つめています。さあ一体どこからこのような物語が生まれてくるのでしょうか? ファンタジー、メタフィジック──既成の概念から根こそぎ脱した思想、思考、空想──これぞ、シュルレアリスムだからこそ現前せしむる「スイッチ」です。
それにつけても思うのは、小説を書く、詩を書く……創作という創作に宿業のようにつきまとう困難と苦しみ。『エブドメロス』にしても、キリコの道なき世界の果てのない彷徨の果てに生まれてきた物語であるはず。主人公エブドメロスが得た発見とカタルシスは、キリコ自身の体験、あるいは切望した結末ではなかったかと、そう思うのです。
創作の苦しみとは、換言するなら「傑作誕生!」というゴールを目前に控えた通過儀礼。逃げられはしないし避けてもならないものなのです。苦しみ足掻くなら、おとなしくそれに身を委ね、頭を掻きむしり、悪態を吐きたければ思う存分吐きましょう。そうした苦しみも試練も、裏返せば才能があればこそなのです。もうダメだ! と絶望に駆られても、そこは何とか挫けず、堪えましょう。立ち止まったってよいのです。ただ投げ出すことだけは堪えて、別の“何か”をしてみてください。これは創作者すべての方へのエール。そんなときこそ有効なこの一手。絵を観てせざるはなんとやら、シュルレアリスムの絵をちょっと眺めて頭も心も空にしてみましょう。やがて思いも寄らなかったスイッチが入って、こりゃあ書かざるを得ないと俄然やる気満々……なんてことも、ないとは限りませんから。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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