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嫌われるペダンティック、好まれるペダンティック──その魅力に迫る

2025年05月30日 【小説を書く】

そもそも「ペダンティック」って何?

「ペダンティック」とは「衒学的(げんがくてき)」の意で、古代ギリシア語に語源を見出せます。もともとは子どもの通学に付き添う奴隷や家庭教師を指しました。これがのちに否定的な意味を帯び、過度に学問的なことを強調したり、知識をひけらかすような人を指すようになりました。──とまあ、さっそく実例として鼻につく物言いをあえてしてみましたが、学識でマウントをとるような態度をいうのですね。辞書や百科事典、現在ならAIが展開しそうな口振りで、生身の人間が知識を得意そうに見せびらかすと、どうにもこうにもいけすかないわけです。要するにムカつくと。コミュニティの知的レベルがどうあれ、「智」や「知識」というものに人は非常に敏感ですから、知らないことそのものからくる劣等感や、優位性を示されることへの不快感がつきまとうということなのでしょう。

そのいっぽうで、人は知的好奇心をくすぐられることにも非常に弱い存在です。特に読書には、そうした体験を期待する人がほとんどなのではないでしょうか。単に「知識」を掻き込もうというだけでなく、多くの人間が到達していない「洞察」や「気づき」を得ようと人は書店を歩きまわるのです。しかも、それら恩恵を可能な限り効率よく享受できそうな本を探して。これが書物と娯楽エンタメとの違いではないでしょうか。つまり、そうなってくると書き手は適量のペダンティズムを作品に織り込まざるを得ません。とはいえ前述のように“嫌われペダンティズム”を展開してしまう恐れもおおいにあります。それを避けるためには、いけすかなさをものともしない自信の土台となる幅広く膨大な学識の蓄積が絶対的に必要です。ヘタに真似ようものなら、当たり前のことを小賢しく言いおって──と赤っ恥をかくことは免れません。といった具合に扱いが難しいのがペダンティックの素の状態なのですが、だからといって功を奏せば喝采を浴びる可能性を放棄し凡作を積み上げることは賢明ではありません。リスクをとることが必要です。でもまずは、そんな勝負に出る前に、ペダンティックが秘める魅力とはいったいなんなのか、嫌味にならないペダンティックにはどんな特徴があるのか、いっしょに考えてみようではないですか。

「三大奇書」に見るペダントリー

元来の小説形態を破壊、否定するような形式は「メタフィクション」と呼ばれますが、このなかにはしばしばペダントリー的要素が見受けられます。たとえば、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュア物語』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』といった小説には、メタフィクションの要素とともに、膨大な知識の切片が万華鏡のごとく煌めいています。これら作品の作者に「いけすかね〜」とうしろ足で砂をかけるような不届き者はまずいません。それどころか後世に影響を与えた重大作品として、いずれの作品も崇敬の対象となっているのです。では崇敬とは何に対してか? それは彼らの学識に? ではなく、揺るぎなく優れて革新的なスタイルに対して与えられたものなのです。ジャンルを股にかけた変幻自在の学識もさりながら、「私は物識り(ものしり)である。それが何か?」とでもさらりと言うような威風堂々涼しげでいられる盤石な思想があってこそなのです。これがまずひとつ目の特徴として挙げられるでしょう。

次の特徴としては、ペダンティックな書物には「奇書」という言葉が冠せられる点です。「奇書」とは“奇々怪々な書”のことではなく、中国清朝の時代に“世に稀な卓越した書”を指して使われた言葉で、お馴染みの『水滸伝』や『西遊記』がそう呼ばれました。日本にも推理小説の「三大奇書」があり、「推理小説はペダンティックでなければならない」とする澁澤龍彦も納得のタイトルが名を連ねています。そのうちのひとつが夢野久作の『ドグラ・マグラ』です。

胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか

夢野久作『ドグラ・マグラ(上)』/KADOKAWA/1976年

こんな巻頭歌からはじまる一頭地を抜く摩訶不思議な物語は、精神病者の主人公にまつわる犯罪事件を描いています。江戸川乱歩は「わけのわからぬ小説」と評しましたが、探偵小説と銘打たれていてもミステリーの範疇に留まることなく、「これを読了した者は、数時間以内に、一度は精神に異常を来たす」という文庫版初版時のキャッチコピーからしてタダゴトではありません。夢野久作の知識と思想の集大成といわれる本書は、いまなお存在感薄れず読者を熱狂的に魅了しています。

つづいて紹介する「三大奇書」の一冊は小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』。

「ウイチグス呪法典はいわゆる技巧呪術(アート・マジック)で、今日の正確科学を、呪詛と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜剌比亜・希臘(アラブ・ヘレニック)の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。所が、無謀にもその一派は羅馬(ローマ)教会に大啓蒙運動を起した。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、(中略)ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それに、ボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われているのだから、驚くべきじゃないか。また、猶太秘釈義(ユダヤカバラ)法からは、四百二十の暗号がつくれると云うけれども、それ以外のものはいわゆる純正呪術であって、荒唐無稽も極まった代物ばかりなんだ。だから支倉君、僕等が真実怖れていいのは、ウイチグス呪法典一つのみと云っていいのさ」

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』/河出書房新社/2008年

「悪魔学と神秘科学の一大ペダントリー」と版元である河出書房新社のWebサイトの書籍紹介文にあるとおり、蘊蓄とゴシック的装飾満載のこの作品は、ペダンティックな探偵にペダンティックな犯人と、もうペダントリーの大嵐。「三大奇書」中でももっとも読みにくいといわれる一編ですが、数々のオマージュ作品が登場し、1935年の初版刊行以来再版が重ねられる日本ミステリー界の金字塔です。

さて、「三大奇書」の最後を飾るは中井英夫の『虚無への供物』、これもまた数多のコアなファンに支持される一作です。

そりゃ昔の小説の名探偵ならね、犯人が好きなだけ殺人をしてしまってから、やおら神の如き名推理を働かすのが常道でしょうけれど、それはもう二十年も前のモードよ。あたしぐらいに良心的な探偵は、とても殺人まで待ってられないの。事件の起る前に関係者の状況と心理とをきき集めて、放っておけばこれこれの殺人が行われる筈だったという、未来の犯人と被害者と、その方法と動機まで詳しく指摘しちゃおうという試み……。

中井英夫『新装版 虚無への供物(上)』/講談社/2004年

ここだけ切り取ると一見「は?」という具合に、ミステリーマニアのペダンティックな素人探偵たちの推理合戦がはじまるのですが、その事件というのが“起きてもいない殺人事件”なのですから、まさしくミステリーに反旗を翻すアンチ・ミステリー。そもそもが、ミステリーマニアだが探偵としては素人がペダンティックに推理合戦を繰り広げるって、おいおい……、といったおかしみもありますが、そんな設定に頼り切らないのが本作の真骨頂。古今東西のミステリーの蘊蓄はもちろん、宗教から遺伝子工学、植物学、色彩学、はてはシャンソンまで、多彩で精緻なペダントリー模様が織りなされて、悲惨もあればユーモアもある、「奇書」の名に恥じぬ逸品といえます。

挑戦するか否か、それは本を書きたいあなた次第

上述のとおり、ペダンティックな作品の執筆には安易な姿勢で臨むことはできません。確乎不抜(かっこふばつ)の折れぬ思想をもちつつ、入念な構想を唯一無二の姿として現出せしめ、なおかつ奇抜に堕すことなくスタイリッシュであること──それはあなたが知識を身につけてきた時間と労に劣らぬ難題であるかもしれません。ですが、学べば学ぶほど終わりはなく、書きはじめるに値する知識量にも際限がありません。むしろ、得た知識をどのようにつないでみせるかが腕の見せどころ。だからこそペダンティックな作品には、乾坤一擲(けんこんいってき)、運命をかけて挑戦する価値があるのです。すでに何作かを世に産み落とし、それでもまだ日の目を見ておらず、けれどもいつか必ず自作のミステリー作品を世に出し人々を唸らせるのだ! と、その確信も意欲ももつ方にこそ、ペダンティックな傑作創作にぜひトライしていただきたいものです。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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