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極上エンターテインメント小説の愉悦

2025年06月12日 【作家になる】

実は深遠なる命題──人はなぜ娯楽小説を紐解くか

ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)ともいわれるように、人は本質的に「娯楽」を求めてやまないもの。大規模な世界一周クルーズから、ちょいと近所のパチンコや会社帰りのソリティアまで、娯楽に値するものはさまざまありましょうが、お金持ちだからといって派手派手しい遊びばかりを好むわけでもなく、とるに足らない暇つぶしに半日を熔かすことだってあるわけです。ひたすら部屋に籠ってゲームに興じるのも、お気に入りの小説一冊を手にカフェや公園のベンチに陣取るのだって、人それぞれ他に代えがたい娯楽であるわけです。18世紀イギリスの著述家メアリー・ウォートリー・モンタギューは、貴族階級出身でありながら「読書ほど安い娯楽も、長続きする喜びもない」と庶民の目を潤ませるような慎ましい言葉を遺しています。もちろん小説家になりたいと思う人なら、読書の楽しみを充分にご存じのことでしょう。今回はそんな面々に送る、少し読み手寄りの記事になります。

小説にはその名も「娯楽小説」と呼ばれるジャンルがありますが、さて、人は何を求めて娯楽小説を紐解くのでしょう。「娯楽」というからには、それはやはり非日常的で胸のすくような痛快さ、楽しさになるでしょうか。さあしかし、皆さんもご自身の読書体験を思い出してみてください。目下評判の娯楽小説を読んではみた──が、息抜きとして読書の時間は過ごせたものの、期待したほどの充実感は味わえなかった、という体験はありませんか? 書店でよく見る帯コピー「痛快無比!」「ページを繰る手が止まらない!」などといった惹句に誘われはしたけれど、肩透かしを食らったりページを繰るのも乗り気でなくなったり、文字を追う目の瞼がシャッターのように降りてきて仕方がない、なんて体験はたとえ作家になりたいと日々研鑽を積んでいる方にだって当然あるはずです。確かに、万人の心を掴むのは至難の業。そんな方法論が確立しているなら、巨額の製作費を投じて大赤字に泣く映画なんて出てきやしないのです。とはいえ、ヒットを飛ばす娯楽小説にセオリーを見出せないと見切るのは早計。では、その人気の理由、人々を惹き寄せる魅力とはいったいどのようなものなのか、極上の娯楽小説の条件とは何か、その深遠なる秘密をちょっと覗いてみようではありませんか。

古代エジプト絵巻の究極の娯楽要素

未開拓の作家の本を選ぶ際には、話題や書評、友人知己からのおススメや、書店の人気ランキング、Amazonのレビューなどを参考にするでしょうか。とはいえ読書には好みも気分もありますから、今回のオススメもあくまでご参考程度に。本稿筆者の独断と偏見を承知で、極上のエンターテインメント・ノベルを一作ご紹介いたしましょう。

作家の名はウィルバー・スミス。イギリス領北ローデシア(現ザンビア)生まれの南アフリカ育ち、2021年に没した現代の作家です。アフリカを舞台に数々の冒険小説、ハードボイルド小説を世に送り出し、その多くがベストセラー。映画化作品も片手にあまります。そんなウィルバー・スミス作品のなかで、ひときわ異彩を放つのが『リバー・ゴッド』。紀元前1800年前後の古代エジプトを舞台に、異民族に侵入された王朝の存亡を賭けた戦いを壮大なスケールで描いています。この手の作品が好きな方には早くも垂涎の響きですが、古代の荘厳な空気、華麗な王朝絵巻と、非日常的な魅力たっぷり。なのですが、実はこの作品にはほかに、際立ったエレメントがふたつあります。ひとつは、母なる悠久のナイル川。もうひとつは、物語の語り部であり、手に汗握る攻防の行方の鍵を握る主人公タイタという奴隷です(今日想像されるいわゆる「奴隷」とはまた違った存在)。

私はこの選りすぐりの美少年の最年長者だった。館の側小姓は、たいていの場合、可憐な容姿に少しでもかげりが生じると、とたんに奴隷市場の競り台に直行するのだが、私はその重大危機をくぐり抜けることができた。主人が私の身体的美しさ以外の美点にも高い評価を与えるようになっていたからだ。これは、私が美しさを失ってしまったという意味ではない。それどころか、大人の魅力が加わった分、ますます美しさに磨きがかかっている。

この私こそ、彼のすべての所有物の中でも最も高価な貴重品だった。私の価値は、並外れた才能の数々だけがすべてではない。もっと重要なこととして、私は彼の織りなす複雑怪奇な人生を、織り糸の一本一本に至るまで知り尽くしていた。(中略)この私がいなければ、彼の統治する広大な影の帝国の維持と管理も危うくなる。

ウィルバー・スミス著・大澤晶訳『リバー・ゴッド(上)』/講談社/2002年

ファラオが弱体化した王朝下、蛮族ヒクソスの侵入を許したエジプトの民は祖国を追われ、ナイル川を下る流浪の旅へと出ます。物語は、暗雲を孕んだエジプトの都テーベでの日々から、異民族侵攻による虐殺と敗退を経て、長い流浪の果ての帰還までを描きます。恐るべき裏切り、巨悪の陰謀、若き没落貴族と王妃の至上の愛、終わりなき旅路の苦難、そして逆襲のクライマックス! エンターテインメントの上質なエッセンスが満載されるなかに、物語を牽引し読者を引き込む八面六臂の活躍を見せるのが奴隷のタイタなのです。

活躍といっても、タイタは自ら先陣を切るヒーローではもちろんありません。しかし、腕力や武芸は自分の任ではないとするこの御仁は、医師であり、発明家であり、優れた芸術家であり、碩学大儒の学者であり、戯曲も書けば詩も詠む作家であり、おまけに天上の調べのごとき美声と並外れて秀麗な容姿の持ち主であり、比肩する者のない予言者でもありと、ヒポクラテスとレオナルド・ダヴィンチとシェイクスピアとノストラダムスを足してもまだ足りない大天才なのです。上掲の一文を見るとおり、謙遜を美徳とはしておらず、自画自賛の機会を逃すことはありません。まあ、癖があるというのでは控え目過ぎるこのタイタは、多芸多才でエジプトの運命を切り拓くというだけではなく、一見荒唐無稽な天才ぶりと鼻持ちならない自慢屋の内側に、複雑で純粋な心と意志を秘めていて、それは、奴隷であり宦官であるということと無関係ではありません。こうした複雑な背景や意外性をもつキャラクター設計が作品の織り目に綾をなすのです。

そして、永劫の調べを奏でるかのように常に作中にあるのが、時を超越して流れつづけるナイル川。『リバー・ゴッド』のタイトルが示すように、ナイル川はエジプト神話における神そのものであり、信仰と恩寵がストーリー進行に寄り添っています。もしこの舞台設定が現代の都会だったり、信仰心の薄い人々の話であったなら、波乱万丈の冒険ロマンのなかにここまで荘重な空気は生まれなかったでしょう。タイタという“あり得ない天才”の存在も、人智を超えた自然の神秘のなかだからこそ、違和感なく光彩を放つことになったのでしょう。こうした独特の作品世界を包容する自然物のような象徴、その存在もまた作品を珠玉たらしめる重要なエレメントなのです。

エンターテインメント・ノベルの快楽に心ゆくまで身を任せよう

極上のエンターテインメント・ノベル。そりゃあ、誰にも簡単に書けるものではありません。でも、だからといって、書きたいけれどそんなの自分にはムリムリとはなから諦めては何もはじまりません。ウィルバー・スミスにも、スティーヴン・キングにも、フレデリック・フォーサイスにもなれるわけなんてない? いいえ、正直にいって、それはわかりません。未知の可能性はどこにでもあるのです。そしてあなたを取り巻く「時代」というものとの巡り合わせだって重要です。読んで楽しいスカッと爽快な娯楽小説。その極上の逸品を愛読する経験から、いつか壮大な構想の萌芽が生まれてくることを願いつつ、グラスを片手に、メアリー・モンタギュー言うところの、読書という「安い娯楽」「長続きする喜び」に心ゆくまで身を任せようではありませんか。そんな至福の時間こそが、未来のエンターテインメント・ノベルの大家の財産となる……かもしれないのですから。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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