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作家が「移民問題」に目を向けるとき

2025年12月22日 【作家になる】

作家を志す者と社会問題の関係性

近年、喧しくもちあがる社会問題のひとつに移民問題があります。やはり、長大な歴史の結果として“いまに帰着する”とでもいうべきこうした重要な事案については、当然、作家を志す身であれば、書くジャンルを問わず誰もが十全に理解しておくべきことでしょう。小説をひとつ書くとすれば、主要登場人物の履歴書を書くように人物造形を進めることになるわけですが、その履歴書には当然、時代やその時代をつくった歴史的背景が織り込まれて然るべきだからです。つまり作品のなかでひとりの人間を描くということは、その彼なり彼女なりをつくりあげた文脈が必要だということです。その文脈の綾をなすのが、時代時代のさまざまな社会問題。そして移民問題もそのうちのひとつです。島国ニッポンにいるといまいちピンとこないテーマですが、自国ファーストな政治が世界を席巻する近年の流れを受け、国内でもさすがに関係書籍が多々出版されているようです。重厚な弁当箱サイズの単行本でなくとも、不案内な人にもわかりやすく解説された新書も数多く出ていますから、社会の問題に意識を向ける初手として、一冊二冊手に取って知識を蓄えることは有益と思われます。

と、一般読者ならそこで終わっても何の不都合もないくらい充分に殊勝な姿勢と思われますが、もしもあなたが小説を書くなりエッセイを書くなり、自分の言葉を第三者に向けて発信しようと思うならば、それだけでは不足感を否めません。なぜって、あくまで作家を目指すならば「移民問題の核心はこれだ!」みたいなド直球な話を書くのはお門違いだからです。餅は餅屋。文字を書いて本にする営為それ自体は同じだとしても、評論家には評論家の仕事が、作家には作家の仕事があってまったく別物なのです。作家の仕事は、移民問題の評論を読んで自身の深くにいったん沁み渡らせ、濾過したそれを、まったく別の場所で湧き出づる清冽な伏流水としての創造物に仕上げることなのです。

メディア、専門的正論──その両方に懐疑の眼差しを

では「移民問題」をテーマに、作家は何を書けばよいのでしょうか。それを言い当てるのは、富士山に降り積もった雪がどの河川に湧き出るのか示すのと同じこと。答えようがないのです。ですが、ひとついえるのは、自分が得た情報を鵜呑みにしてはいけないということです。たとえばあなたが移民問題を軸に物語を書くとき、その目的は何でしょうか? もしそれが、ご自身の移民問題に関する自説を補強するためだとすれば、筆を擱いて政治の道を歩んだほうがいいのかもしれません。あるいはすでに研究者としての道を歩んでいるなら、やはり評論家としての一冊をつくることになるのでしょう。そのどちらでもない人間が、思うところがあって筆を執るのだとすればきっと、ほかの誰かに“そのこと”を考えるきっかけを届けたいと思うからなのではないでしょうか。たぶんそれは、誰もが見過ごしている何の変哲もない小石が、自分にだけは特別に見えてしまったから。それを拾って磨いて、ただの小石ではないことを他者に示し、ほら、何でもない石がこんなふうに光るんだ、ほらあなたのすぐそばにも──と気づきを与えたいからなのではないでしょうか。その共感の手応えは、あなたがほかの誰でもない「あなた」であることを実感させてくれます。だから、すでに他者によって値札が下げられているような石、つまり既存の情報を疑いもなく取り込みありがたがっている場合ではないのです。

本を書くとき、一次情報でもなんでもない他者が発信する情報を、“これだ!”と飛びつき鵜呑みにした瞬間、オリジナルな創作的可能性は失われます。情報は知識としてありがたく頂戴するにしても、それに留めましょう。小説を書くなり創作を念頭に置くならば、情報に追従するのではなく、むしろ逆に疑ってかかり異を唱えるくらいの姿勢が肝要です。移民問題についても然り。専門家が断言していれば「本当か?」と疑い、移民の辛苦に嘆きや怒りが聴こえればそれを逆手にとる──そうした姿勢による著述から、物事の本質が見えてくることは当然あるのです。そのひとつが寓話。世の中の真理を直截に語るではなく、まったく別の構図をもった物語に宿らせる筆の営みです。

不条理劇が浮かび上がらせる“現実”とは

家への帰路を失うということは、新しい靴下を、でかすぎたりゴムが切れていたりするパンツを、かかとがすり減ったブーツを、俺たち三人の写真とすぐそばにいてほしいと思っていた人たちの写真を、手紙を、好きな歌を、肉の煮込みの残りを、まだ硬い桃を、鎮痛剤を、修理が必要なランプを、ソーサーに立てたロウソクを、カルラがまだ読んでいない二冊の本を、予備の傘を、三本のロザリオを、壊れたミニカーを、クマのぬいぐるみを、生理用ナプキンとピルを、サンダルを、懐中電灯を、タオルを、三組のナイフとスプーンとフォークと三枚の皿を、二個のグラスと一個の幼児用カップを、二つの鍋と電子レンジを、歯ブラシを、身分証明書を、櫛を、高価だった爪切りを、ファティマの聖女のフィギュアを、くにから持ってきたライターを、ベッドの脚の中に隠してあるカネを、くにのサッカー代表ユニフォームを、透明の緑の花瓶を、床を拭くモップとバケツを、物干し台を、くにの古い新聞を、季節をわざわざ教えてくれる四季の移ろいが描いてあるカレンダーを、ビデオ屋やスーパーや靴屋やガソリンスタンドの古いポイントカードを、携帯やスーパーのレシートを、最初の給料を手にしたら妻と息子を連れて行こうと決めているインド料理屋のチラシを、くにの友人や親戚の住所リストを、黄色い延長コードを、ゴミ用にためてあるレジ袋の山を、島の言葉で格言らしきものが書いてあるカーペットを、過去を、未来を、すべてを失うということだ。現在を失うことはない。現在は俺らの肉体にべったりへばりついているからだ。

リカルド・アドルフォ著:木下眞穂訳『死んでから俺にはいろんなことがあった』書肆侃侃房/2024年

自身も移民で、2012年から東京に住まうポルトガル人作家リカルド・アドルフォが描いたのは、何気なく買い物に出た移民一家が地下鉄の故障で見知らぬ町に放り出される羽目になり、歩いても歩いても家へ帰れないという物語。一家の主、国を逃げるように出て不法滞在かつ職なしの「俺」の語りで綴られます。どう足掻いても帰路を見出せない珍道中はまさに不条理な寓話世界そのもの。ひがみ屋で文句タラタラ愚痴ジョボジョボの「俺」の語りはどこまでもユーモラスで──しかし、彼らが抱える難題が遠ざかることはありません。むしろ、そのユーモアとのコントラストにより、移民家族それぞれの人間の姿と、問題の根深さ、複雑さが実感的に浮かび上がってくるのです。

非現実的な創作物が光を当てるもの

自国ファーストと移民保護、そのような命題に対する姿勢はさまざまあり得ますし、いずれにしても、これが正解という答えは見出しにくいでしょう。数の論理が幅を利かせる民主主義のもとでは、結局は過半数の納得と、100からその納得の割合を差し引いた一定数の不満が渦巻く社会が構成されます。当然スッキリはしません。しかし作家になろうと志す人であれば、そもそも誰もがスッキリする社会など存在しないことをとうに知っているはず。本来、答えなど割り出しにくいデコボコな問題に、社会として、そして個人としても、ひとつの正解を主張して枠にはめ込むことは危険です。そこに思いが向く人間こそが作家なのです。作家は、社会評論家でもなければ、現場の舵を執る実務者でもありません。問題の核心を手探りするように確かめて、その角を和らげ整えていくのが、健やかかつ聡明な作家としてのあり方ではないでしょうか。自由な想像力をもって、問題に多方向から光を当て、何の気なしに生きているだけでは見えにくい、小さな深い陰の部分を浮かび上がらせること。寓話やファンタジーやメタフィクションなどの非現実的な創作物は、そのための手法としてひとつの方向性を示すものでしょう。そして最後に大事なこと。本稿のこうした問いかけとその答えも、それがすべてではないこと、それを疑ってみる目をもつことを忘れないでくださいね。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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