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レオナルド・ダ・ヴィンチしかり、バートランド・ラッセルしかり、国内に目を向ければ、南方熊楠しかり……といったところでしょうか。いわゆる「天才」と呼ばれる人たちは、常人には信じ難い博学と万能を誇り、その名を後世に渡り不滅のものとしています。詩人で小説家で自然科学者でもあるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテもまた、まごうことなき天才のひとりです。25歳で『若きウェルテルの悩み』を発表し名を轟かせたゲーテは、同時期に生涯の大作となる詩劇『ファウスト』を書きはじめ、その一方で次々と詩集を刊行していきました。そうした彼らの仕事の異次元な質と量を目の当たりにするにつけ、凡人は我が身が情けなくなるのを通り越して、もはや愛しくさえ思えるほどです。
「レモン」の木は花さきくらき林の中に
こがね色したる柑子(かうじ)は枝もたわゝにみのり
晴れて青き空よりしづやかに風吹き
「ミルテ」の木はしづかに「ラウレル」の木は高く
くもにそびえて立てる国をしるやかなたへ
君と共にゆかまし
いまなお薫り高い花束のようなゲーテの抒情詩は、当時の詩人たちに多大な影響を与えました。それはまるで、自然と語り合いながら、未知の不思議を秘めた宇宙を見つめるかのような詩。美しく高尚で、底知れない深みをもつ永久不変の詩──。しかし、です。詩人になりたい皆さんのなかには、たとえ天才ゲーテの名詩であっても、いまいちピンとこない方もいることでしょう。感受性がないと卑下する必要はありません。たしかにヨーロッパ的風土のなかで育まれたゲーテが表す自然観は、多湿の島国日本ではそぐわぬところもあります。さらには生活様式とともに、詩の形式や手法、詩的感性がすっかり変容を遂げた現代にあってはなおのこと。ただ、だからといって、私たち人間もまたその一部である「自然」というテーマを疎かにすることはできません。では、現代の日本で自然と対話する詩を著そうとするとき、その方向性はどのように見定めるべきなのでしょうか。日本の近代・現代詩を代表する詩人のひとり、草野心平の作品を題材に探ってみましょう。
生命の躍動や自然、土俗的な感覚を大胆で原始的な言葉で表現した草野心平は、終生「蛙」を詠いつづけた詩人として有名です。蛙の詩はときに途方もなく斬新で、るるるるるるるる……と「る」ばかり並んでいたり(「春殖」 ※旧題は「生殖T」)、「●」と黒丸ひとつで終わっていたり(「冬眠」)、枠に囚われず多様な手法で蛙に迫りました。そんなことだから「蛙の詩人」とさえ呼ばれ、よほどの蛙好きなのかと思いきや「ぼくは蛙なんぞ愛してゐない!」(『第百階級』覚え書)と叫んだこともあったそうです。草野にとって蛙は、我々一般人がわかりやすく理解する「愛情の対象」ではなく、草野自身を自然と交感させるいわば「霊媒」のような存在であったのかもしれません。
草野の詩作、創造のあり方を「身近かな情感と遙かな夢とが、表裏一体をなす」(「草野心平詩集」解説/『豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)』所収/未來社 ※文中の送り仮名は原文ママ)と評したのは、作家で仏文学者の豊島与志雄です。蛙の卵のごとく「る」の一文字を版面いっぱいに並べてみせた草野心平が、どのように「自然」と心を通わせたか、それを解説するにあたって豊島は一編の詩を取り上げています。
自然と人間のなかにはいると。
そのまんなかにはいってゆくと。
かなしい湖が一つあります。
その湖がおのずから沸き。
怒りやよろこびに波うつとき。
かなしみうずき爆破するとき。
わたくしに詩は生れます。
日本の流れのなかにいて。
自然と人間の大渾沌のまんなかから。
わたくしは世界の歴史を見ます。
湖の底に停車場があり。
わたくしは地下鉄にのって方々にゆき。
また湖の底にかえってきます。
なきながら歌いながら。
また歌いながらなきながら。
つきない時間のなかにいます。
(『大白道』・序詩/草野心平詩、長野ヒデ子絵、さわ・たかし編『ジュニアポエムシリーズ20 げんげと蛙』所収/銀の鈴社/2015年4版)
豊島はこの詩に、草野の詩作の姿勢の「きびしさ」を見出しました。そしてまたその「きびしさ」は、草野にとって「つらさ」でなく「楽しいこと」だというのです。この逆説的な解釈は、詩作に限らず、表現者誰もがおしなべて創作や表現に向き合うときの精神に通じているのではないかと思います。近年、単純な競技やジャンルの枠を超えて、自己表現の文脈で語られることが少なくないスポーツや冒険の世界においても同じことがいえるでしょう。「きびしさ」と、それを超越して結果に到達したときの楽しさ。「きびしさ」を骨身に知らなければ、その向こう側にある楽しさも得られない。創造や表現といったものに対峙する者を、包むでもなく拒むでもなく、ただ無心に、あるいは孤高に存在するもののひとつが、草野をはじめ私たちを取り囲む「自然」というものなのかもしれません。だから、詩を書きたい、詩人になりたいと詩句を紡ぐならば、ただ人間の言葉をもって「自然」を見つめ、感じるばかりではいけないのかもしれません。ふと頭に浮かんだ詩のフレーズをあれこれとこねくりまわすより先に、自然と一体になること。そしてその「きびしさ」に身をうずめて、はっきりと体感すること。草野心平が蛙を通じて、あるいは天や富士山を通じて、終生琢磨したのはそういったことだったのかもしれません。
春のうた
かえるは冬のあいだは土の中にいて
春になると地上に出てきます。
そのはじめての日のうた。
ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック。
(「春のうた」/同上所収)
冬眠から目覚め、新しい季節の輝かしさに目を瞠り、喜びの声を挙げる蛙──それと草野心平はもはや一体です。豊島による『「草野心平詩集」解説』を読めば、先述の「身近かな情感と遙かな夢とが、表裏一体をなす」という言葉は、いつでも「空の一角を凝視するか、地の一隅を睥睨する」草野の眼が、「内に、或は卑近に、思うことの深ければ深いほど、遠くに夢を追」っていることを換言した一文とわかります。つまり蛙と一体になるばかりでは草野の域には達しません。蛙に憑依し、その眼で外界を見た上で、さらに透徹な詩人としての己の眼で夢を追うことが重要なのです。
詩人や作家や画家は、人生の節々で作風やテーマが変化して、「○○期」「○○の時代」というように、その創作の歩みが区分されることがあります。しかし豊島曰く、草野心平はこれに当てはまりません。文字どおり、生涯にわたって蛙や富士山といった同じ題材を詠いつづけてきた、ただそれだけなのです。創作年順に草野の詩を並べて読んでいったとしましょう。そこに発見できるのは、新しい蛙や新しい富士山と、常に清新な姿を表す詩です。はじめから最後まで「自然」と心を合わせようとする「きびしい姿勢」「喜びを知ろうとする純粋さ」があればこそ、そのような詩が創られたのではないでしょうか。
「自然」と真に対話する詩の、内から発せられてくる清新な輝き。「自然」と表裏一体となる姿勢を模索してみれば、あなたもそんな詩を書く手応えをいつしか得られるかもしれません。
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