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“愛の詩人”ハイネの本質とは何か

2023年08月15日 【詩を書く】

文学者たちを魅了する“愛の詩人”の謎

いと麗しき五月
なべての莟(つぼみ)、花とひらく
いと麗しき五月の頃
恋はひらきぬ
我が心に

諸鳥のさえずり歌う
いとも麗しき五月の頃
われうちあけぬ かの人に
わが憧れを
慕う想いを

(ハインリヒ・ハイネ著・片山敏彦訳『いと麗しき五月』/『ハイネ詩集』収録/新潮社/1951年 ルビは引用者による)

ドイツ生まれの詩人ハインリヒ・ハイネといえば、ロマンティックに愛を歌う抒情詩人と思っている人は少なくないでしょう。わが国でも明治期に初めて紹介されたとき、詩を愛し文学を愛す人々は、瑞々しいハイネの恋の旋律に心打たれ、限りない憧憬を抱いたようです。従姉妹のアマーリエに純粋な恋を捧げつづけたハイネ自身、愛に身を焦がす青年詩人でした。上掲の詩にしても、難解なところは少しもなく、麗しい春の萌えいずる命のように、小鳥たちの無邪気なさえずりのように、溢れるばかりの恋する想いが綴られています。ただただ甘く美しくキラキラ煌めいています。

ただハイネを、ロマンティックな恋の歌を詠う“だけ”の詩人と決め込んで終わっては、この詩人を真に知ることはできません。なにしろハイネは、我らが芥川龍之介に「最も内心に愛してゐたのは詩人兼ジヤアナリストの猶太人(ユダヤじん)──わがハインリツヒ・ハイネだつた」と言わしめ、限りない敬愛を捧げられた詩人でもあるのです。石川啄木がハイネを愛読したこともよく知られていますが、芥川や啄木が、単なる純情素朴な恋愛詩人をそこまで敬愛するものでしょうか──いやぁ、考えられませんとも。ではなぜ? それはハイネが、明敏な文芸論を説いた芥川や、社会の革新に目覚めた啄木の精神に触れる、「鋭さ」や「深さ」をもった詩人であったからにほかなりません。

ジャーナリストと思想家への道

芥川龍之介が「ジヤアナリスト」と呼んでいるとおり、ハインリヒ・ハイネには、ジャーナリスト、そして思想家としての顔があります。それは詩人としての資質とはまったく別領域の、しかし詩と同じく“衆に抜きんでた資質”でした。ハイネがなぜ思想家として頭角を現していったかは、彼の生い立ちにすべてを発するとまではいわないまでも、深い関わりがあることは間違いありません。

ハインリヒ・ハイネは1797年、ドイツのデュッセルドルフでユダヤ人家庭に生まれました。没年は1856年ですから、オノレ・ド・バルザック(1799-1850)とほとんど同時代を生きたことになります。ときはいわゆるヨーロッパ激動の時代。シェイクスピア『ヴェニスの商人』(16世紀末の作とされる)に極めつきの俗悪な人物としてユダヤ人高利貸し「シャイロック」が登場するように、ユダヤ民族の歴史には彷徨や迫害や差別がつきまとってきました。ひとりのユダヤ人として、ハイネも例外ではなく、幼少期から不当な差別的扱いを受け、作家・ジャーナリストとして活動をはじめると、政治・社会批判によりドイツ当局の監視対象となり、1831年にフランスへと移住しています。ハイネはパリで、バルザック、ユゴー、ジョルジュ・サンド、ワーグナー、リスト、ショパンはじめ多くの作家や音楽家たちと交流し、若き日のカール・マルクスとも親交をもち、文筆を通じて社会活動を行い、風刺的・批判的な詩を発表します。

ねえ伯林(ベルリン)を棄てゝ行きませう、この深い砂と
薄い茶と、この氣の利かない人逹(ひとたち)の市街(まち)を
彼等は神も世界もまた自分自身をさへ
ヘエゲルの合理主義で理解してゐる連中ですからねえ
若し人がおまへを裏切つたなら

(ハインリヒ・ハイネ著・生田春月訳『フリイデリイケ』より/『ハイネ全集 第2巻 新詩集・ロマンツエロ』収録/越山堂/1920年 ルビは引用者による)

一層真実を守るがよい
そして死ぬほど心が苦しうなつたら
おまへの琴を手にとるがよい

絃を鳴らせば、焔と熱に燃え立つた
勇者の歌が響くだらう!
するとはげしい怒りも溶けてしまひ
おまへの心は甘く血を流すだらう

(『ロマンツェロ』より 同上)

ドイツをあとにしたハイネでしたが、その心は祖国を見限ったわけではありませんでした。「ねえ伯林(ベルリン)を棄てゝ行きませう」と詠いながら、ドイツの行く末を案じ憂えていたのです。1843年、故国へ帰郷した際の感慨を紡いだ紀行叙事詩『ドイツ冬物語』。あらためて祖国の姿をつぶさに見たハイネは、そのありさまを批判し、未来と理想を切に訴えました。さらに、虐げられた職工たちの蜂起を詩題とした『貧しき職工たち』(のち『シレジアの職工』/1844年)、病苦と闘いながら書きあげた最後の詩集『ロマンツェロ』(1851年)。そして、真実を守れ、心が苦しくなったら琴を鳴らせ──そう叫びをあげたハイネは1856年、58年間の生涯を閉じます。

愛の詩に秘められた詩人の精神

最後に、石川啄木も愛読したというハイネ作『歌の本』から、歌曲としても有名になった『ローレライ』を見てみましょう。

なじかは知らねど 心わびて
昔の伝説(つたえ)は そぞろ身にしむ
寥(さび)しく暮れゆく ラインの流れ
入日に山々 あかく映ゆる

美(うるわ)し少女(おとめ)の 巖頭(いわお)に立ちて
黄金(こがね)の櫛とり 髪のみだれを
梳(す)きつつ口吟(くちずさ)む 歌の声の
神怪(くすし)き魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう

漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ
岩根も見やらず 仰げばやがて
浪間に沈むる ひとも舟も
神怪(くすし)き魔歌(まがうた) 謡(うた)うローレライ

(フリードリヒ・ジルジャー作曲・ハインリヒ・ハイネ作詞・近藤朔風訳『ローレライ』 ルビは引用者による)

『ローレライ』は『歌の本』(1827年)の中の「帰郷」と題された節に収められています。ローレライとはドイツのライン川沿いに聳える岩山で、この付近が急流で航行事故も多かったため、船乗りを歌声で誘うセイレーン伝説に重ねてローレライ伝説が生まれました。この伝説を詩の韻律にのせ、乙女の魅惑の姿を映し出してラインの川辺の美しさを歌ったハイネ──彼を、革命家、革命詩人と呼んでよいものか、わかりません。しかしハイネが紡いだ愛の詩には、故国への尽きせぬ思い、悲しみと祈りの静かな通奏低音が鳴り響いていることは、間違いなくいえるのではないでしょうか。

恋愛抒情詩の奥に、社会的な批判や風刺を込めた一文のなかに、首尾一貫とした気骨を示したハイネという詩人。彼の詩を深く読むことは、詩を書きたい、詩人になりたいあなたにとって、少なからぬ恩恵をもたらしてくれるに違いありません。明日の詩作のため、詩人として価値ある一歩を踏み出すため、ぜひ一度ご賞味ください。

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