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詩を書くために研ぎ澄ます──「傍観者の眼差し」

2022年09月13日 【詩を書く】

作家になるための最重要要素

大人と子ども、一流と二流、あるいは大将と一兵卒の差といったら何でしょう? 実力、真価、胆力、財力……いろいろと思い浮かびますが、そのひとつとして、いかに状況を客観的、俯瞰的に捉えるかという「傍観者の眼差し」を挙げて異論を唱える方はいらっしゃらないでしょう。「大人げない」という言葉があるように、大人らしい態度を微塵も示せない“名ばかり大人”や“名ばかり将軍”ももちろん大勢いるのですが、私生活や人間性としてどうであれ「作家」という立場についていうなら、自分の感情や主観に引きまわされていては、いかなる芸術作品も成り立たせることはできません。小説には「私小説」というジャンルがありますが、これとて本当に作家の独り善がりの感情によってのみ書かれていたなら、読者の内部に共感や感動を喚起することは困難ですし、もとより芸術作品としての価値も見出だせないでしょう。傍観者の眼差し──何をさておいても、これは作家になるための最重要要素といってよいでしょう。

ドキュメンタリー写真にキャプションをつけ“詩技”を鍛える

技術も政治も経済も、そして市民生活も、世界が著しい変貌を遂げていった20世紀初頭のまさに激動のさなか、ブレーズ・サンドラールという詩人が世に名を馳せました。ひとむかし前ならフランス界隈(地理的な意味だけではなく文化として)では知らない者はいないほどの輝かしき存在であり、彼への心酔もあってアメリカからパリへ渡ったヘンリー・ミラーが、サンドラールに比べればヘミングウェイなど子ども同然だなどと言い放ったくらい、当時の芸術家たちの尊敬を集めた作家・詩人でした。スイスに生まれたサンドラールは、天性の放浪者であり、世界各地を転々と渡り歩いたのち居を定めたのはパリ郊外でした。サンドラールの詩がなぜセンセーショナルだったか。どの芸術分野でもそうであるように、それは、アバンギャルドの実践者として卓越した成果を示したからです。アルチュール・ランボーのごとく韻文詩の伝統を打ち壊した彼は、まさしくランボーの後継者さながら、天性の才に加え冒険と放浪が培ったのであろうリアリストの眼がその詩作を貫いていました。

さりとて、いきなり「ランボーやサンドラールの天才につづけ! 筋金入りのリアリストになれ!」というのはハードルが高すぎるというより、「木星に立とう!」というのと同じくらい誰もにとって非現実的なはず。サンドラールのように放浪の旅に出ればサンドラール2世になれるわけでもありません。そこで紹介したいのが、ロベール・ドアノーという写真家。若い芸術家を後援していたサンドラール当人に見出されたひとりであり、後年、フランスの国民的写真家と呼ばれるまでになりました。パリ郊外に生まれ、その街並みやそこに暮らす人々に愛着していたドアノー。そんな彼が写真集を発行する際には、当然のようにサンドラールが序文の執筆を引き受けます。こうして、精彩に満ちたドキュメンタリー写真を、比類ないモダニスト・リアリストたるサンドラールの散文が飾ることとなったのです。その文章はのちにサンドラールの著書『パリ南西東北』にまとめられました。詩を書きたい、自分の詩集を出版したいと目標定める皆さんに味わっていただきたいのはこの文章です。

平日の列車は楽しくない。ラッシュの時間帯にサン=ラザール駅に行ってみるといい。朝は職場に出かけ、夕方には不満で疲れ切ったまま同じ路線を利用する郊外人たちでいっぱいだ。ここはどこの国なのか? アリ塚のようだ。

(ブレーズ・サンドラール著・昼間賢訳『パリ南西東北』月曜社/2011年)

いまこれを日本の文化人がTwitterなどで発信したら瞬く間に炎上、翌朝には投稿の削除と謝罪に追い込まれること間違いありません。しかしときは20世紀中ごろの大人の国フランス。今日はびこる大衆迎合のメディアの感覚は後世の話──とうっちゃってこの一文を読めば、散文詩の一節とも読めるその筆致には、感傷も余分な修飾もなく(もちろん迎合もなく)、文明批判・社会批判の鋭い矢が潜んでいます。朝な夕な、黙々と機械仕掛けのように目的地に向かう人波に溢れた駅の光景。それをおさめたドアノーの写真が目に浮かんでくるようです。風景はただ通り過ぎるだけでは何の感動も思索ももたらしてくれません。でも、ひとたび立ち止まってじっと見つめ文章に表そうとすれば、不思議と精彩を放ちはじめるのです。と、ここで提唱したいのが、サンドラールがドアノーの写真にしたように、ドキュメンタリー写真にキャプションをつける作業。あなたの観察眼の解像度を上げ、洞察力の奥行きを広げ、詩作の力を高める格好のトレーニングとなるに違いありません。

“作家の眼”とは、“世界の危機を見つめる眼”

人生の大半を旅に費やしたブレーズ・サンドラール。1913年に書かれた『シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌの散文』には、延々と果てしない列車での旅の生活の一場面が綴られています。

Je suis couché dans un plaid(ぼくはプレードにくるまって寝ている ※引用者註「プレード」:膝かけのような布)
Bariolé(そのけばけばしい色)
Comme ma vie(まるでぼくの人生のよう)

前後にはドラマティックな旅の場面が描かれているのですが、この一文だけでも、冒険心・探究心に富んだ若い魂(このときサンドラール26歳)、広い世界の混沌と息吹、そのなかで自分をちっぽけだと感じている青年像が浮かび上がってくるようです。

古い危機の終わりと、新しい危機の始まりが、君には見えるだろうか。それはとても大切なことだ。

(映画監督ジャン・エプスタンの現代詩人論に寄せたサンドラールの「あとがき」より)

何も我々がモダニストを標榜せずとも、広い世界にあって「表現」を志すならば、いつの時代もモダニズムは向こうからやってきて我々の精神に宿るものです。古い危機が終わり、新しい危機がはじまる──それはまさにいまこの時代をいっているかのようです。時代を、世界を、そしてそのなかに生きる自分を捉える──これすなわち、傍観者としての眼差しを養うことにほかなりません。詩を書きたい、作家になりたいと思うならば、あなたにはもう傍観者の眼差しが少し芽生えてきているはず。「傍観する」とはいい意味で使われることのない言葉ではありますが、ここでのそれは、いっときの感情や一元的な視点に意識を奪われることなく、透徹な眼差しで全体像を遠景で捉えようとする、ニュートラルな意識のことです。そんな姿勢は、詩作・創作のステイタスを高めるのみならず、きっとあなたの人生に新たな冒険をもたらしてくれることでしょう。

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