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夏目漱石が教職に就いていたことはよく知られていますが、根のところでも極めて秀でた「師」としての資質を湛えていたのでしょう。文学の道でも多くの優れた後進を教え導いてきたことは周知の事実です。そのひとりに、物理学者の寺田寅彦がいます。寺田寅彦といえば、東京帝国大学理科大学物理学科を首席で卒業した理系の輝ける一等星でありますが、いまなお名を残しているのは、俳句や随筆の文芸にも並々ならぬ才を発揮したからでした。その寅彦を、俳句という日本古来の詩の世界へといざなったのが、ほかならぬ夏目漱石その人だったのです。熊本の第五高等学校時代での“英語教師・夏目金之助”との出会いがなければ、ひょっとすると寺田寅彦が文芸の分野で花開かせることはなかったかもしれません。
あるとき寅彦は、試験に失敗した苦学生の友人のため、彼の点を何とかしてください、との陳情をもって漱石宅を訪ねます。朝ドラにでも出てきそうな何とも微笑ましい師弟誕生の出逢いの風景ですが、おそらく話はうまいことまとまったのでしょう、しばらくの雑談のあと、寅彦は俳句とはどのようなものなのか──と師に問います。その答えとして漱石が放ったのが、「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」「扇のかなめのやうな集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」という言葉でした。寺田寅彦の俳句道は、まさにこの言葉から拓かれていったのでした。
※ 扇子の「かなめ」とは、扇子の半円の中心ですべての骨の軸となる部分のこと。
玄上は失せて牧馬の朧月
これは俳句雑誌『ホトトギス』(当時『ほとゝぎす』)に掲載された寅彦21歳の一句です。「玄上」とは皇室に伝わる琵琶の名器のことで、「絃上」「玄象」とも記します。鎌倉時代に盗賊のため紛失し、現存しないばかりか、寅彦の時代においても伝説にだけ登場する幻だったわけです。そうした神秘性に富んだ逸話に重ねながら寅彦が見上げた「朧月」こそが、漱石のいう「扇のかなめ」といえるでしょうか。
昭和10年(1935年)、漱石の薫陶を受けてから30余年、寺田寅彦は随筆『俳句の精神』において俳句への私見を述べています。
その語彙(ごい)の中に連想と暗示の極度な圧縮が必要であるということ、それからまたそういう圧縮が可能となるための基礎条件として日本人のような特異な自然観が必要である(略)
俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。
(寺田寅彦『俳句の精神』/『寺田寅彦随筆集 第五巻』所収/岩波書店/1948年 ルビ含むテキストの引用は青空文庫より)
俳句の精神とは「日本人固有の自然観」、すなわち人間と自然が渾然一体となったひとつの有機体であるという自然観を根本とすると考えた寅彦は、俳句修行は自然観察力を磨くところからはじまると語ります。そして、これは漱石の教えに通じていますが、そこから「焦点」「象徴」となるものを抽出しなければならないと説きます。「連想の世界」は、その「焦点」「集注点」から拡がっていくというわけです。
粟(あわ)一粒秋三界を蔵しけり
(寺田寅彦『柿の種』/岩波書店/1996年 ルビ含むテキストの引用は青空文庫より)
秋という季節を、生も死も内包した宇宙的な世界として描き、それを一粒の粟が象徴するというこの句は、まさしく連想の広大無辺な可能性を教えてくれます。
「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、唯一枚の硝子板で仕切られて居る」(「二十二のアフォリズム」)と語った寺田寅彦。生活と詩歌、ふたつの世界を行き来する通路は「唯小さな狭い穴が一つ明いて居るだけ」(同)というのです。物理学者・寺田寅彦の面目躍如といった感のあるこの言葉。俳句に対するその姿勢は、科学的発見や活路に臨むそれと何ら変わりないものと得心されます。
こうして、夏目漱石の教えにはじまった寅彦の句は、いよいよ自由な連想の世界へと羽ばたいていきます。
客観のコーヒー主観の新酒哉
(寺田寅彦『俳句と地球物理』/角川春樹事務所/1997年 上掲「二十二のアフォリズム」も所収)
ここで焦点化されているのは、いわば寅彦自身の精神・思想的なもの。「客観」と「主観」、これら対義語を示すロジックは掃いて捨てるほど世にありますが、そんなロジックや字義的な堅苦しい語り口に頼ることなく、おそらく寅彦の嗜好品であろう「コーヒー」と「新酒」で柔らかく双方の違いを表してみせた鮮やかなこの発想。まさに目の覚める思いがします。
好きなもの 苺 コーヒー 花 美人 懐手(ふところで)して宇宙見物
(池内了『ふだん着の寺田寅彦』/平凡社/2020年 ルビは引用者による)
これは、寺田寅彦の短歌として最も有名な一首かもしれません。寅彦による原文はどういうわけかローマ字で綴られているため、のちの表記にはばらつきがあります。ともあれ焦点となっているのは「好きなもの」で、ここからして子どものような闊達な自然体を感じることができます。そこから通じる“小さな穴”は、「苺」「コーヒー」「花」とスムーズな流れを辿り、「美人」というところでちょっとおどけてみせて、ついには広大な宇宙へと広がりますが、「懐手して」とあるところがまた“らしい”味わいを醸します。寅彦自身の生き生きとした姿を浮かび上がらせ、笑みを誘う爽快さがある一首ではないでしょうか。
「扇のかなめのやうな集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」──この漱石の教えは、畢竟、寺田寅彦の融通無碍で宇宙の真理すら説く唯一の言語「物理」にも通じていたといえます。いえいえ、寺田寅彦だけではありませんとも。俳句という世界最短の詩形は、誰でも気軽に取り組めると同時に、極めて奥深い文芸でもあります。そこに描く対象物にほんの小さく穿たれた穴は、広大無辺の世界への入り口。まさしく、五・七・五のたった17文字の俳句は茫々たる宇宙の拡がりを秘めているに違いありません。
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