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いい旅をすると「紀行文」とはなんとはなしに書きたくなるもの。きっと「旅」という素材そのものがワクワクと胸を躍らせる要素を多分に含んでいるから、おのずと紀行文も書きたい気持ちが湧いてくるのでしょう。行きたかった未知の土地、日常では味わえない意想外の体験、風情漂う景色、自然の造形美、その土地の味、旅の宿の情緒、人との出会い……。といった具合に「旅」には、大人の極上のテーマパークのアトラクションさながら、魅惑的な要素が目白押しなのですから、そりゃあ行きたくも書きたくもなりますよね。
と、相槌を打ちつつ出鼻をくじくような話運びもまた当ブログの得意技。旅に出て、「紀行文」とたいそうに銘打たずとも、何かしら文章を書きつけておきたいなと思ってPCを開いてみたものの、存外キータッチが進まない現実に戸惑っている方もいらっしゃるかもしれません。そんな方はもううっすら感じていらっしゃることでしょう。旅での体験がすばらしければすばらしいほど、それを文章にしてみるといかにも陳腐な旅日記になってしまうことを。さらには、楽しい旅の模様を読者にも楽しく読ませるのは途方もない難題であるのかも……。プロであっても、作家本人が楽しんでいる旅の話を他者に楽しく読ませるなんてことは、じつは才知に溢れしかも特異なキャラクターをもつごく数少ない作家にしかできないのかも……と。
そんな戸惑いのなかにいる方にひとつヒントをお伝えします。紀行文とはすなわち事実の羅列だからと、必要以上に創作性を削ぎ落としてはいませんか? そこにひとつでもあなたなりのエッセンスを織り込めば、紀行文は瞬く間に彩りを鮮やかにするはずです。紀行文だからと事実に則して文字を書き連ねたくなる理由は明白です。文筆技術の巧拙というシンプルな問題を脇においてもそうなってしまうのは、創作性を盛り込もうものならどうにもウソっぽくなる、すばらしき旅の思い出を虚飾にまぶしたくないという心理が働くからにほかなりません。しかし本当のところ、そもそも旅の中身を皆目知らない読者にとってそんなことはどうでもいいのです。という具合にこのブログで切々と説いても説得力に限界がありますので、先達のお力を借りることといたしましょう。
太宰治が紀行文執筆で見せた能力のひとつが、自己卑下・自嘲の能力です。太宰は行きたくもなかったのにひょんな弾みで船に乗ってまで渡ってしまった佐渡の旅路を、己の情けないありさまを丸出しにしておもしろおかしく綴りました(当ブログ記事『紀行文を書く際の「別視点」』参照)。ただ、太宰のキャラクターを見てもわかるように、自己卑下・自嘲の能力はたいがいが生来のもの。身につけようとしてもそうは問屋が卸さないシロモノです。過去の経験からその筋がいいと自認される方はいいとしても、ユーモアのセンスを過去に一度でも人に褒められたことのない方には難しいかもしれません。ではどうすれば?
「妻なら何度でも笑わせてきたワイ!」といった方も少なくないでしょうから、ちょっとこれは申しわけありませんが先に釘をさせていただきますと、それは奥さまが笑い上戸だからなのです。そもそも旅のあいだ、きれいな景色や美味しい食べものばかりに目を向け、ときおり訪れるちょっとしたハプニングで笑いをとってきたのだとすれば、それを文章上で再現しようというのは、書く姿勢からして少々安易といえるのかもしれません。
紀行文の名手たちには、旅における独自のテーマがあり目的があります。そのテーマを堅牢にし、目的を果たすための知識や感性やノウハウだって備えています。そういうものをもたない書き手に重要となってくるのが、“エグい”視線。一応字義的な解説をしておきますと、「えぐい」とはアクなど喉・舌を刺戟する味を指す「えぐみ」が原義であり、「エグい」はそこから現代に生まれたスラングといえます。癖がある・ドギツイなどのマイナス的意味と、脱帽的感嘆を表すプラスの意味の双方を有していて、その矛盾的性質を云い得て妙なるなかなかシャープなスラングです。「すごい」の最上級、すごすぎてヤバい、ヤバいぐらいすごい……といったところでしょうか。
さて、旅を見る“エグい”視線とはどのようなものか。“エグい”の意味と性質からなんとなく想像もされると思いますが、“エグい”視線を発動させるのには、学識もスペシャルな対象物も必要ではありません。旅の方向性もまた自由です。旅人であるあなたは、背伸びして高尚なテーマなど捻り出す必要もありません。名所旧跡はもちろん、オタク聖地であろうと心霊スポットであろうと心の赴くまま訪れてよいのです。けれどいざ当地に着いたならばそこからが重要です。いよいよ“エグい”視線発動のとき。目をギラリと光らせ、フクロウのごとく首を360度まわす勢いで、あたりを舐めまわすように観察の眼を這わせて、“あなただけの旅の景色”を切り出すのです。
たとえば京都嵐山の保津川くだり。観光客を目一杯乗せた舟の船頭は、プランクトンの骸(むくろ)からなる奇岩の説明に名調子。しかしあなたはそんなものには目もくれず、川岸に立ち並ぶ茶屋のひとつの、色褪せた暖簾の裾のほつれに、なぜだか目が引き寄せられてしまいます。幾度も風雨に晒されてきたのだろうその煤けた様子から茶屋が積み重ねてきた歳月、暖簾をくぐってきた無数の客たちの気配。この先も変わらず佇みつづけるだろう茶屋の行く末にまで思いを馳せた観察がなされたとすれば、それは“エグい”視線展開の好例といえるのではないでしょうか。何も茶屋に注目せよということではありません。妙に気になる対象があれば、それを深く細かく観察してみようということです。一風変わった視点が他者(読者)の目には新鮮に映り、観察の深度がのちに書く文章に奥行きをもたせてくれるのです。
この“エグい”視線をフル活用しながら、品格を損なわず、あるときは軽やかに、またあるときはものものしく、旅路を描いてみせたひとりに、イギリスの文豪ディケンズがいます。『イタリアのおもかげ』は、30代のディケンズが家族とともにイタリアを巡った旅の日々が綴られています。いささか感傷的とも思えるタイトル(原題『Pictures from Italy』)とは裏腹に、ディケンズの、ときにあけすけな、ときに皮肉な色を帯びた視線はまさにエグさ全開です。彼の個人的大好物「カトリック批判」なども交えて、旅路の風景を活き活きと、この世のものならぬ美も、悪臭も霧の瑣末な粒までも、読む者の五感に触れさせるほどの細緻な筆には瞠目せずにいられません。
なぜだろうか、ホテルの隣に、あるいは向かいに、決まってイタリアの町では銅細工師の親方が住んでいるのは! それで、訪問客である私は、その打ちつけるハンマーが彼自身の心臓で、恐ろしいエネルギーで鼓動しているように感じてしまう! なぜだろうか、疑い深げに廊下が四方八方から寝室を囲み、漆黒の闇と隣り合っている、閉めることもできず、開くこともできない不必要なドアがたくさんあるのは! なぜだろうか、これらの疑いの念を抱く守護霊たちが、一晩中、人の夢に対してポカンと口をあけて立っているだけでは十分でなく、壁の高い所に、何も嵌められていない丸い穴が必ずあるのは!──その穴は、二十日鼠かドブ鼠の音が羽目板の裏側で聞こえるとき、誰かがその穴の一つに何とかして辿り着き、中を覗き込もうと、爪先で壁を擦っているんじゃないかと思わせる。
ディケンズの旅そのものは、家族旅行なのですから旅立つ動機も含めて凡人とさほど変わるものはないはずです。しかし、同じ土地に出向き、同じ景色を眺め、同じようなトラブルに見舞われても、ディケンズの旅は“ディケンズならではの旅”になるのです。そう思わせるのが『イタリアのおもかげ』であり、紀行文の名手の技です。ディケンズといえばいうまでもなく世に知れた大文豪。もちろん見識も半端ないことはわかりきっていますし、艱難辛苦の体験も素地にありますが、上の引用が示す“エグい”視線に、見識も人生経験も関係ありません。言い換えれば、作家になりたいが現在のところ無名という方にだって、目の向け方や心の向かう方向を意識づけることで、独自色で抜きん出た紀行文を書くことは可能なのです。そのひとつの有益な道具こそ、“エグい”視線にほかなりません。ぜひ、あなたのものにしてみてはいかがでしょうか。
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