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移民を生み出さない世界の物語を構想する

2025年12月23日 【作家になる】

「常識」という名の「情報操作」

「移民」と題したとおり、前回の「作家が「移民問題」に目を向けるとき」に引きつづき、移民問題をテーマとした第2弾となります。前回を未読の方はぜひご一読のうえ再訪くださればありがたいです。

さて、当ブログとして珍しく連弾形式となりますが、それもひとえに、ものを書く者にとって「移民問題」が重要と思われたからにほかなりません。世の中にはさまざまな重大問題がありますが、地球上の「限られた土地」を「国」と「人間」が分かつところに端を発する移民問題は、逆にいうとその問題さえなければ、世界はなかなかに安寧なのでは? と思えるほどに、何世紀にも渡り私たち人間を苦しませてきましたし、残念ながら今後もゼロになることは期待できません。それどころか、ともすれば人類の未来の存亡を分ける大問題へと発展しかねない問題でもあります。

前回、リカルド・アドルフォの『死んでから俺にはいろんなことがあった』(書肆侃侃房)を取り上げて、「作家たる者、社会問題をド直球に書いてはならない」と書きました。もとより私たち人間は、リベラルをもって任じていても、ふと気づけば常識や既成概念をみずからの判断や行動の基準にしていたりするものです。それが一定程度、社会秩序を保つことに貢献していることは否めませんが、作家の卵たる者、ヘタをすれば既得権益層の情報操作かもしれない社会常識や認識を土台にして物語を書いてどうします。そんなドツボにはまらないために、今回はさらにもう一歩押し進めて考えを深めたいと思います。

vs.社会問題──作家には作家の手段がある

社会問題が蔓延する世界だからこそ、その向こうには、それらすべてが解決された理想世界が明るい光を放って……いるように垣間見えるものです。政治家も作家も、たとえどんな悪人だってその日の寝床では平和を望むものと思いますが、平和希求のアプローチがそれぞれの立場で異なるのです。常人には理解し難くとも、詐欺師は他者の財貨を掠め取ることで自身の平和を築きます。それと同じくらいに、政治家と作家では、明るい世界を目指す方策が異なることをまず理解せねばなりません。政治では常識的思考をベースに、現実と理想の距離を測りつつ理想世界を目指します。何より支持者の理解が得られなければ、一議員として議会に入ることも許されません。現実離れした理想論を声高に叫んで悦に入るのは泡沫候補ぐらいなものです。いっぽう作家は、政治のシーンと同じスタイルでものを書くわけにはいきません。繰り返しになりますが常識が正解であるわけではないという前提がまずありますし、作家の狙うべき一丁目一番地(政治家の好きな言葉ですね)は物語のおもしろさ、深み、味わい、つまり「出来」です。意外性を欠く物語にそれはほぼ望めません。作家になるとすればやはり、「問題」の向こうの希望の光差す世界を、コペルニクス的発想をもって築き上げたいものです。

冒頭にも書いたように、問題のある世界の対極に位置するのは、問題のない世界。つまり「移民問題」なら“「移民問題」の存在しない世界”ということになります。ですが、ただ問題皆無の世界を描いただけでは絵空事に終わりかねず、泡沫候補に向けられるのと同じ視線に串刺しにされます。そう、常識に照らし合わせてもダメ、理想を謳うだけでもダメ……これが作家の立ち位置の難しいところなのです。ではどのへんを突いていくべきか。“懸案の問題を生み出さない世界”の物語を構想する──これをひとつの方向性として考えていくのはどうでしょう。そのために、当該問題の根を掘り下げる深い洞察が必要となってくるのです。

国を超え言語を超えた仲間たちの旅の物語

国際的に活躍する作家多和田葉子氏の小説『地球にちりばめられて』に登場する主人公Hiruko。母国が忽然と消滅し、北欧を転々と移ろって暮らすなかで、いずれの国でも通じる手づくり言語「パンスカ」を編み出した彼女は、祖国を失った心境についてこう語ります。

「昨日あったものが完全に消えたら、昨日だって遠い昔です。」

多和田葉子『地球にちりばめられて』/講談社/2018年

母国がすでに存在しない人々を集めたテレビ番組でこう話すHirukoに、デンマークの青年クヌートは、言語学者らしい立場から強く惹かれるのでした。

彼女の顔は空中にある複数の文法を吸い込んで、それを体内で溶かして、甘い息にして吐き出す。聞いている側は、不思議な文章が文法的に正しいのか正しくないのか判断する機能が停止して、水の中で泳いでいるみたいになる。(中略)僕はどうしてもこの女性に会ってみたい。会うだけでなく、できれば近くにいて、この人がどこへ歩いていくのか見極めたい。こんな気持ちになったのは初めてだった。

(同上)

こうしてクヌートは、母語を話す同国人を探すHirukoの旅に同行することになります。その旅では、出会いを重ねるごとに、それぞれに国という枠組みから弾かれた仲間たちが、ひとりまたひとりと増えていきます。そうしてともに旅をするようになった彼ら集団は、いつしか国を超え言語を超え、単一の「世界」に属する者としてさらなる旅をつづけていきます。こうした物語が示唆するものとは──。

「移民問題」から現れてくる途方もない“負”の構図

昔の移民は、一つの国を目ざして来て、その国に死ぬまで留まることが多かったので、そこで話されている言葉を覚えればよかった。しかし、わたしたちはいつまでも移動し続ける。だから、通り過ぎる風景がすべて混ざり合った風のような言葉を話す。

(同上)

言語は国に属するもの。ゆえに、人は言語によって分類され、また差別も生まれ得ます。Hirukoのつくり出した国や民族に属さない言語「パンスカ」。これを聞いて、ふと「エスペラント(世界語として19世紀に考案された言語)」を思い起こされた方も少なくないでしょう。ポーランドの眼科医ルドヴィコ・ザメンホフが考案したこの国際言語は、その発想こそ画期的で、ザメンホフやその協力者、その思想に共鳴した後年の人々により普及が努められました。が、それこそが人間誰しもに染みついているナショナリズムというべきか、皮肉なことに文化や歴史的背景の欠如のほか現実的な理由から、エスペラントは現在に至るまで国際語として主要なポジションを占めることはありませんでした。どの国の誰もが、もっといえば国粋主義とはほど遠い自由主義者でさえ、土着性のない言語をわざわざ学習コストをかけて取り入れることはなかったのです。いっぽうHirukoの生み出したパンスカはそれともまた違います。エスペラントが全地球語だとすれば、その普及の域外つまり火星人とはコミュニケーション上の軋轢が生まれます。しかし『地球にちりばめられて』でのパンスカは、その共通言語さえも風のように移ろっていくものとして描かれています。この作品は、そうして世界を、読む者の脳裏にいつしか蜃気楼のように映し出していくのです。非常に観念的で、それを実現不能なファンタジー世界と断じてしまえばそれまでのこと。しかし作家にしか成し得ない方法で、ボーダレスな世界の構築を試みていることは間違いありません。

異なる言語が存在するところから、優劣意識が生まれ、差別や迫害、果ては戦争にまで発展していく負の構図。そんな負の材料はほかにも無数にあります。たとえば、宗教、文化、生活様式、歴史……。それらが集約的に現れたひとつの形が、移民問題といえるのではないでしょうか。島国の日本で移民問題というと、ややもすれば、社会の隅っこのものとも捉えられがちな事象。しかしこれからの世界で、作家になりたいと真摯に創作に励む以上、深く考えていきたいテーマのひとつです。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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