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夜に見る「夢」が作家の創造性をインスパイアする

2025年11月27日 【作家のお話】

「夢」の潜在力、創作におけるその可能性

夢──それは、人が眠っているあいだに紡がれる物語、無意識下で繰り広げられる不可思議な世界。目覚めと同時に終わりを告げるこの「夢」に、日ごろから重きを置いたり大きな関心を寄せたりする人はさほどいないでしょう。よほど示唆的な夢であったり、その領域の研究をしているわけでもなければ、目が覚めればたちまち薄れていってしまうし、それで何ら問題ないのが夢というものです。印象的な夢でも、せいぜいこんな夢を見たよと顔を洗いながら家人に言ってみるくらいなもので、昼まで覚えているなんていうのはごくまれでしょう。当然といえば当然、記憶に淡いものに特段の注意を払う理由などありませんし、記憶から消えてしまえばそもそも関心を寄せようがありません。

ただ、小説を書くなど何かしらの創造的営為に取り組まれる方なら一度や二度はこんな経験がおありかと思います。「降りてきた!」と拳を握るような、ファンタジックでスペクタクルな夢や、日常生活を送る理性的な頭からは生まれようもない突拍子もない夢を見て目が覚め、メモを書きつけようと思う端から夢の記憶が雲散霧消してしまう……あの悔しさです。どんな夢も、顧みられる機会なくただ消えていってしまう自然の摂理の前に、私たちは膝をつくしかないのでしょうか? 作家になりたい、創作分野で力を発揮したいと日々励む者ならば、それがとんでもなくもったいないことだと思うのは当然です。

そうして私たちが頼るのがまず、夢判断・夢分析のジークムント・フロイト(1856-1939)やカール・グスタフ・ユング(1875-1961)といった心理学者たち。フロイトの精神分析学による夢分析とユングの分析心理学のそれは解釈がまったく異なりますから、夢に潜在力としての創造性を見出すという意味では、ユングの夢分析の理論がより目的に適うものとなっているかもしれません。彼の著作を紐解くことはもちろん有益です。しかし、今回考えたいのは、せっかく生まれた夢をどうにかして創作に活かせないか、というより具体的な方策ですから、心理学的考察や判断基準、学問的な解釈はこの際いったん脇に置いておきましょう。でないと思わぬ遠まわり、挙げ句別の沼に陥りかねません。

「夢日記」を綴ったあの人この人

「夢」に興味を抱いて記録を試みたり、創作に活かした先人はもちろん大勢います。大家たちだって、無名の作家同様に掌からこぼれ落ちる夢の記憶を惜しんだり、夢というものだけが湛える独特の不思議さに魅せられたりしたのでしょう。「こんな夢を見た──」の書き出しで有名な『夢十夜』を記した夏目漱石は、夢の記憶を反芻したと窺わせる日記を執筆期間中に残したなんて逸話もありますし、漱石の『夢十夜』を読んで夢日記を書きはじめたなんていう人も少なくないようです。現代では、『夢探偵』というアンソロジーを書いた筒井康隆が夢日記を長くつづけ、これは危険な行為だ、自分は白髪になってしまった──ととある番組で語ったなどというネット記事も散見されます。尾鰭のついていそうな真偽不明の逸話ですが、夢にまつわるこうした都市伝説が流布しがちなのもまた、夢のもつ不思議な力と世界を物語っているのではないでしょうか。

いっぽう「夢」に人の心の深層を考え、生き方の指針を見出そうと、およそ40年にわたって夢を記録しつづけたのは、鎌倉時代の僧、明恵(みょうえ)上人です。

夢に云はく、清く澄める大きなる池有り。予、大きなる馬に乗りて此の中を遊戯す。馬は普通に能く飼へる馬也。又、将に熊野に詣でむとして出で立つと云々。(中略)
今此を翻するに、即ち、実に詣でむと欲するは即ち吉相也。又、大きなる池は禅観にして、馬は意識也。之を思ふべし。

河合隼雄『明恵 夢を生きる』/講談社/1995年

澄み渡った空間を馬に乗り逍遥し、なお実証的な意志を感じさせる夢の話。夢を記録しつづけた明恵の試みは、現代でいえば心理学的研究に通じているのかもしれませんが、それ以上にこの名僧の好奇心や、枠に囚われない思索世界の広がりを感じさせてくれる一節です。

名匠曰く「夢とは自身に語り聞かせる寓話」

夢を「寓話」と捉え、自身のクリエイティビティにおおいに役立たせたのは、イタリアの映画監督、フェデリコ・フェリーニです。実際に夢を記録して、そのイメージに映画制作のインスピレーションを得たといわれるフェリーニの、夢に関する大変示唆的な言葉があります。

夢とは、わたしたちが自分自身に語って聞かせる寓話です。それは小さくて大きな神話として、わたしたちの理解を助けてくれます。もちろん夢には昼間の自分の行いを、ただちに、その後もずっと、変えてくれるような助けを求めてはなりません。そして、夜のショーを見る快楽にすっかり身を任せるようなこともあってはならないのです。常習的な夢想家は、昼間もろく移ろいやすいことにかまけてなにも成しとげることなく過ごしてしまいます。ただ夢見るために夜を待つだけの生活にすっかりはまりこんでしまうかもしれないのです。そうなってしまうと夢のイメージはなんの役にも立ちません……。

トゥッリオ・ケジチ著・押場靖志訳『フェリーニ 映画と人生』/白水社/2010年

空を運ばれていく巨大なキリスト像のシーンが印象的な『甘い生活』など、数多くの名作を世に送り出し「映像の魔術師」と呼ばれたフェリーニ。『8½』にはスランプに陥ったひとりの映画監督が主人公として登場します。映画を観る者誰もがフェリーニ自身と重ねて映画を鑑賞します。作中、アイデアを求めて温泉地で保養する主人公の脳裏に氾濫するのは夢と幻想のイメージで、それまさにフェリーニがいうところの寓話あるいは神話的です。しかし実際のフェリーニは違いました。劇中の映画監督のように逃避する道を選ぶことはなく、自分の見る夢に向き合いつつ、苦しみのなかで、「創造する」ということの意味と本質をみずからに問いつづけたのです。より穿って本作とフェリーニ自身の関係を感傷的に考察すれば、劇中の主人公を自身の化身として現実逃避の道を選ばせることで、逆に実世界のフェリーニは正道を保つことができたのかもしれません。

生みの苦しみの中に、創造的インスピレーションがある

まったく人間的でありふれたテーマを展開するとき、私は自分で忍耐の限度をはるかに越える苦しみと不運にしばしば直面しているのに気づきます。直観が生まれ出るのはこのようなときです。それはまた、私たちの本性を超越するさまざまな価値への信仰が生まれ出るときでもあります。そのような場合に、私が自分の映画で見せたがる大海とか、はるかな空とかは、もはや十分なものではありません。海や空のかなたに、たぶんひどい苦しみか、涙のなぐさめを通して、神をかいま見ることができるでしょう──それは神学上の信仰のことというよりも、魂が深く必要とする神の愛と恵みです。

フェデリコ・フェリーニ著・アンナ・ケール他編・岩本憲児訳『私は映画だ 夢と回想』/フィルムアート社/1978年

創造や創作に苦しみはつきもの。ああ、書けない! 何もアイデアが湧かない! と、作家を志すものなら誰でも、ペンを放り出し、あるいはパソコンのディスプレイに唾を吐きかけんばかりに、書きかけの作品や頭のなかの生煮えのアイデアを放り出したくなったことがあるでしょう。ところが、映画界の稀代の名匠フェリーニは、そんなときこそ直観が湧き出でるというのです。少年の日、サーカスに魅了され、サーカスの座長になりたかったというフェリーニ。そのような自由な心をもちつづけたからこそ、「夢」に寓話を見出し、創造の苦しみにあってなお「外の世界」に目を向けることができたのでしょう。

夢にアイデアを得たからといって、もちろん他者の絶賛を浴びるような作品になるとは限りません。夢を見た当の本人だけが「いける!」と信じるばかりで、成功の保証などないのです。そんな具合に、ここぞというときの頼みの綱になりそうでいて、まったく頼れず救いにもならず、かえって心身を蝕むような苦しみ、悪夢にもなり得る「夢」。なのですが、創作を愛し、詩や小説を書くことに喜びを見出す者のもっとも身近にいて、見守ってくれる心の友にもなり得る可能性だけはあるのです。そう、いつかきっと、そっと背中を押し、あなただけの不思議な世界を描く助けになってくれるのが夢だと信じて、今夜も眠りに就こうではありませんか。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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