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「あと味」という言葉がありますね。飲食後に残る味わいはもちろんのこと、味覚に限らず物事のあとに残る“感じ”や“気分”を意味する語としてもよく使われます。小説や映画、あるいは事件などに接した際、「あと味」という言葉は感想を述べる際にとても使い勝手のいい優等生的ワードです。純粋さに溢れた話や感動的なストーリーが残してくれる読後感──清々しさやカタルシスは、よいあと味の代表格といえるでしょう。じゃあその逆の悪いあと味といえば、「読後にイヤな気持ちになるミステリー」略して「イヤミス」作品がしばしば人気を博すように、いっそそのエグみごと飲み干し愛してしまえ──というファンも少なくはないのです。
と、こんなふうに「あと味」という一語だけでも、「作品」と「味」のかけ合わせはポジティブ・ネガティブのどちらの方向でも相性がいいのですが、それは何も作品評においてだけではありません。今回考えたいのは、感動やカタルシスのあと味を醸成するストーリーの組み立て方ではなく、文字どおり美味珍味で舌を愉しませてくれる“料理”というモチーフ、小説のなかに描かれる“美味しさ”、ズバリ「料理」という要素がいかに作品世界に作用するかを探ってみたいと思います。作中に描く料理で美食家たちに舌鼓を打たせることができれば、おのずと読後もその余韻は長くリフレインすることでしょう。
美味しそうな小説というと、タイトルも『〇〇のレシピ』『〇〇レストラン』『○○食堂』などと題され、「食」中心の舞台設定で書かれた作品を思い浮かべる方もいらっしゃることでしょう。食や味覚にまつわるエピソードをストレートに描けるのはもちろん、複数人の登場人物を配置しやすいのは言うまでもありません。ゆえに会話文も豊富、加えて食欲や食べ方、テーブルマナーなどの描写により、人物が置かれている状況や来歴を間接的に示すのにも好都合です。が、そこには、ホテルビュッフェのようにまずまずの読後感がある半面、こと「料理」という点においていえば、真性の美食家の眼をカッと見開かせる鋭さや特異さはあまり期待できません。
その種の小説とは別の路線で、ロバート・B・パーカーの「スペンサー」シリーズや、パトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズのように、料理好きの探偵や司法官が活躍する物語もあります。日本でも「犯科帳」「捕物帖」などと名のつく作品で料理が主旋律に彩りを添えていますが、それというのも、凶悪な犯罪や陰謀の殺伐としたイメージ、ミステリーの怪しい空気感と対極にある料理という要素が、快いコントラストをつくって作品の本筋を引き立ててくれるからなのでしょう。とはいえ、こうもミステリーと料理のコラボが多いとなると、いまさらそこに目をつけるのも安直、凡庸な気もしますし、何より「料理」を描こうとしてミステリーを書くとなると主従が逆、“ミステリー書くのムズい沼”にハマって料理を描く余力がなくなってしまうかもしれません。
1987年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『バベットの晩餐会』という映画をご記憶の方はどれほどいらっしゃるでしょうか。同名の原作小説の作者はイサク・ディーネセン(英語版の筆名)。1885年生まれの女流作家で(自国デンマーク語版は本名のカレン・ブリクセンで発表)、屈指のストーリーテラーです。同作に登場するのは、母国フランス・パリで有名シェフだったバベットと、難民となった彼女を受け入れた敬虔な姉妹マチーヌとフィリッパです。1871年のパリ・コミューン(革命蜂起により結成された労働者の短命自治政府)のどさくさで夫と息子を殺されたバベットは、身ひとつでノルウェーの片田舎ベアレヴォーへ逃れ、マチーヌとフィリッパのもとに行き着き仕えることになります。バベットにとって村から一歩も出たことのない姉妹は完全な異邦人でしたが、ふたりの不思議な存在感に馴染んでいくなかでいつしか閉鎖的な社会にも溶け込んでいきます。
十数年の月日が流れたある日のこと、バベットに1万フランもの富くじ当選の知らせがもたらされます。折しも、教区の牧師であったマチーヌとフィリッパの父の生誕100年の記念日が近づいていました。姉妹はそれを村人たちと祝いたいと考えており、その料理を任せてほしいというバベットの申し出を承諾します。そうして迎えた記念日当日。村落らしいごくささやかな素朴なパーティーを想定していたマチーヌとフィリッパを驚かせたのは、海亀やら何やら見たこともない食材の数々。当惑する姉妹をよそにバベットは給仕の少年まで雇い込み、村人たちが経験したことも目にしたこともない晩餐会を催したのでした。最高級のワインや食事でバベットがもてなすフルコースは、質素な生活を旨とする村人たちには何が何だかわからないものばかりでしたが、口にするほどにやがて至福の味覚に夢心地となってゆくのでした。
この物語に登場するのは美味も美味、19世紀のフランス料理の粋を極めたメニューの数々です。19世紀というのはフランス料理がもっとも華麗に花開いた時代であり、晩餐会シーンといったらそれはもう名作絵画のように目にも美しく、伝統と格式を具えながらそれでいて斬新。料理とワインとの水も漏らさぬマリアージュは、お酒の飲めない人にも料理とワインの切っても切れない関係を教えてくれるよう。ああ、流涎必至、天上の美味をも思わせてこの上なく魅力的……。しかし、です。この作品において料理は、美味とは何たるかを語るものでも、物語を華やかに彩る舞台小道具でもありません。では何かというと、料理人の「誇り」と「人生」を証するバベットの骨太な哲学そのものとして扱われているのです。
「(略)あのかたがたは、おふたりにはまるで理解することも信じることもできないほどの費用をかけて、育てられ躾けられていたのです。わたしがどれほどすぐれた芸術家であるかを知るために。わたしはあのかたがたを幸せにすることができました。わたしが最高の料理を出したとき、あのかたがたをこの上なく幸せにすることができたのです」
晩餐会を終えたその夜、客たちを見送った姉妹は寒空に輝く星を見上げます。そして、大金を手にしパリに帰るであろうバベットとの別れを惜しみながら感謝を述べます。ところがなんとバベットは、自分は帰らない、賞金はすべて晩餐会の費用に使ってしまったと軽やかに言い放つのです。その晩の料理は、かつてパリの料理店で腕を振るい美食家たちを唸らせてきたバベットの、芸術家としての誇りを懸けた大盤振る舞いだったのです。なんと粋な──。
さて小説『バベットの晩餐会』には、映画では強調されなかったひとつの対比風景が浮かび上がります。至上の料理の美を芸術の粋とするバベットと、それを生涯理解することはないだろうマチーヌとフィリッパ姉妹の信仰心に満ちた素朴な人生観。本来なら溶け合うことのない人間同士。けれど3人は、その後も奇妙な親愛に結ばれ生活をともにする道を選んだのです。『バベットの晩餐会』の物語は、構造ばかりは19世紀後半のヨーロッパを舞台にしたおとぎ話のようでいて、人と人とが繋がる時代を超えた現実的な真理に通じているのかもしれません。
美味しい食べ物は、何を置いてもとまではいいませんが、ほとんどの人にとって好ましいもの。不味い料理、美味しい料理が並んでどちらか選べといわれたら、よほどヘソ曲がりでなければ不味い料理を選ぶ人はいないでしょう。小説やエッセイにおいても、美味しさは読者を惹きつける強力な武器となります。だからこそそれを描くなら、食通気どりの美食体験やほんわかムードの演出といった次元の“その先の世界”へと目を向けたいものです。『バベットの晩餐会』に描かれるように、美味しさはただ舌に快感をもたらすだけでなく、無論腹を満たすだけのものでもなく、未知のもっと深遠な何か、神秘的な何かと結びつく可能性を秘めているのです。それは何かと考えエッセイや小説を書く挑戦は、それこそ美味なる実りをもたらしてくれるのではないでしょうか。
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