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言葉で遊べば、詩も絵も躍る

2025年05月14日 【絵本・童話を書く】

「言葉遊び」は別世界のトビラを開く鍵

言葉を「音」だけでなく、体系だった「言語」として話す動物──人間。いうまでもなく私たちの社会生活において言葉は欠かせません。その言葉では埋めきらない細やかな機微を、非言語のノンバーバルコミュニケーションで補完しているといった具合でしょうか。しかつめらしく重要な事柄を口にする日もあれば、ありったけの愛を心を込めて囁きかける日もあります。そして気安い軽口が飛び交う楽しい一日もあります。気の置けない者同士であれば冗談もあり、いささか乱暴なもの言いもあり、一方で、社交辞令などという形だけの言葉が、もしかしたら私たちがもっとも多く接する言葉だったりするのかもしれません。といった具合に言葉は、身近すぎ当たり前すぎる存在であるがゆえに「人と話すのが苦手……」などと臆する人も少なくないにも関わらず、仕事でスピーチをする機会に遭遇したり、何かによほど啓蒙されない限りは、わざわざその技術を磨くというようなモチベーションを得ることはまずありません。たいていの人が「得意か?」と問われれば「得意ではないほう」という絶妙な逃げ腰のままに、とりたてて考えるところもなく、きょうもきょうとて“手もちの言葉”を発しているというのが実情なのではないでしょうか。いささか批判めいた口上となりましたが、いやいやそれでいいんです。それでも充分に日常生活は営めますし、同じ言葉環境にある者同士、十二分に楽しい時間を営むことができるのですから。そうした懐の深さみたいなところも「言葉」のいいところ。高尚なワードを高等な文脈スキルでつなぐ手練れめいた者だけが、常に上位に立ち幸せになれるということでもないのです。

そんな言葉の不可思議さは、詩や絵本の世界に触れるとなおいっそう強く感じられるものです。それら作品を分解し、文章上のレトリックを練る前段階、一字一句をいろいろな角度から眺めてみるのもおもしろきかな。もしまだこうした遊びの精神を発揮してなかったのであれば、いまからでも遅くはありません。ものは試し、さっそくやってみようではありませんか。たとえば「めっちゃすごい」という言葉について、しみじみと味わったり反芻してみるのです。「めっちゃすごい」の文字面をジロジロとよく見れば、そのうちぼんやりと「メッチャス鯉」なる謎の鯉の姿を現すこともありますし、赤ちゃん妖怪「ちゃすごい君」を「メッ!」と叱る母妖怪の表情が浮かんでくることもあります。「メッチャス鯉」からさらに「ハツ鯉」や「ドス鯉」「ヨサ鯉」「サア鯉!」「ケショウ鯉」など別の鯉の品種に言及することもできますし、もう鯉は飽きたしシツコイよとヒャッコイ涙で頬を濡らしたってよいわけです。ダジャレのオンパレードで、いよいよセンベロ酒場のカウンターで妙なからまれ方をしている気にもなろうかと思いますが、このように言葉そのものを制限なく自由に軽やかに扱って、愉快な韻を踏んだりダジャレを並べたり、逆にあえて意味を失わせてみたり……言葉で遊べば、ほら、別の世界が開けてきませんか?

きみ遊べよ、言葉で遊べば「大家」にも「魔術師」にも

詩人になりたいと詩を書く方なら、「言葉遊び」についてはすでによくご存じのことでしょう。詩人谷川俊太郎の手になる『ことばあそびうた』など好例です。

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

谷川俊太郎詩・瀬川康男絵『かっぱ』/『ことばあそびうた』所収/福音館書店/1973年

なんて歌うかっぱだらけの詩は、なかでも有名な一篇。かっぱが踊り、音が弾む、とても楽しい詩ですね。

さて、もうひとり「言葉の魔術師」という異名をもつ詩人がいます。ダジャレも連発すれば、ちょっとユーモラスで優しい言葉の世界も描く、内田麟太郎です。

うれしい たのしい いちねんせい
おっとせい くんせい らっかせい
せいせきおちたら きがせいせい

うれしい たのしい いちねんせい
きんせい もくせい めいおうせい
せいせきのびたら ようきのせい

うれしい たのしい いちねんせい
よそみせい ぽっとせい あくびをせい
せんせいおこったら ねたふりせい

うれしい たのしい いちねんせい
ほっとせい あっとせい みちくさせい
せいがのびたら にねんせい

内田麟太郎詩・長野ヒデ子絵『いちねんせい』/『きんじょのきんぎょ』所収/理論社/2006年

純真で、自由で、伸び伸びとした小学一年生。健やかな日常と社会、流れゆく時間に抱擁されて、すくすくと成長していく姿が目に見えるようです。

麟太郎の来歴は『絵本ナビ』さんのインタビュー記事に詳しいですが、詩人内田博を父にもち、ごく自然に詩を書いていきたいと志を抱いたようです。若い時分から現代詩を書き、29歳以降3冊の詩集を出版するも、看板屋の仕事で糊口をしのぐ日々を過ごしました。転機は37歳の終わり、ある事故をきっかけに「子どもの本を書こう」と決めたことにはじまります。そうして内田麟太郎の名を世に知らしめる『さかさまライオン』(絵:長新太/童心社/1985年)が生まれ、その後しばらくは絵本作家として活躍する麟太郎……でしたが、60歳に手が届こうとするころ、少年詩を書くことを思い立ちます。しかし、子ども向けに絵本の文章は書いてきたものの、こと詩となると、現代詩を書いてきた麟太郎の頭は、なかなか子どもが読めるような詩を発想してくれません。そんなある日、絵のような詩があってもいいじゃないか──とふと気づいたのでした。こうしてできあがったのが『なみ』(『うみがわらっている』所収/銀の鈴社/2000年)。ひらがなの「へ」が縦に11文字、横に8行並んで、「うみがわらっている」の1行が添えられた詩。「内田麟太郎 うみがわらっている」で画像検索してみてください。紙面いっぱいの「へ」は、まるで波たちが心を合わせて楽しげに笑っているかのよう。言葉とは、文字とは、視覚から感じ取れる、感じ取って楽しんでもいいんだ! ということをシンプルに教えてくれる作品です。この『なみ』をきっかけに麟太郎は自身の感覚としても新境地に至り、「言葉の魔術師」として言葉と戯れる世界を次々と切り拓いていきます。

「言葉」が絵になる、天衣無縫の世界を創る

内田麟太郎は、絵本『さかさまライオン』での「絵本にっぽん賞」受賞を皮切りに、数々の児童文学賞を受賞した童話作家の大家です。にも関わらずなんと冒険心と新しいアイデアに触発されている作家なのでしょう。自分は(元看板屋なのに)絵が下手だからともっぱら物語を創作する一方だったそうですが、またまたある日のこと、自作のオノマトペだけで構成された詩を読み返していて、この絵なら自分でも描けるんじゃないかと閃くのです。こうして出版されたのが自作絵による絵本『ぴぽん』(すずき出版/2021年)です。「ぴぽん」「みにょみにょ」「ぱぽ〜ん」と不思議なオノマトペにのせて、まるで子どもが壁いっぱいを絵で埋めていくよう。言葉が天衣無縫に飛び跳ねる、内田麟太郎ワールドの真骨頂です。麟太郎がこの絵本を書くにあたって大切にしたのは、「落書きのココロ、遊びのココロ」であったそうですが、「心」よりも「ココロ」の表現がいかにもふさわしい、まさに言葉と絵が躍る絵本です。

闘う? 遊ぶ? 純粋であれば、どちらでも

最後に、動物園のしろくまが見る優しい夢の世界が描かれた内田麟太郎の詩『ほっきょく』をご紹介しましょう。

どうぶつえんでうまれたしろくまは
こおりをだいている
きもちいいのか うっとりとめをほそめ

ねむいような ねむくないような
しろくまは きいている
どこかできいたことのあるなつかしいおとを
でも それがなにかはおもいだせない

りゅうひょうをふきわたるかぜ
なきかわす うみどりのむれ
とどのさけび
かあさんのおなかのなかできいていたもの

しろくまはだれにともなくつぶやく
「ぼくがすんでいたのは‥‥」
「あったかいところだったなあ」

内田麟太郎詩・長野ヒデ子絵『ほっきょく』/『まぜごはん』所収/銀の鈴社/2014年

動物園で生まれたしろくま。故郷の北極を見たことのないしろくま。ともすれば切なさを掻き立てそうなのに、しろくまの見る夢の風景はただ優しさと情愛に溢れていて心が温もります。6歳で実母を亡くし、継母に冷遇された麟太郎が見たかっただろう夢と重ねるのは、読者の徒な穿鑿というものでしょうか。言葉遊びの名人、内田麟太郎の詩や絵に触れると、言葉は、無心に付き合うほどに清らかに澄んでいくように思われてきます。

詩人になりたい、絵本作家になりたいあなたは、ひょっとして、日々言葉と格闘していませんか? もちろんそれも大事。格闘するほどの真剣勝負だって必要です。けれどときには、難敵と友好的停戦協定を結んで、無心に遊び戯れる、言葉とのそんな付き合い方も大切ではないかと思います。言葉は、作家にとって無二の仲間、親友なのですから。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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