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“壁”を打破する底力──リベラル・アーツの精神

2025年04月30日 【作家になる】

創作の壁を乗り越える一手

ああ書けない! 自分には小説なんて書けやしない! アイデアも行き詰った! もうダメだ! 自分には才能なんてないんだ! ……と真っ白な原稿やPC画面を前に苦悶する地獄のひととき。モノ書きを目指し日夜執筆に勤しむ方であれば、そんな時間を誰もが過ごしたことがあるはずです。文机に向かう前の「行ける!」という自身への期待が高いほどに、この落胆の反動は凄まじく、それはほぼほぼ自己否定と同義のレベルで書き手を苛むものです。そんなときあなたはどうしていますか? ひょっとすると是が非でもとデスクの前にかじりつき、書いては消し、消しては書き……と、まるで果てのない闘いに臨んでいるのではないでしょうか。まるで映画やアニメに登場する作家かのように。

ところがですよ。ああ何も出てこない……というのは確かに創作上の大事な正念場ではありますが、じっと原稿用紙を睨みつづけるというのは実はもっともしてはならないことなのです。睨めば睨むほど、書こうとすればするほど出るものも出なくなり、挙句、自信喪失と絶望の底なしループにはまり込んでいくばかり。むしろ「書けない」となったら、すぐさま原稿などうっちゃって、ほかのことをしたり考えたりすべき──という事実もまた、誰もが経験則から得ているのではないでしょうか。そして、もしその「ほかのこと」が、知的興味をおおいに刺激し想像の翼を広げてくれるようなものであったら、クリエイティブなリラクゼーションとなり、思わぬアイデアが閃き出て、たちまち執筆、創作への意欲をも蘇らせてくれる、なんてことだって往々にしてあるわけです。

自由人の底力「リベラル・アーツ」の衰退と事跡

さて、そこで問題になるのが「ほかのこと」です。小説を書くという創作の苦境から脱するためにはどのような「ほかのこと」をすればよいか? お笑い番組を観る、飼い猫と遊ぶ、折り紙を折る……といったことも、確かに気分転換には有効かもしれません。ただ、頭と気持ちのリセットといった効果は期待できそうですが、それだけのことで現状打破できればそもそも悩みもしないというもの。書けない自分を単に奮い立たせるだけではなく、書けない自分の創作力の底上げを図り、立ち塞がる“壁”を取り払ってくれるような「ほかのこと」が必要なのです。気分転換だけではなく、斬新なアイデアの浮上を促すために何をすればよいか──そこで目を向けたいのが「リベラル・アーツ」の実践です。

「リベラル・アーツ」とは、訳せば「自由学芸」、本来人が身につけるべき技芸、とされています。ことの起こりは古代ギリシア・ローマにまで遡り、中世ごろには文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の七芸が、人が自由に思考し、発想し、論じ、創作するために必要な学芸とされました。アリストテレスもレオナルド・ダ・ヴィンチも、リベラル・アーツを身につけていたからこそ、比類ない業績と作品を後世に遺すことができたはずなのです。すなわちリベラル・アーツとは、限りなき壮大な思索、創造へと道をつける、“自由人の底力”にほかなりません。

リベラル・アーツをシンプルに換言すれば「教養」となりますが、現代日本の小・中学校では古代の七芸に通じるジャンルを跨いだ初歩的な教育が行われています。大学でもかつては教養学部が花盛りで、幅広い分野を学び、総合的で柔軟な思考力、創造力を身につけたジェネラリストを養成すべく気運華やかでありました。ところがどうでしょう、かつて存在した教養部は、1991年の大学設置基準の大綱化に伴い多くの国立大学で廃止され、その後の大学改革のなかでさらに多くの大学で廃止される道を辿りました。ここにはジェネラル・アーツ(一般教育)を上手く根づかせることができなかった苦渋の歴史があるのですが、それはまた別のお話。なんにせよ、ジェネラリストではなくスペシャリストの育成へと教育方針の転換がなされたとも見えますが、リベラル・アーツという礎なしのスペシャリスト育成には、ある面で本末転倒の感をも抱きます。

ご存じのとおり、日本にも戦前には教養人と呼ばれる文人や哲学者が数多存在し、特に明治には多士済々の顔ぶれが見られます。その代表的なひとりである夏目漱石は、古今東西の文芸のみならず漢詩・俳句・書画に通じ、小説家、教師、英文学者、評論家、俳人の顔をもっていたのですから、西洋のリベラル・アーツ実践者にもまったく見劣りがしません。そして漱石の名作『草枕』は、彼のリベラル・アーツ結集の成果でもあるでしょう(当ブログ記事『“美文”は作家の心の鏡』参照)。

悉(ことごと)く書を信ずるは書無きに如(し)かず

竹田篤司著『明治人の教養』/文藝春秋/2002年 ルビは引用者による)

リベラル・アーツ華やかなりし時代の教養人たちを紹介する『明治人の教養』(余談ですが、この書が現在入手困難な状況にあること自体が、今日の世相を表しているようにも思えます)。本書に引用された上掲の一文は、明治3年生まれの哲学者、西田幾多郎の言として紹介されていますが、もとは孟子の言葉です。曰く、経典を無批判的に妄信するくらいなら読まないほうがいい──転じて、書物を読むときには、批判的な視点も必要である、と説く一文です。この考え方は「読書」ということの真の意味、読書体験における底力としてのリベラル・アーツの重要性を示す箴言といってもよいでしょう。

哲学者の言葉というものは、専門的な知識や教育をもたない者にとって、ともすると念仏か謎の惑星の言語のようにも映るかもしれません。何を言っているやら意味不明で、読むにしても数行でお手上げ……と端から敬遠する向きもあるでしょう。ですがしかし、こと「人間」を描かんとする作家の誰にとっても、人間存在についての思索と理解を目指す哲学は無縁ではないのです。ドイツの哲学者ハイデガー(1889-1976)は、著書『存在と時間』刊行に際してかく語っています。「古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない」(細谷貞雄訳/筑摩書房/1994年)──と。この段階で泡を食ったり眠くなったりしているようではいけません。

現代哲学に多大な影響を与えたハイデガーと同時代に生き、禅の修行に打ち込んだ西田幾多郎(1870-1945)。彼が晩年に論じたのが、「絶対矛盾的自己同一」。まずはこの言葉そのものを凝視し、思念を自由な世界に解き放ってみてください。あなたがリベラル・アーツの森へとわけ入る、またとない機会となるかもしれません。

「リベラル・アーツ」の精神は作家への道を拓く

『「西田哲学」演習』編著者である黒崎宏は、くだんの「絶対矛盾的自己同一」について次のように解説しています。

一面において〈昨日の私〉と〈今日の私〉は、同じではない、身心ともに異なっているからである。しかし他面において両者は、「黒崎宏」という一個の固有名で指示される、時を超えた自己同一者でもあるのである。その意味で両者は、同一なのである、同じなのである。即ち、〈昨日の私〉と〈今日の私〉は、同じではないが同じ存在なのである。その意味で両者は、矛盾的存在なのである。したがって結局、〈昨日の私〉と〈今日の私〉は「矛盾的自己同一」な存在なのである。このように、一つのものを多面的に捉えて一つに表すのが、西田哲学の特質なのである。

黒崎宏編・解説『「西田哲学」演習 ハイデガー『存在と時間』を横に見ながら』/春秋社/2020年

いささかとっつきづらい「矛盾的自己同一」を、非常にわかりやすく解きほぐした説明です。日本の哲学者のなかでも、その独創性で他の追随を許さない西田幾多郎。本書『「西田哲学」演習 ハイデガー『存在と時間』を横に見ながら』は、難解な西田哲学を理解するのに引く補助線として、ハイデガーとの共通点を挙げています。リベラル・アーツの成果ともいえる「哲学」の世界に触れられる、骨太なアンソロジー作品のひとつといえるでしょう。

リベラル・アーツの古代の七芸に通じるというのは、無理とはいわないまでも難しいことに違いありません。ですが、21世紀の令和、古代の七芸を学んだり、漱石先生に倣って漢詩を紐解いたりすることにこだわる必要はないでしょう。大事なのは「リベラル・アーツ」という精神を自分自身の軸に置くこと。つまりそれは、知の世界、創造の世界を自由に横断する素地を養う姿勢をもって作家を目指すこと、そしてその意識です。どんなことでもいいのですが、少なくとも、学ぶこと、考えることを教えてくれる「未体験の分野」に親しむ機会をもってみましょう。その挑戦で得る外界との接触は、必ずやあなたのなかに化学変化をもたらし、作家になるべく底力を培ってくれるはず。そんなあなたはもう、壁の前で立ち止まることはあっても、「ああ書けない!」と打ちひしがれて終わることはないでしょう。ひとたびリベラル・アーツの世界の扉を開けば、きっと光と道を見いだすことができるのですから。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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