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仰げば尊い──「アンパンマン」を創り上げた精神

2026年07月24日 【絵本・童話を書く】

国民的人気キャラクター「アンパンマン」は、なぜあんなにも

日本人なら誰もが知るであろう「アンパンマン」。とりわけ0〜3歳児には群を抜いた人気を誇りますが、その一方で「アンパンマンねぇ……」と、端からお呼びじゃないという態度の大人もいることでしょう。確かにアンパンマンが誕生したのは1960年代で、昭和の子どもたちが風呂敷をかぶってヒーローごっこに興じた時代。赤いほっぺにマントをまとった原色の多い彼の出で立ちは、当時の庶民感覚に通じるものがあります。それに、一撃必殺の技でスカッと敵を蹴散らすわけではなく、そもそも強いのかも怪しい……となると、現代的なヒーロー像とはかなりの隔たりがあることは否めません。

しかしながら、童話や絵本を創作する人にとっては、ほかでもない自分自身が産み落としたキャラクターを世に送り出すという点でも、また本を出したその先のキャラクタービジネスの面でも、無視できようはずのない本邦が誇るトップオブトップのキャラクターなのです。下世話な話になりますが、アンパンマンの売上規模が世界の名だたる人気キャラクターにも引けを取らないのはご存じでしょうか。国内需要が大半なのですが、それでいてある年の累計市場規模ランキングでは、「ポケモン」「ハローキティ」「ディズニーのくまのプーさん」「ディズニーのミッキーマウス&フレンズ」「スターウォーズ」に次いで堂々の第6位とのこと。英語版のWikipediaなどを見ても、評価指標の少し異なる「総収益が20億ドルを超えたメディアフランチャイズのリスト」において『バービー』を7位に退け堂々の6位ときています。つまりアンパンマンはもはや、我々の好き嫌いなど超越した“神キャラクター”なのです。子どもっぽい、古臭い……などといくら下に見るようなことを言ったところで、この世界でも指折りの市場規模を目の当たりにするとぐうの音も出ません。

するとやはりここで頭をもたげてくるのは、強くもなくカッコよくもないキャラクターが、なぜあんなにも……という嫉妬と羨望の入り混じった疑問。それは同時に、ヒーローものをはじめとする物語作家を志向する人にとっては非常に重要な着眼点でもあります。絵本や童話を描きたい人ももちろん目を逸らすわけにはいかないでしょう。いったいその人気の秘密はどこにあるのか。幼児に安心感を与えるといわれる「丸」が多いキャラクターデザイン? 確かに丸を多用した人気キャラクターはいろいろ思い浮かびますが、そのなかでもアンパンマンの顔のなかに丸が6つ(顔・目×2・鼻・頬×2)、半円が3つ(眉×2・口)、手のひらまでも丸いというのは群を抜いているかもしれません。しかし、本当にそんな単純な話なのでしょうか。

メディア界きっての識者はかく語りき

なぜ、アンパンマンはそれほどまでに日本中の乳幼児に愛されるのでしょうか?
なぜ世界的なビッグビジネスに成長したのでしょうか?

柳瀬博一『アンパンマンと日本人』/新潮社/2025年

と、近著においてストレートな疑問を発したのは、東京科学大学(東京工業大学と東京医科歯科大学が統合)のリベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏。日経ビジネスの記者を経て単行本の編集者となった氏は、メディア論の領域で教壇に立つ以外にも、ラジオやテレビなどのメディアで活躍するマルチな論客です。ちなみに、柳瀬氏とやなせ氏は同姓ですが、おふたりのあいだに血縁関係はありません。

さて事実、前述のメガヒットキャラクターのなかでも、世界的なヒーローキャラクターのなかでも、アンパンマンはその風貌からしてどことなく異色です。先のように問う著者は、それはビジネス戦略によるものでもなければ偶然のヒットでもないと明言しています。なぜなのか? その理由にこそ、アンパンマンの人気の秘密が隠されているとして紐解いていきます。アンパンマンはいまでこそテレビアニメや映画、いやもっと見かけるのは幼児玩具やグッズといった生活のあらゆる場面においてですが、もちろん当初は絵本のなかのキャラクターでした。そのあとがきで、著者のやなせたかしはこう語っています。

子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行なえませんし、 また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。

やなせたかし『あんぱんまん(やなせたかしのあんぱんまん1973)』フレーベル館/1973年

アンパンマンの初出は絵本になる前の1968年のこと。初登場時「大人のメルヘン」の構想があったそうです。もともとのイメージは「冴えない中年男」。『アンパンマンと日本人』の著者柳瀬はそれを、メディア業界で便利屋のごとくあくせく走りまわっていたやなせたかし自身の心情と無縁ではないと述べています。だとすれば、そのような“冴えないリアル中年男”が、どのようなヒーローになりたいと思うか? ほとんどの人が無敵のスーパーヒーローを夢想することでしょう。そんな栄養ドリンク剤のCMを見たことはありませんか? しかしやなせたかしが思い描いたのは、飢えた人に自分の顔を食べさせるという、およそ「スーパー」とはほど遠い、文字どおり我が身を削って人を救う風変わりなヒーロー「アンパンマン」でした。

作家が己の傷を反映させて創り上げたヒーロー「アンパンマン」

自分のつらい体験、思い出すのもつらいどん底の体験を、人はどのように胸のなかに収めているのでしょうか? たとえそこまでの実体験がなくてもかまいません。作家になりたいと願う方ならば、作中の人物に憑依するつもりでイメージしてみてください。固く蓋をして思い出さないようにしている? 何か楽しいことをして発散するよう努めている? 誰かに吐き出して慰めを得ている? どのような傷も苦しみも、“時”がゆるやかに癒してくれるということはあるかもしれませんが、真に深い傷が癒えることなどないのです。大正8年に生まれ、戦時下に無惨で過酷な体験をしたやなせたかしも、やはりそんな傷を抱えた人物でした。そして彼が選んだ答えが、アンパンマンというキャラクターを創る道だったのです。「創作」とは自己の実現にほかなりません。やなせもまた、アンパンマンを創ることで自分自身の何かに挑戦していたのでしょう。

軽々しく「キャラクター」と呼ぶことさえ躊躇われるくらいのアンパンマンには、やなせにとって重大なふたつの思想が込められています。ひとつは、誰かを、何かを、恨まないということ。幼くして父を亡くし、再婚した母は兄弟を置いて出ていき、たったひとりの弟さえ戦争で亡くしたやなせは、ときを経て、恨まない、見返りを求めないという信条をアンパンマンの心に宿らせました。そして、苛酷な戦争体験のうちでももっとも耐え難かったとやなせが語ったのは、飢え。自己犠牲を厭わず、お腹を空かせた人を「あんぱん」で救うアンパンマンはこうして誕生したのです。真の飢餓状態など誰もがとうに忘れたようにさえ思える現代日本において、こうしたコンセプトをもつアンパンマンが時代を問わず大きな支持を得ているというのは、不思議でありながら必然性をも感じる謎めいた現象です。

マーベル・スタジオ作品が好きな方なら頷かれることと思いますが、昨今のアメリカのヒーローたちもその心の弱さを覗かせるようになってきました。まるで、9・11同時多発テロ以降、アメリカンヒーローのつくり手が、正義を遂行することの矛盾や、視点の違いによる正義そのものの裏表を無視することはできない、と率直な思いを作品を通じて表明しはじめたかのよう。そうした作品が人気を博しているということは、それらを楽しむ観衆もまた、その心理に共鳴しているということなのでしょう。まん丸な顔を弱者にわけ与えては、丸が欠けること度々、スカッとカッコいい! とはおよそ言い難いヒーロー「アンパンマン」。けれど、その心の美しさや尊さは、きっと年端もいかない子どもたちには届いている。それは、すばらしいことだと思いませんか?

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