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SFが問いかける、人類と生命の未来

2026年08月12日 【小説を書く】

遥かな未来への夢や憧れは今、新たな警句へと変わった

スタンリー・キューブリック製作・監督によるSF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』。本作でキューブリックが描いた「未来」である2001年を追い越し、現実世界では早くも四半世紀が過ぎ去りました。個人個人のリアルと仮想空間をつなぐスマホの普及や近年目覚ましいAIの台頭……。かつては異世界の物語のように、現実からはるかに隔たった空想の産物と思われていた数々のアイテムや出来事も、いまでは違和感なく身近なところで受け入れられるようになっています。キューブリック作品だけではありません。多くのSF映画や小説がかつて「未来」として描いた世界は、いまやなかば現実のものとなるばかりか、完全にその先を行っているのです。ああ、偉大なり人類よ! 『2001年宇宙の旅』の公開からおよそ60年、人類の進歩には目覚ましいものがあります。しかし、進歩の陰で失われたものはなかったのか、誤りはなかったのか、すでに問いかけがはじまっているのも事実です。作家を目指す者にとっても、真摯にその来し方を振り返り、検証し、行く末に目を据えるべきタイミングに差しかかっているといえるでしょう。

もとよりSF(Science Fiction:サイエンス・フィクション)とは、未知の世界への夢や憧れを喚起する単なるエンターテインメントには終わらず、しばしば人間たちの来し方を戒め、行く末に警鐘を鳴らす役割をも担ってきたジャンルのはずです。だというのに、SFのなかでの「未来」が現実化しているいま、その警句はどこへ行ったのでしょう。人類滅亡をも示唆する警句は、決して忘れ去られてよいものではありません。戒めと警告に、私たちは本当に応えられているのでしょうか? 数々のSF大家が告げた言葉は、21世紀となった現在、どこに、どのような形で存在しているのでしょう。作家になりたいなら、小説を書きたいなら、読者や社会に考えさせるメッセージを発する立場として、ひとつここはしっかり考えておきたい要点です。

「文明」の対極にある「自然」への恐るべき示唆を秘めたSF

SF作品で描かれる世界では、たびたび科学の急速な進歩や文明化に対して疑問が投げかけられてきました。日本におけるSFアニメの嚆矢『鉄腕アトム』はなんといったって原子力の申し子ですし、リブート版『猿の惑星』はバイオテクノロジーによる終末後の世界の話。そこには、忘れてはならないものとして、文明の進化の対極にあるともいえる「自然の理」への示唆がありました。いかなる科学機器も道具も凌駕する、予測しきれない大きな力をもつ自然がもし反乱を起こしたら? アトムの放送開始からおよそ半世紀が経った2011年3月、私たちが予測し得ないほどの「大津波」という自然の脅威が、人類の発明史において莫大なエネルギーを生み出してきた「原子力」を壊滅的な事故へと追い込み、日本人をはじめ世界中の人々を翻弄しました。そんな恐るべき世界を描くSF作品的な現代社会に、本を書きたいあなたは何を見、何を感じるでしょうか?

 断ちきることのできない法則に従いながら、やみくもに、異様にひろがってゆく。
 熱、光、温(しとり)──変ることのないもの、決して変ることのなかったもの……しかし、それがどれくらい続いているか誰も知らない。もはや、“どれくらい……”とか“なぜ……”ではじまる大きな疑問に気をとめるものはない。もう、そこは思考の場ではないのだ。成長が、植物が、それにとってかわっている。そこは、まるで温室だった。

ブライアン・W・オールディス著・伊藤典夫訳『地球の長い午後』/早川書房/1977年

ブライアン・オールディスの『地球の長い午後』で人類を追い詰めたのは、よりにもよって太陽でした。地球の自転が止まり、太陽光を浴びたままの世界と永遠の暗闇世界ができあがってしまったのです。光を浴びた側はつまり“永い午後”の世界となり、ここで強大な力を得たのは植物でした。光合成に必要な光をこれでもかと受けた植物たちは、巨大化し、食肉化し、他の生物に寄生したり殺し合ったりする種も現れます。生き残った人類はといえば、体は小型化し、知能は退化し、体色は緑色となっています。SF映画の巨匠ジェームズ・キャメロンの映画『アバター』に登場する異星人ナヴィは生来から鮮やかなブルーの体色ですが、『地球の長い午後』の人類は地球環境へ適応すべく異形として生きる道を選んだのです。そうして巨大植物が支配するようになった地球で、知性ある存在として躍動するのは「知能の胞子」をもつ菌類アミガサダケ。物語は、このアミガサダケに寄生された少年グレンの行く先の見えない旅を描いています。

沈黙のうちに生きる「植物」に人は何を思い、見るか

凶暴な力や知性めいたものを得た、もはや植物とは呼べないような植物たちが跳梁跋扈する世界。人類は植物と戦う道を選ぶことなく、餌食にならないよう小さなグループを形成してひっそりと息を潜めるように生きています。大人たちは時が来れば〈天〉にのぼる定めにあるため、グループを形成しているのはほとんどが子どもたち。主人公のグレンは、グループの女長と衝突して仲間から追放され、放浪の旅を余儀なくされます。グレンに寄生したアミガサダケは、自らはグレンを助け導く存在だと語り、彼の内に眠る人類の記憶や知恵を引き出していきます。そうして過酷な旅をつづけるグレンはやがて、人類誕生の驚愕の真実へと辿り着きます──。

『地球の長い午後』が描く、もはや空想科学の域を超えた壮大なビジョンは、人類の創生や歴史に対する私たちの認識を揺さぶるものがあります。そもそも植物とは、私たちにとってどのような存在でしょうか。光合成によって他の地球上生命体の命を支える酸素を生み出し、その果実や葉や幹や根によって多くの生物が生きる環境を土台から形成する植物は、生態系の基盤ともいえる存在です。そんな植物を人間はいったいどのように扱っているでしょうか。殺戮を思わせるほどの森林伐採、外来種の気まぐれな持ち込みや交雑、あるいは特定の作物に依存するモノカルチャー、果ては遺伝子操作とやりたい放題ではありませんか。確かに生態系のなかで人間は特異な存在です。しかしそれは創造主に“選ばれし存在”なんていうことではなく、単純に驚異的な知能と協調性の欠如によって地球上で肥大化しすぎた膿であるといえなくもありません。いつか、そんな人類が築いてきた世界の前提そのものが覆される可能性を、果たして否定できるでしょうか?

読まず嫌い? それとも、読んで未来の名作をモノにする?

オールディスのみならず、ブラッドベリやアーサー・C・クラークらが描いたSF古典には、読む者の世界認識を揺さぶる力があります。そこには、既存の社会や価値観、人類の在り方を問い直す視点があり、未来への警鐘を打ち鳴らすに留まらず、地球の創生や生命誕生といった起源──人類の遠い来し方をも振り返らせる、脱・人間中心主義的発想が存在します。見方を変えれば、SFの名作古典は、現在や未来を描く物語のアイデアの宝庫。作家を志す者としてはぜひとも押さえておきたいところです。事実『地球の長い午後』は後世のSFやファンタジー作品にも影響を与えたといわれており、先述の『アバター』や『風の谷のナウシカ』などにもその類似性を見出す声もあります。ジェームズ・キャメロンや宮崎駿といった現代を生きる巨匠たちも、過去の名作から刺激を受けながら新たな物語を生み出してきたことでしょう。既存の作品を受け継ぎ、そこから新しい価値を創造することもまた、後世を生きる作家の使命であり、それもまた創作活動の大きな活力の源となるのではないでしょうか。

人類の来し方と行く末を考えさせ、小説を書きたいあなたに新たなビジョンをもたらしてくれるかもしれない「SF」というジャンル。あらためて紐解き、その圧倒的世界観に深々と浸ってみることは、百利あって一害なしではないかと思います。

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