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「本を書きたい」人が読むブログ
「本を書きたい!」「本を出版するには?」と思っても、何からはじめたらいいか、わからないことがワカラナイ――という方も多いでしょう。当コーナーでは、小説を書くうえでのポイントや、読み応えのあるエッセイの文章構成、評価される詩の共通点などを、具体的な事例とともに解説。
本になる前の原稿を数多く読んできた文芸社ならではの視点で、あなたの一文が作品に生まれ変わるまでのお手伝いをいたします。

小説家の仕事――「未来」を探し、「未来」を見せる

2018年03月30日 【小説を書く】

「未来」とは、ストーリーが辿りつく終着点

上の画像を見て「何」を想像されるでしょうか。80年代後半を少年・青年として過ごした方なら、いやいや何をって「未来」でしょ――と即答されることでしょう。平成生まれのキッズ(といっても元年生れはもう30歳ですが……)向けに解説を入れておくと、上の車はデロリアン。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに登場するタイムマシンです(タイムマシンという設定こそ映画内の演出ですが、デロリアン自体は実存した自動車)。

さて本稿、「未来」を語るわけですが、かといってSF小説の書き方指南編ではございません。少々観念的な言い方になりますが、「未来」とは創作する上で考えなくてはならない「要素」のひとつである、というお話になります。たとえば小説を書くとすれば、たいていの物語は未来へ向かって進んでいくものであり、ストーリーには必然的に過去から未来へと至る時間軸が存在します(稀に「過去」に向かったり、時間軸が錯綜していることもある。)。つまり近未来を描いたSFでなくとも、物語の結末は「終わり」であると同時にストーリーが帰結した「未来」でもあるのです。ゆえにそこには、著者なりの作品なりの「未来」に通じる何らかの見解や情感が孕まれていて然るべき、というわけです。

では、「未来」というと、まずどのようなテーマや情感を思い浮かべるでしょうか。「希望」や「ポジティブ」? そう。確かに希望やポジティブなメッセージ性はこれまでにも数々の物語に託されてきました。目にも心にも快いテーマといえるかもしれません。けれども「未来=希望」という図式は、使い古された感が否めず、陳腐に堕する危険性もあるし、創作世界としていささか単調な色合いを感じさせもします。ならば逆にダークネスな世界? うーんそれはもうハリウッド界隈にお任せしておきましょう。もしあなたが、小説家になりたい、作家になりたいと心に期するならば、「未来」についてはもっと緻密に考察する姿勢をもっておきたいところ。ある一作の執筆前夜、あなたが望む「未来」とは、創作のテーマであり、主旋律であり、色であり、書き出しのワンフレーズを決める本源でもあるのですから。

哲学的な時間軸に「未来」を考える

無限の可能性をはらんだ未来の観念が、未来そのものよりも豊饒なのであって、所有よりも希望に、現実よりも夢に、いっそう多くの魅力が見出されるのは、そのためである。
(アンリ・ベルクソン『時間と自由』岩波書店/2001年)

過去・現在・未来は19世紀以来の哲学的なテーマでもあります。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンが、純粋な時間持続について論じた著書『時間と自由』で、人間の感情の深さを説明した上の一節は、「未来」という観念の幻想とこれに惹きつけられる人間心理を明快に表しています。たとえばSFには、「過去」「現在」「未来」が円環状に繋がった構造が見られることがあります。これは、有限の時間が円になることで「永遠」という無限の時間の流れを生むという、哲学的・宗教的テーマに基づいていると考えられますが、ここにSF作家ならずとも創作のヒントを見い出すことができます。つまり、この円環に収められた「時間」を、SFではない発想で表現するとしたらどうなるか――

メキシコ人女性の作家エレナ・ガーロには、現代ラテンアメリカ文学史に刻まれる『未来の記憶』(現代企画室/2001年)という代表作があります。この作品において「未来」は、時間と生の、まさに円環のなかに組み込まれたものとして扱われています。主人公はメキシコのとある寒村出身の一少女。ストーリーは、彼女が村はずれの石の上に腰かけて過去の出来事を回想する形式で綴られていきます。多彩な幻想風景を交えて織りなされる、いわゆる幻想文学の系譜に連なる一作ですが、結末、少女が腰かけていると見えた石が実は少女自身であり、自らの行ないを断罪され石に変えられた少女が、じつは未来の記憶を語っていたのだと明かされます。そうして読者の前に形を現す「時」の円環が、音楽でいうところのリフレインの働きを見せ、しばしその残響のなかに読む者を留め置くのです。虐げられた村の出身である少女の過去と悲しみは、石のなかに封じ込められ、禁じられた愛に飛びこむ自由な魂の姿は「未来の記憶」として永劫に亘って語り継がれる――。ギリシャ神話を思い起こさせる幻想的な物語は、祖国メキシコで反体制運動に身を投じてきたエレナ・ガーロの描く美しい哀切な未来の夢ではなかったでしょうか。

「時間」と「想像力」の近似関係

次に考えてみたいのは、「未来」を「時間」ではない流れのなかに置くことはできないか、ということです。「未来」なんて語にするから時間軸に縛られがちなのかもしれません。それをあるいは「未知」と意訳してみてはどうでしょう。そうすれば現在から未来へとつづく流れ、さながら「道」を形づくるひとつの眼目として、「想像力」が挙げられると理解できるのではないでしょうか。つまり、創作・創造という観点から根幹的な意味での「未来」が何であるかといえば、それは「想像力の行き着く先」だということです。

ここから先は誰にとっても未知の領域だ。地図はない。次の角を曲がったところに何が待ち受けているか、曲がってみなくてはわからん。見当もつかない。
(村上 春樹 『1Q84 BOOK 1』新潮社/2009年)

村上春樹のミリオンセラー『1Q84』のこの一文は、物語の主題と直接のかかわりはありませんが、いみじくも「未来」と「想像力」の相性を知らしめるキャッチコピーのごとき響きをもって作家志望者を煽ります。この絶妙さ! 当ブログに引用しないわけにはいきませんね。まさにそのとおり、「見当もつかない」けれど物語の必然である「未来」。創作・創造を志す者には、比類ない「未来」の創造が課せられているのです。イメージはもっと自由に、飛躍的に。まずは文章や映像に囚われなくてもいいではありませんか。物語を書く、詩を書くといった文学・文芸への創作アプローチは、どういうわけか沈思黙考し論理を積み重ねることと同義と捉えられがちですが、着想段階においては、絵を描いたり工芸物を掌で捻り出したりデザインを起こしたり……といった芸術活動と同じく、インスピレーションに頼るところが大きいのは何ら変わらないはずなのです。

作家の卵たちよ、「未来」を狭めぬために自由であれ――

ファンタジアの豊かさは、その人の築いた関係に比例する。その人がきわめて限定的な文化の中にいるなら、壮大なファンタジアはもてず、いまある手段、すでに知っている手段を常に利用せざるをえない。
(ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』みずず書房/2006年)

20世紀初頭に生まれ、デザインや創作全般もろもろのジャンルで活躍したブルーノ・ムナーリ。クリエーションという分野に枠を設けず革新的な作品を発表しつづけた彼は、まぎれもない未来感覚のもち主です。ムナーリの定義によれば、「ファンタジア」とは想像力を意味するもの。そして、オトナたちは想像力の限界を自ら定めてしまうと指摘します。

子供は壮大なファンタジアの持ち主だと多くの人が信じている。なぜなら、現実的でないものを子供のイタズラ書きや話す内容から感じ取るからだ。あるいは、大人は、自分がずいぶん条件づけられて行き場のない状態にあるから、もう子供と同じように発想できないと感じ、子供の壮大なファンタジアを信じ込んでいるのかもしれない。しかし実際には、子供もきわめて単純な操作をしているに過ぎない。つまり、子供はよく知らないものに知っているものを投影しているのだ。
(同上)

ブルーノ・ムナーリは数々の絵本も世に送り出しましたが、それらはいずれもワッとのけぞってしまうような知的な驚きと発見の楽しさに満ち溢れています。「霧」の表現にこだわった『きりのなかのサーカス』、手垢だらけなのに包みを開けたくてたまらなくなるという「プレゼント」の本質を描いた『たんじょうびのおくりもの』、子ども向けの絵本なのに「闇」をテーマに表現した『闇の夜に』……などなど。なかでも逸品なのが『本に出会う前の本』シリーズです。文字もなく絵もなく、ふわふわの白い毛が入っていたり、透き通っていたり、スポンジやフェルトでできたページにちょっとした仕掛けが施してあったり。およそ40年前に発表(2002年に復刻版が出版)されたそれら不思議な本は、いつの時代に見ても未来的な斬新さを感じさせ、想像力の世界の自由と無限の広さを私たちに教えてくれます。印刷所や製本業者を泣かせるほどの特異性をもった本は、一歩引いてシラケた態度で手にしようものなら、それが「本」である必要性すら疑われますが、それでいて誰にとっても間違いなく「本」であり、その帰結こそが「本」の可能性を語りかけてくるようでもあります。

同じレールを進んでいけば当然、行き着く場所も皆同じ。そんな混雑甚だしい場所から発せられる声を聞き分けるのは難しいものです。あなたの作品が発する声は、どこから響いてきますか? もしいまあなたが、作品の「終わり」を「未来」と定義できたとしたら、発想の新しい入口に立ったともいえるのです。自由に大胆に、誰も見たことのない「未来」を探しに行きましょう。そしてその一端に、読者を触れさせてあげましょう!