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いまさら聞けない「ビルドゥングスロマン」とその未来

2018年06月15日 【作家になる】

道を拓いたのはあの世界の文豪

「ビルドゥングスロマン(独:Bildungsroman 和:教養小説)」という語をご存じでしょうか。大学などで文学界隈を渉猟した方ならハイハイという感じでしょうが、一応、辞書的な説明を挟んでおくと、「Bildungs(形成)」+「Roman(長編小説)」=「Bildungsroman」という表現を最初に用い、それを小説の一主題として定義づけたのは、ヴィルヘルム・ディルタイという19世紀後半に生きたドイツの哲学者でした。「教養小説」などと和訳されるものだから凄まじくわかりづらくなっていますが、よく使われる別名「成長小説」のほうがよほどその体を表す訳といえるでしょう。つまり、年若い主人公の心の成長や人間形成の過程を描いた小説のことです。「青春小説」とまで意訳するとエンタメ色が強くなる気もしますが、でもまあエンタメ小説隆盛の今日にあっては、もはやそれもビルドゥングスロマンの一角を成していると捉えたほうが、この方面の話には手をつけやすいかもしれません。

さて、ディルタイがビルドゥングスロマンを論じた筆頭の作家は、かのゲーテ。ドイツといえばゲーテ、ゲーテといえばドイツ文学。青年の日に『若きウェルテルの悩み』を描いたゲーテが、若者の自己形成を眼目として小説を書き継いでいったことは、当然の成り行きであるという以上に、深遠な文学的挑戦であったはずです。ドイツ文学において、フランス的ロココ主義からの脱却を目指し、古典主義の楔(くさび)となり、愛について、悪について、生と自然の理(ことわり)について思索しつづけたゲーテこそ、ドイツが誇る比類ない名匠(マイスター)でありました。しかし、今回取り上げるのはゲーテその人ではなく、ゲーテ作『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』。のちにビルドゥングスロマンの開明的小説と呼ばれることになる一作です。

そのスタイルに伝統的模範あり

自分ではなにもしないうちに機会が用意され、自分のもくろみを果たす手段が手に入ったのである。彼の情熱は大きく、これまでの生活の重圧を逃れて、新しい、より崇高な道を歩もうとする自分の行動は完全に正しいと、彼は心底から確信していたので、少しも良心の痛みを感じず、なんらの不安もなかった。それどころか、こうして父をあざむくのを神聖なことのようにさえ思った。(中略) 期せずしてすべてが寄り集まって生じたこのたびのことを、導きの運命の合図だと思った。
(ゲーテ著・山崎章甫訳『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』岩波書店/2000年)

『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』が刊行されたのは1796年。恋に破れた主人公ヴィルヘルムが演劇人を目指し、さまざまな人生の浮沈を経験する様子を描いています……と概略を書くだけでは、現代人にいまさら珍しいところは感じられませんが、この作品が発表されるまでは、青年の精神的成長をストーリーとして構築するという発想は不思議なことにほとんどなかったのです。どうもパイオニア的発想とは、奇想天外な着想をトリッキーに掴み取るというよりかは、思いがけない視角を得て、もともと存在していた四次元世界に気づくようなものかもしれませんね。目隠しの擬装カーテンを開けば、たちまち誰でも知るところとなるのに、それ以前にはまったく目に映らない世界――。そのような文学世界に開眼したゲーテは、若者の精神修養のため、みずからが教養とする知識や行動指針を端正な構造のなかにちりばめます。それが「ビルドゥングスロマン」命名の所以であり、後進の揺るがぬ模範となったのでした。和名が「教養小説」とされているのは、そうした命名の背景を滲ませるためでもあったのでしょう。が、現在に至ってはもはや「教養」という語がまとう空気は、いささかおカタく高飛車な印象が強過ぎる感じもします。

後継者が描いた「死」と「教養」の関係

ゲーテの範に則って書かれた有名な小説に、トーマス・マンの『魔の山』があります。かつて文学青年たちに思索のフィルターとしてひっぱりだこであった、ビルドゥングスロマンの金字塔と呼べる一作です。

「ここにいる連中は普通の時間なんかなんとも思っていないんだ。まさかとは思うだろうけれどね。三週間なんて彼らにすれば一日も同然なんだ。いまにきっとわかってくるよ。なにもかもきっとのみこめてくるさ」といってから、ヨーアヒムはこう付け加えた。「ここにいると概念が変ってくるんだ」
 ハンス・カストルプはじっと横からいとこを眺めていた。
(トーマス・マン著・高橋義孝訳『魔の山』新潮社/1969年)

『魔の山』は、アルプス山中のサナトリウムに従兄を見舞った主人公が、自分も同じ病気であることを知り入院を余儀なくされる、その7年間のサナトリウム生活を描きます。平凡そのものの主人公の青年は、死と向き合う療養生活中、愛に目覚め、主義主張の異なる患者同士が繰り広げる激しい議論の洗礼を受けながら、自己形成を遂げていきます。マンが『魔の山』を脱稿したのは、第一次世界大戦開戦の年の1914年。戦争の張りつめた空気のなか、マンはなぜ閉鎖的なサナトリウムを舞台とし、主人公を結核という死病の病苦の身としたのでしょうか。いえるのは、死の試練を背負った主人公の成長とは、それ自体がすでに死の超克を表しているということ。それが、日本の文学青年たちに大きな衝撃を与えた『魔の山』の核心だったのではないでしょうか。

ビルドゥングスロマン in JAPAN

さて、日本のビルドゥングスロマンの成り立ちを見ると、まず夏目漱石の『三四郎』が挙げられることが多いようです。執筆は1908年、進学のため上京した純朴で生真面目な主人公三四郎が、恋や望郷に、また学問生活のなかで、揺れる姿を描いています。たびたび口にされる「ストレイシープ(迷える羊)」という言葉。それは、やがて社会の“罪”に対峙していかなければならない青年像を象徴していたのかもしれません。

ほかには、自伝小説といわれる幸田文の『きもの』にも、「着物」との関わりを通して成長していく明治末年生まれの少女るつ子の姿が描かれています。

「これ着るの嫌。また継ぎだらけだもの。」
「またはじまった、文句屋が。嫌なら仕様がない、よしてもいいよ。」
「ああよかった。よしてもいいならよすから、ほかのだしてよ。」
「ほかのなんてありません。いままで着ていた綿入れしかないんだからね。」
「だって、あれもう穢くなってるもの。」
「だから、きれいに仕立直したのをあげたでしょ。」
「いやだあ、背中の模様がひんまがってるんだもの。」
(幸田文『きもの』岩波書店/1996年)

着物が女性の日常着であった時代です。そんな着物に確たるこだわりをもつということは、いまでいえばファッションを数段高い位置から認識しようという試みになるでしょうか。世界を席巻するファストファッションに背を向けて、今日的なオートクチュールの在りようを模索する少女がいたとすれば、やはりその姿は平凡ではない資質を感じさせます。『きもの』の主人公るつ子も同様。当時にあって格段に進歩的といえる彼女の意識に接すれば、確かにこの作品は移り変わろうとする大正期を背景に、着物を通して時代と少女の目覚めを描いた「教養」が花開く物語であるといえるでしょう。

平成の奇想にビルドゥングスロマンの未来を見る

時は変わって平成の世。小説家・松浦理英子は、ある日突然足の指がペニスになった女性の遍歴を描きました。設定からいかにもシュールな作品をビルドゥングスロマンと呼ぶことに、異を唱える人もいるかもしれません。けれど『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』をもじったタイトルをもつ本作品『親指Pの修業時代』に、パロディを超えた作者の意識が働いていることは明らかです。なぜならその構造には、しっかりとビルドゥングスロマンの定理も用いられているのですから。ゆえに、ええこれはもう立派に現代のビルドゥングスロマンと呼んでいい作品なのです。

この作品の評では、「フェミニズム」や「ジェンダー」といったキーワードが度々登場しますが、そんな現在的なわかりやすいケースに当てはめることなく、もっと素直に読むことをお奨めします。

ごく普通の女子大生であったヒロイン一実(かずみ)は、ある日右足の親指がペニスになるという甚だ困った身の上に置かれます。当然襲いかかる葛藤と混乱。その渦になす術もなく引きずり込まれるなかで、一実は性にまつわるありとあらゆる特異な経験を積み、“現実的”な成長を遂げていくわけです。それはすなわち、セックスも人生ももっと自由に楽しんでいいんじゃない?――という悟り。とまあこの帰結が、いかにもわかりやすい「フェミニズム」「ジェンダー」評を呼び込んでしまうのですが、そういう短絡的なカテゴライズをどこか小馬鹿にするように、タイトルにも作中にもいつでも「親指P」が文字どおり屹立・律動しているわけですから、その様はまさにシュール。そこに「――の修業時代」と付されれば、それはもはや原典へのオマージュすら感じさせ、多くの作品評とは距離を置いた正真正銘のビルドゥングスロマンを狙った作者の意欲すら窺えるというものです。そしてそんな物語には、新時代のビルドゥングスロマンを考える上でのヒントが隠されているようにも思えるのです。

伝統とアイデアで新時代のビルドゥングスロマンを書く!

さて、作家になりたいあなたにお訊ねしましょう。“若者の自己形成や内面的成長”、そんな手垢のついたような堅苦しいテーマは“ベタ”でしょうか? エンタメ傾向がますます強くなる現代の商業小説の世界において、そこを描こうとすること自体が時代錯誤だとお感じになりますか?

然れども、いまこの時代、ビルドゥングスロマンはいっそう必要だという気がしてなりません。IT、AIの台頭により新たな時代が幕を開けようとするいまこそ、現代から未来へと語り継ぐに足る普遍的な精神の成長の物語が求められているのではないでしょうか。なにも明治期や戦前の時代性や価値観に縛られた往時の名作に倣って、樟脳くさい“名作モドキ”を描けと言っているのではありません。「ストレイシープ」と呟いた三四郎は、名を変え相貌を変え、この時代のどんな街角にも蠢いています。右往左往し彷徨える若者像はいまもむかしも変わりません。いいえ、社会の構造がいっそう複雑で多層化する時代にあっては、もっと果てのない“迷い”のなかにいるとも考えられます。しかもそれは、青年に限らずより広範な世代にまで広がっています。

「小説を書く」を仕事とすることを許される者に当てられるひとつの役まわりは、ひょっとするとそんな迷える羊たちを導く牧人になることなのかもしれません。そうした先導者としての背中に、小説家を志望する私たちは憧れるのかもしれません。ビルドゥングスロマンとは、畢竟、小説家のバイブル。さあ小説を、物語を書きたいと志すあなた、ビルドゥングスロマンの伝統と未来をしかと見つめて、ぜひ新時代のビルドゥングスロマンの高らかな産声を憂き世の民に聴かせてあげようじゃありませんか!

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