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愛は思想を超えるのか? その答えに創作の「鍵」がある

2020年01月10日 【小説を書く】

「愛」と「思想」は同列に語れない?

皮肉っぽく聞こえてしまうかもしれないけれど、「愛」、より平たくいえば「色恋沙汰」は、作家や読者、視聴者たちの大好物です。物語において、しばしば至上のテーマとされるのが愛であり、主人公らは愛のために泣き、笑い、愛を我がものとするために葛藤し、奮闘し、人をも殺します。逆に、無念にも愛を手に入れられないとき、その愛を諦めさせるのもまた、それよりひとまわり大きな愛だったりもします。しかし世に出まわっている書物には、ときとして愛を超越するものが描かれていることがあります。相手が愛だけに、たやすく超えられるわけはありません。苦悩の果て、呻吟の果てにようやく超えようとするのですから、いっそう劇的です。身をふたつに裂くような痛ましさで、愛から遠ざからせんと人を苦しませるもの――それすなわち「思想」です。

では、文芸ジャンルにおいて愛よりも思想のほうが重いテーマなのかといえば、もちろんそんな単純な話ではありません。ありませんが、「愛」と「思想」は同列に並べて語れないという見方があることはそこはかとなく感じられます。誰かを愛する感情「愛」とは、基本的には極めて個人的な心理ですが、いっぽうの「思想」は、そうした人間の精神活動の尊厳を支える根幹そのものといえます。そのぶん大義を伴っていると。また、愛と思想を絡めて見せる物語を見渡せば、その多くが近代社会成立以前の革命や戦争の動乱の時代を背景としており、愛が思想に優先されるケースは滅多にありません。そこに登場する思想運動に身を捧げる男たちには、愛を己の思想と同等に考える余地などほとんどないのです。万が一にも愛と思想の板挟みになろうものなら、行き着く先は悲劇しかないようで、池田理代子氏の往年の人気コミック『オルフェウスの窓』では、ロシア革命のさなか、対立する世界に住むボリシェヴィキ(レーニン派の革命的左翼)の男と貴族の女が、心のままに愛を選べず、かといって思想に突き進むこともできずに命を絶つ場面がありました。

けれども、愛が思想を超えることは、実際のところ本当に本当に不可能なのでしょうか?

愛も思想も超えるすさまじき女性の怒濤の生涯

戦前の日本に、国籍の違う男を愛して嫁ぎ、愛する男の子を生み、妻・母として激しい生涯を貫いた女性がいました。中国の政治家で文学者の郭沫若(かくまつじゃく)と結婚した佐藤をとみです。バプティスト教会の牧師を父にもったをとみは、ミッションスクールに通い、明治後期の女性としては高い教育を受けました。教養を身につけたばかりではなく、果断な性格であったをとみは、自分の縁談が勝手に進んでいることを知ると反発、単身上京し看護実習生となります。このとき勤務した聖路加病院で出会ったのが郭沫若で、恋に落ちたふたりは同棲生活を経て結婚します(郭には中国に正妻がいたため正式な結婚ではなかった)。これをこそ愛ゆえの選択というのでしょうか。聡明であったはずのをとみが、郭との結婚が祝福されないどころか、異端の厳しい道への第一歩となることを想像しなかったはずはありません。恋にのぼせた高揚感だけで容易に選ぶはずがないのです。想像を超える険しい道になると理解していたでしょう。それでもをとみは、怖れも躊躇いもなく歩み出したようです。

「脇目も振らず」という言葉がありますが、をとみを評していうなら、脇目を振るということを知らない女性でした。郭沫若という男を愛し結婚したをとみ。彼女にとって、結婚とは生涯その男の伴侶として務めを果たすということであり、相手がどのようになろうとも、何を疑問に思うことなく自然に妻としての務めを受け入れたに過ぎなかったようです。郭沫若は、日本留学時に九州大学に在籍し医師を志していましたが断念、のちに政治運動に身を捧げ、をとみを巻き込んだ波乱の道のりを歩みはじめます。蒋介石に追われ、日本に逃れていたかと思ったら中国に潜伏している。をとみは、そんな夫が進むべき道に進めるよう常に背中を押しました。家族と別れて中国に渡らなければならないと涙ながらに躊躇う夫を送り出したのも、誰あろうをとみだったのです。

現実を見れば、郭とをとみが夫婦として家庭を営んだのはごく短い期間でした。をとみは背中が曲がるような重労働をして5人の子を必死に育て、郭沫若の妻ということで特高の拷問に遭っても泣きごとひとつこぼしませんでした。戦後、をとみが中国へ渡ってみると、あろうことか郭沫若は中国人女性と再婚していましたが、をとみが恨みごとを口にしたという記録はどの文献にも見当たりません。その後、子どもたちも全員父の祖国・中国へと行かせましたが、彼らをひとり残らず専門的な道に進ませたのは、やがて来る時代への稀に見る先見性というべきでしょう。そのいっぽうで、自らの人生は“野良犬の一生”だとこともなげに笑ったをとみでした。

愛と思想の関係に見えてくる“愛の物語”の可能性

「体を大事にして長生きしなさいよ。生きのこることが大事なのよ」

(澤地久枝『続 昭和史のおんな』文藝春秋/1983年)

郭沫若に嫁いだをとみは、「郭安娜(かくあんな)」として日本よりむしろ中国で知られています。その一生は、国共内戦に身を挺した非凡な夫に翻弄される悲劇的な妻として中国ドラマにもなったようですが、それを聞いたら亡き安娜はどう反応するでしょうか。ふんと鼻を鳴らすか、愉快そうに笑うか――。佐藤をとみは戦後中国へ移住し、1995年、郭安娜として上海で没しました。101歳でした。

愛は思想を超えるか――?
をとみの生涯に触れて、あなたはこの問いにどう回答するでしょうか。その答えを知ることは容易ではありませんが、作家とはこうした問いの答えに迫らんと筆を執るのでしょう。確かに難題です。けれど、これだけはいえます。愛と思想の関係の探究は、人間にとって、とりわけ本を書く、小説を書く者にとって、ひとつの重大なテーマに迫る仕事です。物語を書きたいあなた、愛は、純粋さや甘さや至上性だけではない、新たな角度からのアプローチがまだまだ可能であるとは思いませんか?

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