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自分の「記念碑」となる作品を書く

2020年12月14日 【小説を書く】

人生の物語には秘められた“場所”がある

人が自伝や自分史を書こうとするのはいかなる心理によるものかといえば、それはたいがい、“自身が生きた証を残したい”という本能的な希求に根差しているのでしょう。人間とは本質的に孤独で、いつか忘れ去られていく存在であると、誰もが心の奥底で感づいていて、それに抗うようにおのが「記念碑」を立てたいという衝動に駆られるのかもしれません。しかし、そういった書き手側の理由はひとまず脇に置いておきます。なぜかといえば、そうした生理からくる衝動で記念碑的作品を書こうものなら、厚みだけはやたらとある、味気ない記録詳述日誌の超大作がひとつできあがるだけだからです。自分自身と家族だけのために、何がなんでも「生まれ」から「いま」に至るまでをわかっている限り事細かに書き残しておきたいのだ、と期したものならばそれでもよいでしょう。けれど、それを作品と称し、ひいては本にしたい、本として出版したい、読者に読んでほしい――との本音を僅かにでも心の内奥に聞くならば、人生の成り行きをジョロジョロと書き連ねただけの記録的作品であっては、絶対的にダメなのです。読者の気持ちになってみてください。では、自分にも読者にも、どこから見ても毅然と凛々しい記念碑を打ち立てるためには、何をどうすればよいのでしょうか?

その答えは、じつは案外シンプルです。自分の「トポス」を見つければよいのです。トポスとは、ギリシア語で「場所」を意味します。ただし、単なる思い出の場所ではありません。他者にとっても特別な意味を感じられる無二の場所、思想的・文学的に特別な主題を孕むいわば「聖域」として重要視されてきた場所です。作家が自身の生涯を題材に記念碑を書き上げようとすれば、素通りすることはできないのがこのトポスなのです。トポスという語のこの響き、いかにも哲学臭プンプンで微妙な拒否反応を示す方もいらっしゃることでしょう。でも、恐れることはありません。人が「自分」というただひとりだけの人格を育てて生きている限り、気づかずにいるにしても、誰にもトポスは存在します。それは地理的・地域的な場所とは限りません。人生の一時期であるかもしれないし、いつしか心のなかに存在するようになったはっきりとした形をもたない景色であるかもしれません。ともかくも、みずからの記念碑と呼ぶにふさわしい作品を書くためには、自身のトポスを知ることが何より重要なのです。

苦しみの根に「トポス」を見出した作家

おれは、母だけの子だった。父などなかった。いま母にむかって、彼は、おれの兄と姉を元に戻せと言いたかった。兄も姉たちも、母の子であることに変りない。あの男の顔を思い出した。あの男の声を思い出した。あの男が、自分の何ものかであることは確かだった。だが、父とは呼びたくない。一体、おまえたちはなにをやったのか? 勝手に、気ままにやって、子供にすべてツケをまわす。おまえらを同じ人間だとは思わない。おまえら、犬以下だ。もし、ここにあの男がいるものなら、唾をその顔に吐きかけてやりたかった。

(中上健次『岬』文藝春秋/1978年)

芥川賞を受賞し時代の寵児となって、さらなる飛躍を予想、期待されながら46歳の若さで没した中上健次のトポスは「路地」でした。中上の路地とは、和歌山県新宮市出身の彼が幼少の一時期に暮らした、狭苦しい一区画の町を指しています。芥川賞受賞作(第74回・1975年下半期)『岬』から、『枯木灘』『地の果て 至上の時』とつづく「紀州サーガ」と呼ばれる三部作は、この路地を舞台に、複雑な「血」のしがらみに囚われて生き、死んでいく一族を描いています。作中の路地には中上が生まれ育った町が、主人公・秋幸には中上自身の境遇が投影され、生き疲れた主人公の母も、怪物じみた無頼の父も、実父母の像を映し出しています。路地に根をもつ彼らの血は、宿業のように、沈みゆく底なしの奈落のように、秋幸を雁字搦めにします。しかし、破滅の先になおいまいましい「生」がある――そういう物語でした。

文壇に登場し一躍売れっ子となった中上は、毎晩のように飲み歩いていたそうです(かなりの酒豪であったとのこと)。当時の中上を知る人は、彼が秋幸と寸分違わず自分の出自に苦しんでいて、かさぶたを剥ぎとって膿を出すかのように酒を飲み、小説の執筆に取り組んでいたと語っています。中上のトポスである路地とは、忘れたいのに忘れられない、もはや取れかけたかさぶたのように剥がしたいのに、剥がせばやはり血が吹き出てしまう――そんな場所であったのでしょう。

トポスがもたらすカタルシスの輝き

紀州サーガで「路地シリーズ」を書き上げた中上健次は、後年、こう語っています。

春日町の、(中略)線路そばに生まれ、そこできょうだいらと小学二年生まで住んだので、春日という土地がなつかしくてたまらぬ。愛おしくてならぬ。小説家としてデビューしていらい、小説のことごとくをこの春日と覚しき路地を舞台に取って書いてきたが、いまこの新宮に来て、愛おしさの熱病のようなものにかかっているのに気づく。小学二年の時、現在の私の姓氏である中上の男と内縁関係になった母に連れられ、春日を出たのが、その春日という土地への熱病の第一の原因だが、自分が数々ある庶民の物語の主人公でもある気がするのである。

(高澤秀次『評伝 中上健次』集英社/1998年)

中上が苦しみ抜いた路地、新宮市春日というトポスは、一連の仕事をやり終えた彼に、“人生を愛せよ”とのメッセージで救済をもたらしたのでしょうか。この地を振り返る彼の言葉には、なおも複雑な心境が見て取れる気もします。ただそれだけに、やはり作家・中上健次にとってこの路地は、作家として書かなければならないトポスであったに違いないのでしょう。

何にも代えられない大切な場所であるのか、思い出すのも辛い痛ましい場所であるのか、正面から向き合うことでその本当の姿が見えてくるのか。トポスがいったいどのような場所なのか、それはもしかしたら書き手本人にもわからないのかもしれません。愛憎半ば、どれだけ忌み嫌おうと、振り払おうとしようとも、まるで自分と臍の緒でつながっているようなトポス。ただそのぶん、手に触れてみればかくも愛おしい――。あなたが自らのトポスを見出したとして、そこから何が得られるかは、その地を作品として書いたあとでなければわかり得ないのかもしれません。ただいえるのはひとつ、トポスという脈動する心臓をもつ物語を書き上げたならば、それはあなたにとって真に輝かしい記念碑となるに違いないということです。

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