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三島由紀夫はダテにフザケない

2019年03月22日 【小説を書く】

「ユーモア」と「まじめ」で最強コラボの完成

万人はユーモアを愛しています。その一方で、意外とまじめな論争も好きだし、真理など硬いテーマについてあれこれ考えを巡らすことも好きだったりします。 「笑い」と「まじめ」のバランスをとって生きるということは、もとより人間にとってごく当たり前の、本能のようなものかもしれません。
ところが、小説を書こう! エッセイを書こう! と机に向かうと、たちまちその本能を忘れ、どういうわけか多くの書き手が、まじめはまじめ、ユーモアはユーモアと、どうも厳密にビシッと線引きしてしまうのです。深遠なテーマは、笑いにまぎれては描けないのでしょうか。でもそれでは、書き手はある意味大きなジレンマを抱えることになります。なぜって、先述したように人は「ユーモア」を愛し、かつ「まじめ」も好む生きものだから。となれば、そんな人間本来の欲求をまっすぐに受け取って、“抱腹絶倒”のなかに深いテーマが潜む作品を生み出せたとすれば、筆者的にも読者的にも、これはもう至極の一作となるのではないかと思われます。

「世界のミシマ」と名を轟かせ、1970年、割腹自殺という衝撃的な死で話題をさらった三島由紀夫。内外問わず名実ともにノーベル文学賞候補、この事件さえなければ「本人生存」が条件の同文学賞の歴史に名を刻んでいたことは間違いありません。
修飾的華麗な文体と論理的構築性で知られる純文学の三島に、エンターテインメント小説があることは一般にはあまり知られていません。なかでも、作者みずから「サイケデリック冒険小説」と呼ぶところの『命売ります』は、気持ちよいばかりの針の振り切れ方を見せています。少々不穏な言い方をすれば、“おクスリ”でぶっ飛んでしまったごとき展開を見せる冒険小説なのです。

「おフザケ」のなかに見え隠れする真実と思想

新聞の活字だってみんなゴキブリになってしまったのに生きていても仕方がない、と思ったら最後、その「死ぬ」という考えが頭にスッポリはまってしまった。丁度、雪の日に赤いポストが雪の綿帽子をかぶっている、あんな具合に、死がすっかりその瞬間から、彼に似合ってしまったのだ。

(三島由紀夫『命売ります』筑摩書房/1998年)

主人公の青年は広告代理店のコピーライターという設定。あるとき、神経衰弱に陥った彼は文字がゴキブリにしか見えなくなり、断固死のうと決意します。自殺を試みてしくじると「命売ります」との新聞広告を出し、狙いどおり舞い込んでくる「殺させてくれ!」「吸血プレイ希望!」といった究極の依頼に応じるも、思うようには死ねません。そんな彼の足掻きもだえる様子が、ほとんど変態じみた登場人物たちとの応酬を交えて描かれています。あまりの“死ねなさ”に加え、展開の馬鹿馬鹿しいまでの漫画チックさ加減に、いつしか死への欲求を忘れ果てていく主人公。最後には助けを求めた警官にクズ人間呼ばわりされるのでした。

え!? それが三島? 三島の作品なの? フザケている。フザケ過ぎているとしかいいようがありません。世界のミシマは何を思って週刊プレイボーイ誌上で『命売ります』の連載をはじめたのでしょうか。けれど、この作品の刊行から2年後、三島は現に割腹自殺を遂げるのであり、この時期、死に対する特別な意識をもっていなかったとは考えにくいのでした。優れた文芸作品とはどれも、あからさまには物事を語ってくれません。小説がその文面で、ここにはこれこれこういう難しいテーマが書かれています、と教えてくれるわけではないのです。だから読者は、意味深長な気配を立ち昇らせる文章に目を凝らし、作者の見た風景を想像して、その心象と主題に迫っていく必要があるのです。『命売ります』に、三島の死の伏線が仕込まれているとは限りませんが、でも、そこに何もない、単なる気まぐれで娯楽小説を書いただけと切り捨てることはできないのです。

一見、最後の長編小説『豊饒の海』執筆に疲れた三島の、気分転換による悪ノリ全開作と見えなくもない『命売ります』。目を凝らすと、何が見えてくるのか、いや、果たして見えてくるものはあるのか。……それが、あったのです。たとえば、こういう読み方ができるでしょう。

文字がゴキブリに見えた主人公は、何としても死のうと、命を買いにきた依頼者の手を借ります。何度も、何度も。そのしつこさは、死を望む主人公の意志の強さを示しています。けれど彼は、死にたいという欲求以上に、死というものを真剣に考えたことがあったでしょうか。死の生々しさに触れたことがあったでしょうか。どうもそうは思えないのです。何しろ文字がゴキブリに見えたことが発端なのですから。異常な死の欲求に憑りつかれた自分より、よっぽどおかしな人間たちに振りまわされてみると、逆に興ざめしてたちまち正気が戻ってきてしまうのも無理はないのです。そして最後、主人公は滑稽な存在として警官にあしらわれると……。そんな視点から少し横を向いて作者三島を眺めてみれば、より生々しい「死」に触れなければならない……との妙な自戒を呑み込むひとりの男の横顔が見えてくる気もします。『命売ります』末尾の主人公と警官のやり取りは、あるいは三島自身の葛藤そのものであったかもしれません。

作家と作品は不可分な関係

ユーモア小説だってホラー小説だって、作品と作家を切り離して考えることはできません。その点に、文学やアートに向き合う醍醐味だってあるわけです。三島には死に対する美学がありました。死は、侵されざる神聖なものでした。ゴキブリ? ちゃんちゃらおかしいわいと。たとえ道中はフザケまくって書いたとしても、そんな主人公に神聖なピリオドとしての死など与えられるわけはないのです。三島が与えるわけはないのです。つまり『命売ります』は、死の覚悟というものを浮かび上がらせ、同時に生の覚悟を問うている、と読むことができます。それはまた、現実の死へと傾いていく三島が、自らの真情を検証するひとつの試みであったかもしれません。

ここでひとつ言えるのは、世界のミシマが無意味にフザケて終わるはずはないということ。『命売ります』には、弾け切ったユーモアと深遠なテーマの、絶妙なブレンディングを見出し得ると考えてよいのではないでしょうか。絢爛たる美文の三島よりも、突き抜けた想像力で突っ走るサイケな三島のほうが肌に合う、自分はもっとそっち路線で――という人だっているでしょう。けれど、純度99.99%のユーモア小説を書きたいと思っても、それがただオモシロオカシければいいなんて誤解してはいけません。ユーモアをぼんやりさせないために、「笑い」のなかに真理や思想の片鱗を仕込んでおく試みが必要です。逆もまた然り。それは、作家になりたい者にとって、実にやりがいのある挑戦であるはず。そう教えてくれる世界のミシマは、やはり本邦が誇る天才の名に恥じぬ作家なのです。

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