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エッセイを書くための「筋金入り主義」

2020年02月14日 【エッセイを書く】

作家志望者は骨太に「美学」を貫け

戦後の日本を撮りつづけてきた土門拳は、この先も未来永劫、日本を代表する写真家のひとりに間違いなく数えられるでしょう。ととと……、本稿のタイトルが『エッセイを書く――』なのに……写真家? そう、でも、そうなんです。今回はエッセイを書くために、写真家・土門拳先生にご登壇いただきます。

ではまず、エッセイを書くのにもっとも重要なものは何か? という問いに対する答えから。――そのひとつは「美学」です。名随筆家とも謳われた吉田健一(文芸評論家・英文学者・小説家)は、みずからのダンディズムを生涯貫きました。いっぽう三島由紀夫の随筆『おわりの美学』(『行動学入門』所収/文藝春秋/1970年)を読めば、希代の文豪が生にも死にも文字どおりの「美」を追究したことがわかります。弱さのなかにこそ真の美しさと優しさがあると信念をもちつづけたのは、セツ・モードセミナーを創始した長沢節でした(『弱いから、好き。』文化出版局/1989年)。そこにあるのは、三者三様の美学。けれど、それぞれの美学が各々の人生を貫いていたからこそ、彼らの随筆は魅力と説得力と訴求力を兼ね備えて一頭地を抜いたのです。

この「美学」、「筋金」といいかえると作家志望者にはなおふさわしいでしょう。洗練や細緻なこだわりを思わせる「美学」より、もっと泥臭く骨が太い「筋金」。そして、まさしく血と肉が筋金でできているかのように、「筋金入り主義」を地でいった漢、それこそが今回取りあげる土門拳なのです。

「イズム」の方向性や形はひとつではない

死も生も絶対なのは、それが事実であるからだ。
ぼくが写真においてリアリズムの立場をとるのも、つまりは、人間の全存在を決定する事実というものの絶対性に帰依するからである。
ぼく自身は、ペンにも絵筆にも託しきれないものを志向して、カメラをとり、そして写真のリアリズムに達したと告白しよう。

(土門拳『生きることと死ぬこと【新装版】』みすず書房/2019年)

土門拳の筋金は三つありました。「日本」「日本人」そして「リアリズム」です。リアリズムといっても、表現活動の上でのその捉え方はさまざまです。写真でいえば、“現場”をおさえる報道写真はもちろんリアリズムですが、《日本工房》という報道写真家集団の出身であるにも関わらず、土門拳は次第に、ニュースなどで私たちが日々接するいわゆる「報道」とは異なる方向を見るようになりました。多くの報道写真家、また彼らが撮った写真を見る側の世間も、「報道」といえば当然新しい出来事を知らせることと認識しネタ探しに躍起になるなか、土門だけがどういうわけか「古いもの」に目を向けたのでした。その素地ははじめからあるといえばあったようです。もともと考古学が好きだった土門は、既知の対象に陳腐さしか見出さない一般的な風潮に疑問を抱き、それならばと腰をあげ袖をまくり「古いもの」を撮りはじめたのです。結果として彼は、ファインダー越しに古いもののなかに新しいものを発見し、一枚の写真のなかに「斬新」や「新鮮」を劇的に表現しました。それが、土門が辿り着いた彼だけのリアリズムだったのです。

彼の写真集のタイトルを見れば、『室生寺』『文楽』『古寺巡礼』『信楽大壺』と、いかにも樟脳クサい“古い日本”が並びます。土門は『文楽』の撮影を、太平洋戦争開戦の1941年にはじめました。この国家存亡に関わる一大転機に、一体ほかの誰が文楽を撮ろうなどと思うでしょう。それはのちにさすが土門と感心される逸話となるわけですが、本を書きたいと創作の世界を目指すならば、ふむふむと先人の慧眼に感心するだけで終わってはなりません。世紀の大戦が勃発した年に文楽を撮るというのは、当時にあってあいつは大丈夫かと鼻で笑われるか白い目で見られるかする途方もない考えだったのです。けれど土門の魂に宿るのは、どんなときでも目を逸らさずに己が欲する方向へ突き進む、妥協のない精神と勇気。そのように日本と日本人を探究し、リアリズムを追求しつづけた写真家の醸成した言葉がまとめられているのが、土門拳初の随筆集『死ぬことと生きること』です。そう、あたかも遠まわりしているように思われた「写真家」の話は、ここに来てついに「随筆・エッセイ」に帰着するのです。一写真家の生き方と美学が熱くほとばしる『死ぬことと生きること』には、「筋金入り」を貫くために欠かせない姿勢を示す骨太の言葉が織り込まれています。

本を書く前にこう叫ぼう――「トコトンやってやる!」

ぼくは、うまくいかなくても撮るし、うまくいっても撮る。
一度シャッターを切り始めたら、トコトンまで撮らずにはいられなくなる。

(同上)

「トコトン」……いまやどこかのんびりした響きを感じる「トコトン」。少年野球をはじめたいとねだる子どもに「やるならトコトンやるんだぞ!」と諭し背中を押してやる際にもっとも多用される(だろう)ことから、どこか“ファミリー”で平和な感触がする「トコトン」。しかし土門はそれを、額やこめかみに汗や血管を浮かせて語るのでした。

一度シャッターを切り始めたら、トコトンまで撮らずにはいられなくなる

果たして私たちは、何者かになりたい、作家になりたいと志すとき、本物の「トコトン」を極めた経験があるでしょうか。実際問題、「トコトン」の道は険しい。ゆえに易きに流れ、大多数の人間は何をするにも「トコトン」の姿勢や視点を避けたがります。むろん現代なら、ゲームだったらトコトンやったるぜ! などと娯楽的な「トコトン」路線もアリなのでしょう。でも、家で好き放題ゲームに没頭するのと、世界的なeスポーツのイベントで“億”を稼ぐのとでは、ゲーム哲学に雲泥の差があるのは明白です。どのようなジャンル、どような営みにせよ、「トコトン」の姿勢がつややかな実を結ぶのは、あくまで仕事、あるいは仕事の意識をもって取りくんでいる事柄においてです。前出の『室生寺』を出版するまでに土門は30年の月日を要しました。四季折々撮影に赴くこと、40回を超えたといいます。作品の完成を決めるのは作家自身。前人未到の「トコトン」をやり尽くすからこそ、人の心を打つ作品や言葉が生まれるのです。

風景に向かって手も足も出ない、そのまま撮ってくるようなやり方では、新しいいまの風景写真は作れない。作者自身の日本の風土というものに対し、民族というものに対し、伝統というものに対してはっきりとした定見をもっていかなければ撮れない。

(同上)

タレントが気まぐれに出したエッセイ集がベストセラーになったりするからでしょうか、ひとつづきの小説作品を書くことに比べ、エッセイの執筆にはどこかしら気楽なイメージをもつ人もいるかもしれません。事実、自分の暮らしや心の内を描くための材料はすでに手もとにあるので、そう思われるのも無理はありません。でも、それは違うのです。ふだんは重厚な小説を描くプロ作家の、一見息抜き的に思える軽やかなエッセイがなぜ真に読者を満足させ得るのか――といえば、そのエッセイもまた彼の小説作品と同じように、幾多の見識や経験や洞察力や斬新な視点に裏打ちされているからなのです。流行歌のように時代に消費される類のエッセイはさておき、真に優れたエッセイで、万事気楽ないい調子で書かれたものなど一編もありません。随筆家・エッセイストを志望するなら、先人たちそれぞれの「筋金入り主義」によく目を凝らす必要があります。さすればおのずと、あなたが目指すエッセイのテーマや方向性、どのように取り組むべきかの姿勢が、カッと鮮明にイメージされてくることでしょう。

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