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人間の宿命――“死”をいかに書くか

2021年01月18日 【小説を書く】

恐れず諦めず、“死”を描く第一歩

老いも若きも、病めるも健やかなるも、弱きも強きも、貧しき者も富める者も、人間誰もが逃れられないのが“死”です。「逃れられない」と恐れを込めて、端から諦めているかのようにいうのは、まさに死の訪れを恐れつつ諦めているから。その感覚は万人共通。多くの人間にとって、死は忌むべきものであるといえます。ところがこの死を、恐れず忌むべきものと考えない人々が一部いました。中世の西洋の騎士たちがそうですし、日本の武士がそうです。どのような精神の鍛錬でその境地に至るのかは知る由もありませんが、名誉を重んずる騎士は死を恐れることをよしとせず、武士は“死”を“生”の集大成であるかのように位置づけました。また、輪廻転生の思想が核をなす仏教では、死がよりよい世界への入り口とされ、キリスト教者は死という断罪の日を恐れず迎えるために、神に奉仕することを務めとしたのです。

さて、現代に生きるあなたは、むろん騎士でなければ武士でもない。揺るがぬ信仰のもち主でもない(と、ここでは多くの日本人のひとりとして仮定させていただきます)。そんなあなたが作家を目指すとすれば、作家として、創作者として、著作のなかに死をどのように描きますか?

死してどのような夢を見るか、と問うたシェイクスピア

死ぬ、眠る、
それだけだ。眠ることによって終止符はうてる、
心の悩みにも、肉体につきまとう
かずかずの苦しみにも。それこそ願ってもない
終わりではないか。死ぬ、眠る、
眠る、おそらくは夢を見る。そこだ、つまずくのは。
この世のわずらいからかろうじてのがれ、
永の眠りにつき、そこでどんな夢を見る? 
それがあるからためらうのだ、それを思うから
苦しい人生をいつまでも長引かすのだ。

(ウィリアム・シェイクスピア著・小田島雄志訳『ハムレット』白水社/1983年/第3幕 第1場)

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be: that is the question:)」という『ハムレット』の有名な台詞。実はこのあとには上掲の一文がつづきます。シェイクスピアは、死を世俗的に描き、ハムレットの苦悩の源としました。死によって苦しみから逃れられるのなら願ってもない、しかし死がもたらす眠りが何かわからないために、おいそれとは踏み込むことができない、ああ、生きるべきか、死ぬべきか――と懊悩するハムレットのこの姿は、人間の卑小な、本能的な在り方を表すものでありましょう。

「なしくずし」の旅の果ての総決算

みんなまたひとりぼっちだ。こういったことはみんな実にのろくさくて、重苦しくて、やり切れない……やがて私も年をとる。そうしてやっとおしまいってわけだ。たくさんの人間が私の部屋へやって来た。連中はいろんなことをしゃべった。大したことは言わなかった。みんな行っちまった。みんな年をとり、みじめでのろまになった、めいめいどっか世界の片隅で。

(L-F・セリーヌ著・高坂和彦訳『なしくずしの死』河出書房新社/2002年)

フランスの医師で作家のL-F・セリーヌは「想像力がなければ、死ぬのは大したことない」という言葉を残しました。20世紀最大の作家のひとりと評される、想像力なら溺れ死ぬくらいもちあわせていたであろうセリーヌは、その想像力と知力を、仮借ない生の現実をこれでもかと露呈させることに注ぎ込み、生の先に待ち受ける死を描き出しました。その作品は眼を背けたくなるほどのリアリズムに貫かれ、代表作『夜の果てへの旅』は、貧困にあえぎ、絶望に打ちひしがれ、それでも生きようとのたうちまわる人間の姿を浮かび上がらせます。死は、その闇夜のごとき生の最果てにあるものでした。

セリーヌはつづいて、『夜の果てへの旅』と同じく自伝ベースであるといわれる『なしくずしの死』を執筆します。隠語と卑猥語が炸裂し伏字だらけの発禁書となったこの作品は、『夜の果てへの旅』への高評価とは激しく一転、批評家たちから罵声を浴びせられる始末でした。しかし、現世の汚濁にまみれるばかりの人間の姿を描いたこの物語は、実のところ『夜の果てへの旅』をさらに突き詰めたものといえます。登場人物の醜悪なまでの生きざまはいわば人生のカリカチュア(欠点を誇張して描く戯画)であり、爆裂的なユーモアに彩られたこの作品はむしろ、セリーヌの革新性を示していると考えられなくはないのです。生きることへの呪詛を撒き散らすかのような物語に塗りこめたユーモアこそは、セリーヌの人間存在への憐み、情愛の型破りな証ではないでしょうか。人生とは、死という負債をなしくずしにするもの、貧困や絶望に足掻く生の先にある死、そこにはある種の恩恵があってほしい――稀代の作家はそう語りかけているような気がしてなりません。

死へ向かう物語をどのように奏でるか

生と死は背中合わせ、とはよくいわれることですが、確かに死を描こうとすれば生を切り離して考えることはできないでしょう。けれどそのとき、生が主題ではあってはならない、いえ、なり得ないのです。なぜか――。 考えるに、この世に産み落とされると同時に死を宿命的にもつ人間の人生とは、一篇の音楽のようなものなのかもしれません。最初に無音があり、最後無音で終わる。死にも似た完全なる無音があるからこそ、どんなささやかな音でもそのひとつひとつが粒立ち、それが集まっては和音をなし、その上を走る主旋律が生まれてくるのでしょう。それと同じように、生を描くとすればまず無、まず死を前提として、死という主題を描くための前奏曲『生』を描かなければならないのです。死の臭いが立ち込める現場にこそ、色濃い生が存在します。死のエピローグへ辿りつくメロディーをどのように組み立て奏でるか、それが死の主題をいただく小説を書くということ、と考えてみてはどうでしょう。とたんに『ハムレット』もセリーヌの小説も、そのメロディーが聴こえてくるような気がしませんか? 暗い陰鬱な音色か、弾むポップスか、叩きつけるようなロックか、はかなく繊細な詩情か、はたまた天上の荘厳な調べか。さあ、死の物語をいざ書かん。小説家を目指すあなたなら、どのようなメロディーを奏でますか。

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