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“映像効果”を念頭に置いた小説の書き方

2021年12月27日 【小説を書く】

映像的世界とは現実に似て非なる世界

作家になりたいと志す者なら、きっとその先に大きな夢を思い描くこともあるでしょう。たとえば自著の大ヒット、その先のドラマ化や映画化、国際映画祭でのタイトルの受賞。読者、視聴者、観客から贈られる拍手喝采の賛辞。その夜、パーティーの喧騒から離れたホテルのバーカウンターでひとり噛みしめる華やかな成功と美酒の酔い──。目立ちたがり屋さんでなくたって、そうした成功を歓迎しない人はあまりいないでしょう。であれば、ご自身の手元での一次創作の段階から、作品の映像効果を考えてみたっていいはずです。バーカウンターのシーンばかりを反芻し妄想にほくそ笑んでいるようでは埒が明きませんが、作品を映像として脳内視野に照射することで、リアリティが増すことはあっても減ることはないでしょう。どうせ野望を燃やすなら準備は周到に、小説の映像効果をはじめから意識しつつ創作に取り組むという野心的一手もアリということです。それに、大家の名作ならともかく、これから名を馳せる無名作家の、主人公ひとりが古ぼけた椅子に座って延々ひとり言を呟きつづける作風では、映像化以前に読者を獲得しにくいことが明白です。もちろん肝心要は作品の中身なのですが、少なくとも映像化の可能性を感じさせる作品は、おのずと読者を得やすいですし、何よりそこのハードル(本のヒット)を超えないことには、基本的に作品の映像化も何も発展性はないわけです。

さて、では映像的な小説とはいったいどのような小説か。ひとつには、特異な舞台設定が挙げられます。幻想的であるとか、現実世界とはまったく様子の異なる別世界であるとか。そこには、必然的にほかにはない独特の世界観が現出することでしょう。また、場面転換やカット割りといったことも考えに入れる必要がありそうです。それから、クローズアップを際立たせる工夫や重要シーンの演出も意識しておきたいところ。……え? 動機が不純で計算高いですと? いいじゃありませんか。動機が不純だろうと、成功すれば勝ったもん勝ちの世界です。成功の邪魔をするのは、いつの時代も言いわけめいたお行儀のいい理屈。そんなのは忘れて、はじめから華々しい成功を狙っていくという姿勢もいっそ清々しいではありませんか。それに、映像的イメージをふくらませながら小説を書くというのは、作家修行にもうってつけの取り組みなのですから。

映像美で酔わせるラテンアメリカ文学の傑作

コロンビア生まれのノーベル文学賞受賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス。魔術や呪術の土壌をもつ南米では、マジック・リアリズムの技法があたかも土着文化から生まれてきたもののように文学との自然融合を果たしました。「マジック・リアリズム」とは、その名のとおり「魔術的現実主義」。魔術的な幻想に満ち満ちた現実を表現しようとする思想です。が、このようにはっきり言い切られても、なんのことやらと首を捻るほかありませんね。感覚的にわからない。こんなときは百聞は一見に如かずの習いどおり、ガルシア=マルケスに栄えあるノーベル賞をもたらしたマジック・リアリズムの傑作、ラテンアメリカ文学の最高峰といわれる『百年の孤独』を参照してみましょう。

『百年の孤独』は、「マコンド」という蜃気楼の町を建設した、孤独を運命づけられた一族の百年に亘る興亡の歴史を描いています。マコンドの創始者は、近親相姦の末に豚のしっぽをもつ子どもを生んだことから故郷の村を出た夫妻。あらたな土地に住み着くと近親関係による結婚を禁じる家訓を伝え遺します。その町─マコンド─の住民たちはごく一般的な生活を営んでいきます。仕事をして家庭を築き、家族が増え、愛人関係などが生まれ、諍いが起き、旅人が行き過ぎていきます。町は栄え、文化は発展し、戦争に巻き込まれます。一見、当たり前の町の当たり前の歴史。ところがマコンドでは、これもまた当たり前のように現実にはあり得ない幻想的な現象が見られます。が、町の人々は驚きもしません。町一番の美少女は、あるとき、顔が異様に青白く透きとおってきて、皆の心配をよそにこんなに気分のよいことはないというと、そのまま空高く昇っていくのでした。

目まぐるしくはばたくシーツにつつまれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞い上がり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風の中を抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる鳥さえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。

(G・ガルシア=マルケス著・鼓直訳『百年の孤独』/新潮社/2006年)

ルネサンス期の絵画になぞらえて「小町娘レメディオス昇天の図」などと呼ばれるかどうかはわかりませんが、上掲の引用部分は『百年の孤独』の有名なワンシーンです。天高く消えていく小町娘を見上げる人々は誰ひとりとして騒がず、町の生活は変わらずつづけられていきます。物語に主人公らしき中心人物は存在せず、あえていうなら、幻想的現象を内包するマコンドという「町」自体が主人公です。そうして百年が過ぎ、発展してきた町は滅亡のときを迎えます。戦争は起きますが戦争によって滅びるわけではなく、その消滅も永劫の時間のなかの一瞬のような出来事でした。こうした不可思議な映像的な美にめくるめくような比類ない物語、それが『百年の孤独』です。

“映像美”とは、単にスクリーン上の美しさを指すのではない

先ほどマジック・リアリズムの傑作とはいいましたが、『百年の孤独』が、この技法の名でひとくくりにしてよい作品なのかは疑問に思うところです。コロンビアの貧しい家庭に生まれたガルシア=マルケスは、民間伝承や悲惨な歴史を祖母に聞かされながら育ちました。それらの話を祖母は、感情移入することもなく、ついさっき街角で何気なく目にしたことのように話したといいます。世界に顧みられない辺境の地、そこに生きつづける人々の血や涙や孤独は、幻想へと向かう祈りのなかに封じ込められていったのかもしれません。祖母によって伝えられた祖国の民話と精神史は、ラテンアメリカから全世界へと名を轟かせたガルシア=マルケスの創作の根となったのです。『百年の孤独』は彼の祖国において熱狂的に受け入れられました。それはマジック・リアリズムの技法の妙への賛嘆ではなく、この物語が、ラテンアメリカ世界に息づく神話として民族の血を熱く沸き立たせたからにほかならないでしょう。その一方で本作のヒットを契機に、文学世界にはラテンアメリカブームが到来したのでした。

映像美のひとつの極致を示すような『百年の孤独』。一読すれば、小説の映像効果がいかなるものか、その真髄に触れることができるはずです。同時に、小説の映像美が、スクリーン上の単なる視覚的な美しさとは異なることもしっかりと捉えられるはずです。

映像的小説世界の伝説を創りあげた『百年の孤独』。ノーベル文学賞作家の恐れ多いテキストと尻込みする必要などありません。目指すなら高み、学ぶなら一流。ガルシア=マルケスの世界は、小説家になりたいあなたに、映像美の何たるかとともに、幻想の美しさ、悲しさをきっと教えてくれることでしょう。

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