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ノンフィクションライターの仕事とは、世のなかの真実を探って読みものとして仕上げることです。強い意志と忍耐力をもってテーマに臨み、不便を厭わず、困難に挫けず、ときには危険をも顧みず、取材にあたって記事を仕上げていくのです。その姿勢に、背水の陣にも等しい並々ならぬ覚悟が貫いているからこそ、おいそれとは書けない「迫真的」で「重厚な」作品が生まれるのでしょう。
スペイン内戦に参加したヘミングウェイ。彼の「今はないものについて考えるときではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである」という言葉はじつに示唆的ですが、人間の本質を捉えた優れたルポルタージュはしばしば、時代を経ても見過ごせない警句や暗示を孕んでいるものです。
エッセイスト・桐島洋子の、1972年第3回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作『淋しいアメリカ人』は、性の解放に束の間の安らぎを得るアメリカ人の、孤独と虚無に迫ったルポルタージュです。執筆当時、桐島はまったくの無名、未婚の母として3児を抱え、活路を見出そうとアメリカに渡ったところでした。
バスのフリーパスを使ってひとり大陸中をまわり、生活本能の赴くまま数多くの人々と出会っていくうちに、この国の精神的な病弊に触れただろう桐島。古巣の文藝春秋でジャーナリズムの世界に馴染みがなくもなかった彼女は、このテーマを「書こう」と決め、文字どおり徒手空拳の体当たりで取材に臨みます。
当時のアメリカのアングラ新聞は、スワッピングへの参加やセックスパートナーを求める広告で溢れかえっていましたが、桐島はなんと自らパートナー募集の広告を出し、パーティやクラブに潜入。数々のインタビューを重ねてルポルタージュを仕上げたのでした。
かつてアメリカにあった自由は、日本では考えられない種類の烈しい自由だった。それは巨億の富を独占する自由であると同時に、行き倒れて飢死する自由でもあった。徹底した自由が、人間の強弱や運不運の隔差をあまりにも大きくし過ぎることはみるみる明らかになった。
日本人はアメリカに慣れ親しんだあまり、その手近な一面だけであっさりアメリカを理解した気になって、アメリカの途方もない容積というものを甘く見過ぎているように思われる。
(『淋しいアメリカ人』文藝春秋/1975年)
このルポルタージュでは、物量の差や人種的多様性に根差すアメリカという国と、日本との根本的な差異を浮き彫りにしているのが暗示的です。いっぽうで、都会に生きる人々の孤独や虚無という面で、今日の日本と重なる部分があるようにも感じられます。経済の発展の陰にいる人々の素顔、弱々しい姿は、国というものの成り立ちの矛盾と不条理を露わにします。そして、心に空洞を抱く人々で形づくられた巨大な国の栄光は、まるで仮初めの日本の繁栄に連鎖しているようにも思えるのです。
澤地久枝は『滄海よ眠れ』で、日米両国の全戦没者について調査するという、気の遠くなるような仕事を自らに課しました。日本人遺族への取材もさりながら、奇襲した側であった日本人による米国人遺族への取材には、計り知れない苦労があったことでしょう。
澤地は、自分の胸のなかの、個人をないがしろにした国家への憤りを語って、遺族からの信頼を得たといいます。国家への不信と怒りの念は、満州で軍国少女として過ごし、九死に一生の引き揚げ行のなかで、戦争の現実を目の当たりにした澤地の胸に深く刻まれ、やがて固い信念、思想として育っていったものでした。
20代から重い心臓病を患い、いつ起きるとも知れない発作を覚悟していた澤地久枝。彼女は、戦争犠牲者や、著名な事件や人物の名声の裏でひっそりと逝った者の人生を掘り起こしていくことを、自分の使命としたのです。
私は敵味方の次元をとっくに越えてしまった。戦死者たちの死を可能な限り確かめ、二度と無残な死がくり返されないための歯止めとなるべく記録することが鎮魂であると思っている。わかった範囲を手さぐりで書くこと、精一杯書くことしか私にはできなかった。
(『滄海よ眠れ』文藝春秋/1986年)
わたしはひとさまが何十年も秘めて生きてきた人生へずかずかと踏み入って取材をし、ときにはいっしょになって泣きながら、しかしそれを非情に文章にしてきた人間である。ものかきならば避けることのできない業を負っている。
(『ぬくもりのある旅』文藝春秋/1983年)
あるできごとをひとつの“真実”として、複数の面から光を当てるのは難しいことです。それでも、妥協を許さずに探り当てた“真実”は、読む者の胸に刺さる“何か”を伝えてくれます。
写真家ロバート・キャパは「生き残る確率が50%あるなら、ぼくは迷わずパラシュートで降りて写真を撮りにいく」と語っています。ノンフィクションには限らないかもしれません。本を出版したい、と心するならば、書きたいと思うテーマ・題材以外に、意地でもあとへ引かない不退転の覚悟が必要なのでしょう。
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