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「作家的思想」と文学の熱い抱擁

2019年02月27日 【小説を書く】

「思想」の本義のおさらい

小説なり随筆なり、プロの作家の書く作品は「思想」なくして成立し得ません。まずこのことを、作家になりたいと志望する者は肝に銘じておかなくてはいけないでしょう。ただし、ここでの「思想」とは、政治思想や社会思想のことばかりをいうのではありません。そもそも「思想」の本義は、「人生や社会についての一つのまとまった考え・意見」(デジタル大辞泉/小学館)。昨今では「思想」というと、どうにも狭義のポリティカルな意味合いが強く出るようで、これに「家」を付けて「思想家」とすると、いよいよ「活動家」と何が違うのかという雰囲気さえ漂います。

しかし作家に求められる「思想」とは、本来の意義そのままのこと。自分はノンポリだから作家になるのは難しい……と、うなだれる必要はありません。小説を書くのでも、随筆を書くのでも、作家と呼ばれる人々はこの「思想」をしっかと胸に抱いて、全身全霊で執筆に取り組むものなのです。「思想」、その語にまとわりつく妙な誤解の煤を取り払った上で同義語を探すなら、「メッセージ性」とでも理解するのがちょうどいいでしょうか。

……とまあ要するに「作家の思想」とは、文芸作品の根幹をなす主張のこと。これをより明確に理解するためには、馴染みある文芸作品をテキストに、その「思想」を掬いあげる練習をしてみるとよいでしょう。たとえば太宰治の『走れメロス』なら、「信じ信じられることは尊い」といったふうに――。ご自宅の本棚から既読の本を一冊ずつ取り出し、それぞれの内容を思い出し、この「思想」の掬いあげ練習を小一時間もこなせば、なかなか有意義な創作修業となるはずです。

「思想」を携えた「書き出し」の感触をつかむ

この「思想」をもって小説を書くにあたり、書き出しの重要性を強く訴えたのは、作家で仏文学者の豊島与志雄(晩年の太宰の尊敬の対象でもあった)でした。唱えるのは、単に読者を魅了せよということではなく、書き出しをもって作家自身が作品世界に心身ともに没入することの大切さ。それを豊島は「作品という世界に飛び込むこと」と表現し、その状態で書かれる「書き出し」こそ望ましいと定義しました。それはエンターテインメント小説において、度肝を抜く書き出しで読者の心を鷲掴みにするべしという、ディーン・クーンツ流教えの意味合いとはいささか毛色が異なります(当ブログ記事『サスペンス小説のサスペンスフルな導入部』参照)。

 七月のはじめ、めっぽう暑いさかりのある日ぐれどき、ひとりの青年が、S横町のせまくるしい間借り部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした。
 青年はうまいこと階段で下宿の主婦と出くわさずにすんだ。彼の部屋は、五階建ての高い建物をのぼりつめた屋根裏にあり、部屋というより押入れに近かった。おまけに階段ひとつ下が、まかないと女中つきでここを彼に貸している主婦の住居なので、青年は外出のたび、たいてい階段のほうに向けてあけはなしになっている主婦の台所のわきを、いやでも通らなければならなかった。青年は毎度、そこを通るたびに、一種病的な気おくれにとらわれ、それがわれながら恥ずかしく、顔をしかめた。主婦にたいそう借りがあるので、顔を合わすのがこわかったのである。
(ドストエフスキー著・江川卓訳『罪と罰』冒頭/岩波書店/2000年)

小説の書き出しの重要性を説くために、豊島が挙げた一作はドストエフスキーの『罪と罰』。読者が小説の「思想」にはっきりと思い至るのは、無論、作品を読み終わってからです。読み終わるまでにわかってしまったら小説を読む楽しみは半減してしまうし、そもそも「思想」を直截的に語られても、読者にその本質が染み入ることはありません。物語性や文脈に沿って作品世界の一から十を追体験するからこそ、頭ではなく心が「思想」を理解するのです。そしてやっぱり文豪ドストエフスキーは威風堂々たるもの。読了後改めて冒頭を読み返してみると、確かに文豪が「思想」を抱きかかえ一気に作品世界に飛び込んだ感触がつかめます。『罪と罰』の思想は「たとえ罪の深い穴に落ちても人間性を回復する手立てはきっとある」といったことでしょうか。これを通奏低音として、物語は編まれていったのです。

結末の「吐息」にこそ「思想」が立ちあがる!

さて、ドストエフスキーは、骨太なひとつの「思想」と、おそらくは壮絶な「覚悟」をもって、『罪と罰』の世界へ飛び込みました。そして“出来事”をストーリーという糸に紡ぎ、主人公の内面風景や登場人物らの人間模様に、「思想」を覗かせる作業を進めていったのです。これがまさしく「小説を書く」ということです。そして、書き出しが重要であれば、それと呼応する結末もまた重要であるのはいうまでもありません。それを豊島与志雄は、「思想」を書き終えた作者の「吐息」と表現しています。

 七年、わずかの七年! 幸福をえた最初のころ、ときとしてふたりは、この七年間を七日のように見ることもあった。彼は、新しい生活がけっしてただで手にはいるものではなく、高い値を払ってあがなわねばならぬものであること、その生活のために、将来、大きないさおしを支払わねばならぬことも、すっかり忘れていた……。
 しかし、ここにはすでに新しい物語がはじまっている。それは、ひとりの人間が徐々に更生していく物語、彼が徐々に生まれかわり、一つの世界から他の世界へと徐々に移っていき、これまでまったく知ることのなかった新しい現実を知るようになる物語である。それは、新しい物語のテーマとなりうるものだろう。しかし、いまのわれわれの物語は、これで終わった。
(『罪と罰』結末)

書き出しを書く時点で、作家自身はすでに「思想」を携えていなければならないのですが、それを途中も投げ出さず、ブレず、力尽きず、最後まで辿りついたからこそ、エピローグは大きなカタルシスを生むのです。そのやりきった安堵の「吐息」のなかにこそ、思想や夢や希望が揺るぎのない確立を見る、と豊島はいいます。小説やエッセイとはつまり、「思想」を最後まで維持して締めくくられたひと塊の文章のこと。「思想」なくして文学作品は成り立たない――作家の思想は、文学的表現と熱く抱擁しあって、一個の作品を創りあげていくものなのです。

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