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もの書きのための「幸福論」論考

2020年04月14日 【作家になる】

「論」に囚われれば文学が遠ざかる

哲学界の巨星、古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「幸福主義」を唱え、人間の倫理的行動の最上をもって「幸福」が得られると説きました。つまり幸福――心が満ち足りた状態――になるための方法論は、遥かな古(いにしえ)より人類の最大の関心事のひとつだったのです。人間のこの気質は、その後1000年経とうが2000年経とうが大きく変わることはありません。多くの人は「笑う門には福来る」とガハハと笑い、「余りものには福がある」と誰も喜ばない残りモノをありがたく頂戴します。節分の豆撒きでは「鬼は外」1回につき「福は内」3回の割合。何ごとにつけても、いや万事を差し置いても「幸福でありたい」という思いは、誰にも共通する願いなのです。

今日、三大幸福論として数えられているのは、カール・ヒルティ(1833-1909年)、アラン(1868-1951年)、バートランド・ラッセル(1872-1970年)の『幸福論』です。ヒルティは信念や信仰を幸福の軸としており、アランはマイナスをプラスに変える意識の重要性を説く、いまでいうポジティブ・シンキングの始祖といえるでしょうか。そしてラッセルは、“外に目を向けることを忘れない能動的な営み”が幸福に通ずると説きました。根にある思想的違いはあるにせよ、そのいずれも、人生をいかに生きるか幸福とはどのようなものか――という答え探しと方法論に有益な指南と見ることができます。さすが三大幸福論ねと、しっかりとした根深さを感じさせます……とりあえず。

そう、「とりあえず」なのです。なぜなら、これらはやはり哲学者・思想家の説く幸福論であり、みずからを高める意識をもつことを前提としています。でも、人間てそんなにデキた生きもの? 己の精神性を高めようと躍起になる人に、「意識高い系」などと微妙な揶揄の眼差しを浴びせ足を引っ張るのもまた人間の本性というものではないでしょうか。いつの時代も啓蒙寄りのビジネス書がベストセラーに名を連ねるのは、原典に触れる労力を惜しみ“まとめ記事”でエッセンスだけ盗み取ろうとしているからではないでしょうか。怠惰に生きながら幸福でいたいというのは、確かにいかにも虫のいいワガママ……であるにせよ、「幸福」へと至る道の両側に、「精進」や「切磋琢磨」や「意識改革」といった語を染め抜いた幟ばかりが立ち並んでいるとうのも、いささか息苦しさを覚えないでもありません。努力の代償のように幸福を位置づける論ではなく、もっと別の角度、別の視点から幸福を考えることはできないものでしょうか。

文豪の、誰もが羨んだ「幸福な生涯」の真実

「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」と故事成語が教えるとおり、不幸と幸福は表裏をなすようなもの。予測のつかないものなのだから、徒に嘆いたり喜んだりするのは愚かなことである――というこれら教えは、人生のひとつの真理を言い当てているように思えます。しかし一方で、であるならば、幸福になるための「幸福論」にいったい何の意味があるかと思わないでもありません。無駄じゃないかと。たとえ幸福になろうとも、その持続を願って啓蒙書のススメどおり精一杯努力しつづけても、いずれ不幸は避けようもなくやってくるのだとすれば。哲学の大家にケチをつける気は毛頭ないのですが、努力の末の不幸の責任はいったい誰がとってくれるのでしょう。努力は無駄ではない、という口上が気休めではないと誰がいえるのでしょう。信念や前向きの姿勢や外界への意識や行動力をもつことその一切が、“幸福になるため”と論じるスタンスは、はたして正しいのか――。

ところで、文人・作家といえば、天涯孤独のまま野垂れ死んだり、過激な行動に走って逮捕されたり、骨董三昧・愛人三昧で家庭を崩壊させたり、その他もろもろ、破滅的に不幸そうな人間が無数にいる印象もありますが、そんな文学の世界においても、あいつはいいよなァ、うらやましい人生だよなァ……と同業者に羨望の眼差しを向けられた文豪がいます。その名は、ロバート・ルイス・スティーヴンソン。『宝島』と『ジキル博士とハイド氏』、世界文学史上に燦然と輝く二大名作の作者です。

『宝島』出版の3年後、スティーヴンソンは『ジキル博士とハイド氏』を発表しましたが、なんと彼は推敲作業を含めてもおよそ2か月でこの作品の上梓に漕ぎつけ、結果、おおいに売れました。その後、スティーヴンソンは家族と南太平洋の島に移住。島人たちの親愛と尊敬を集め、彼らのためにみずから仕事を買って出、世界中から訪ねてくる知己をもてなし、そのうちの一夜であったのか、ワインの栓を抜こうとした瞬間に脳卒中で倒れ帰らぬ人となりました。歳こそ44歳の早世でしたが、スティーヴンソンの後半生は、残された証言を見ても幸福なものであったと想像されます。44の早世といっても、当時の平均寿命からすると、現代の60台半ばに相当する年代でのピンピンコロリなのですから、やはりまあ羨ましがられるのも無理のない人生です。

このスティーヴンソンの幸福人生に触れて知るべきは、少なくとも幸福は偶然に得られるものではない、人の生には必然的な流れがあるということ、そして何より難しいことですが、この摂理そのものを忘れてはならないということです。スティーヴンソンは生まれつき病弱であり、幼い時分から肺疾患に苦しみました。転地療養しながら作品を執筆し、のちに南の島へ移住を希望したのも、健康に障害をもつがゆえだったのです。つまり、彼の幸福は彼の不幸が呼んだともいえるのです。傍から見れば幸福にしか思えない人生も、当人からすれば流れ着いた果てにようやく掴んだ幸福だったといえるのかもしれません。

幸福の真実は人生の襞(ひだ)のなか

さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう

さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛は何だろう

さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう

さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません

(寺山修司『幸福が遠すぎたら』/『寺山修司詩集』所収/角川春樹事務所/2003年)

「さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません」と詠った歌人・劇作家の寺山修司。さよならだけが人生ならば、春も野の花も出会いも愛も、人生の多くを注ぎ込んで建てるマイホームも、いったい何の意味があるのかと問いかけます。唐突な質問になりますが、作家になりたいと願う者はこの寺山の問いにどう答えればよいのでしょうか。幸福と人生に意味があるとすれば、それはどのようなものなのでしょう。スティーヴンソンの短くも幸福な生涯、さよならだけの人生などいらないと言ってのけた寺山。それらの生の襞のなかには、哲学の大家がぶつ幸福論よりもずっと、深遠で現実的な「幸福」の真実が隠されているようにも思えるのです。

哲学者たちが説いた偉大なる幸福論と、私たちが現実社会のなかで抱える情とのあいだには、ひと跨ぎでは越えられない河が流れています。その両岸をつなぐ橋となり得るものが唯一あるとすれば、それこそがやはり文学・文芸ということになるのでしょう。そして、その橋の上で大輪の花を咲かせる“芸”で人を魅せることが、作家志望者のひとつの幸福のカタチといえるのはどうも間違いなさそうです。

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