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「故郷」に見る作家の原点

2017年03月01日 【作家になる】

本当の「故郷」とは、心に眠るもの

高村光太郎の妻・智恵子は、東京には本当の空がない、故郷の山の上にある空が本当の空だ――と慨嘆したようですが、確かに、どっしりと里を見下ろす山の姿は、故郷の象徴的風景のひとつを思わせます。東京に生まれ育った人は、やや自嘲の含みをもたせて「故郷がない」などとうそぶくこともあるようです。けれど、本当にそうでしょうか。誰にも幼い時代があったように、誰もが「故郷」をもつことが可能なのではないでしょうか。「故郷」とはなにも、慣れ親しんだ生地とは限らないはずです。
意識しないままに心に根づいている馴染み深い記憶。そこには鮮やかな故郷の風景が広がり、作家になりたいと思うあなたの原点が示されているかもしれません。

「あらゆる小説のルーツ」が描き出す、作家の原風景

マーク・トウェインはいわずと知れた、世界的に有名な冒険小説『トム・ソーヤーの冒険』と『ハックルベリー・フィンの冒険』の著者。1835年、アメリカ中西部のミズーリ州に生を享けますが、1840年、一家は南部のミシシッピ州ハンニバルに転居します。4歳から過ごしたミシシッピ川沿いのこの地が、マーク・トウェインにとっての「故郷」といえます。そして、彼の代表作2作品の主人公、トムとハックが活躍する物語の舞台背景も登場人物も、ハンニバルとそこに暮らす住人たちがモデルになりました。

真実は小説より奇なり。なぜなら、フィクションは可能性を持っていなければならないが、真実はそうではない。
※原文:Truth is stranger than fiction, but it is because Fiction is obliged to stick to possibilities; Truth isn’t.(Mark Twain『Following the Equator』/1897年 訳書:マーク・トウェイン『赤道に沿って(上・下)』彩流社/1999年・2000年)

作者の少年時代の実感に根差す、ハックがミシシッピ川を下りながら社会の現実を目の当たりにしていく『ハックルベリー・フィン』のストーリー。それは優しい記憶とは限りません。トウェインの言葉どおり、ときに現実とは希望などかけらも見いだせない無残なものだからです。けれども、トウェインが生み出した冒険物語は、現実のありさまを映し出しながら、冒険の先にある未知の世界を指し示しています。アーネスト・ヘミングウェイは、そんな『ハックルベリー・フィンの冒険』を、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』という一冊を源に発する」と、アメリカ文学史の星として輝かしく位置づけたのです。

故郷に芽吹き育った偉大な思想

中国人の精神を改造しようと、医学への志を捨て文芸運動を起こした魯迅。この著名な思想家が、自らの帰郷体験をもとに描いた短編小説『故郷』は、きらめく思い出を抱かせた土地が、身分差別によって変わり果てたことへの失意と悲しみに満ちています。主人公は20数年ぶりに郷里へ戻り、その荒んだ風景にたとえようのない侘しさを覚えます。心のよりどころとなる不変の姿を失くした故郷。彼はその荒廃の原因をすぐさま悟ります。時間の流れのせいでもなければ、環境の変化のためでもありません。それは、人間のせいでした。少年期の忘れがたい時間をともにした幼なじみすらも変えてしまった、「社会」のせいだったのです。

「旦那様」と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身震いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。
(魯迅『故郷・阿Q正伝』光文社/2009年)

卑屈に頭を垂れる幼なじみに、主人公は故郷を失ったような寂しさを味わいました。しかし、主人公は打ちひしがれるのみではありませんでした。魯迅はこの作品に絶望を描いたわけではないのです。物語の終盤、幼なじみの息子との再会を約束した主人公の甥の姿を描いてみせたように、『故郷』は魯迅が頭を上げるその志を表明した作品と見ることもできるのです。

思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
(同)

「道」とは人がつくるもの、心と歩を同じくする人々によってできあがるもの――『故郷』のラストで魯迅はそう結論づけます。階級制度が厳然と存在する社会、差別に甘んじる人間の卑小。『故郷』には、つまりそれらに異を唱える魯迅の思想の原点があり、彼は故郷に佇む自分の姿から、中国と中国人の未来への志を新たにしたに違いありません。

70年の人生の礎となった少年時代の体験

「日本民俗学」を確立した民俗学者・作家の柳田國男は、生家を「自らの民俗学の原点」として、少年時代の神秘的な体験を『故郷七十年』という一作に綴りました。柳田が故郷の兵庫県の辻川村(現・神崎郡福崎町)で暮らしたのは、10年そこそこの短い期間でしたが、この10余年こそがのちの70年の人生の基盤になったと、晩年に書かれた本書のタイトルは知らしめています。

私の家は日本一小さい家だ。じつは、この家の小ささという運命から私の民俗学への志も源を発したといってよいのである。

私の心身がだんだん育って行くにつれ、私の眼が全国的に拡がり、世界中のことにも関心を引かれるようになったことに不思議はない。しかしそれでも幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。
(柳田國男『故郷七十年』講談社/2016年)

文芸評論家・小林秀雄は、「言葉にならぬ自然という実在に面しているのだが、その直接な経験が、言葉に成らぬというその事が、彼に表現を求めて止まないのです」(『小林秀雄全作品26 信ずることと知ること』新潮社/2004年)と、柳田の自然に導かれる魂のあり方こそが、彼を希代の民俗学者ならしめたと語りました。『故郷七十年』には、幼少期に暮らした山里で柳田自身が経験した、数々の不思議なエピソードが綴られています。つまり、自然の神秘を体感し、それらの記憶を大事に大事に胸に抱きつづけた、その豊かな感受性こそが柳田の民俗学のルーツであるということなのです。

どうしてそうしたのか今でもわからないが、私はしゃがんだままよくリれたい空を見上げたのだった。するとお星樣が見えるのだ。今も鮮やかに覺えているが、じつに澄み切ったい空で、そこにたしかに數十の星を見たのである。晝間見えないはずだがと思って、子供心にいろいろ考えていた。そのころ少しばかり私が天文のことを知っていたので、今ごろ見えるとしたら自分らの知っている星じゃないんだから、別にさがしまわる必要はないといふ心持を取り戻した。
(同)

「故郷」に眠る、本を書きたいあなたの志とテーマ

昼に見える星、それはふだん夜空に見るものとはまた別の星、とひとりごちた柳田少年は、やがて日本民俗学を創始します。
未知のものを受け入れる柔らかく純粋な心を、私たちは成長するどこかで失ってしまうのでしょうか。それとも、心の裡の見えないところに消すことなく眠らせているのでしょうか――。
本を書きたいと志すならば、安らかに目を閉じて、その秘密の記憶領域を呼び覚ましてみませんか。そのときに触媒となるのが「故郷」の存在です。幼い日の風景、夢中で遊んだ友の姿、夢のように不思議な出来事、自然の香気……。故郷の記憶には、作家になりたいあなたの道標が間違いなく刻印されているはずなのですから。

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