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「本を書きたい」人が読むブログ
「本を書きたい!」「本を出版するには?」と思っても、何からはじめたらいいか、わからないことがワカラナイ――という方も多いでしょう。当コーナーでは、小説を書くうえでのポイントや、読み応えのあるエッセイの文章構成、評価される詩の共通点などを、具体的な事例とともに解説。
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天才女流作家の「奇跡」を探究する

2018年03月05日 【作家になる】

「天才」とは仰ぎ見て終わるものにあらず

天才――その栄光や苦悩は、天才でない者には永遠に無縁です。天才と凡人の人口比率がどれほどであるかはわかりませんが(一説によるとイチローは1800万人に一人の天才であるとか)、砂金と“ただの砂”の差くらいはあるのではないかと想像します。それこそ天を仰ぐも同然の差ですから、地平を埋め尽くす凡人の誰もが、限りない憧憬と畏敬を掻き立てられるのも無理からぬことです。
天才たちは、それぞれにまったく異なる相貌を有します。驚異的な記憶力と無限の思考世界をもち、数々の分野に功績と伝説を残した日本が誇る知の巨人・南方熊楠、「カットアップ」というジャンキーの悪夢のような手法を用いてビート・ジェネレーションのカリスマに登りつめたウィリアム・バロウズ、小林秀雄をして「ぼくたちは秀才だが、あいつだけは天才だ」といわしめた無位無冠の青山二郎……等々。文学界にも美術界にも、綺羅星のごとく天才たちが存在します。けれど、私たち凡人にできることとは、彼らを仰ぎ見るだけでしょうか。凡人だからお呼びでない、とただ遠巻きにし、その創作の秘密に触れずともよいのでしょうか。そこに、恐れ多くも学ぶべきものは果たして何もないのでしょうか――。

「奇跡」を実現した女流作家の生涯とは

明治二十四年の春。そんな姉をみかねて、妹邦子は友人の野々宮きく子が「小説家」を知っていると聞き、その人に 是非姉を紹介してくれるよう頼んだ。三月頃のことである。
(杉山武子『樋口一葉の十二ヶ月』 出典:Webサイト『杉山武子の文学夢街道』

1872年(明治5年)、東京と呼ばれるようになって間もない府下でひとりの女児が生まれました。24歳の若さで早世する運命にある女児は、樋口奈津――のちに樋口一葉の名で知られます。『大つごもり』で世に出た一葉が、その生を終えるまで、怒涛のように作品を発表した1年と2か月は、広く「奇跡の14ヶ月」と驚きと賛嘆を込めて呼ばれます。『たけくらべ』が発表されるや、森鴎外や幸田露伴に手放しで絶賛され、明治が生んだただひとりの天才とまで称えられました。しかし、その賛美の声に誰よりも苛立ったのは、すでに病床にあった樋口一葉その人であったかもしれません。

「女権」が主張されはじめるのは、もっとずっとあとの時代です。一葉が生まれ育ったその時代、家族や家系という「巣」も「根」ももたない女は、何の力もなく、しばしば責任だけを背負わされました。十代のうちに士族の出であった父と兄を亡くした一葉も、戸主となり家族の生活を一身に担うこととなります。一葉は勝気で泣き言をいわない女性であったと想像されます。重い責任を引き受けつつ、ありとあらゆる働く手段を探って、それでも当然のように生活は貧しいままでした。そもそも小説を書きはじめたのも、窮乏から脱する活路を期待してのことだったのです。遊女となっていく『たけくらべ』の美登利、『にごりえ』の酌婦のお力。作中に描かれる彼女たちの苦境の底には、一葉自身の実感が隅々まで織り込まれているはずです。

名作は“相貌”の奥にもうひとつの真実を隠す

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう
(『たけくらべ』/『日本現代文學全集 10 樋口一葉集』講談社/1969年)

『たけくらべ』は日本文学史にその名を刻む不朽の一作ではありますが、実は一葉の作品のなかにおいては、『にごりえ』や日記文学のほうこそ高評価すべきとする文学者もいます。しかし『たけくらべ』には、格式ばった文芸評論では説き明かしきれない、自然の、神業的な美のごとき煌めきが具わっている気がしてなりません。理屈ではなく、作品そのものに具わったオーラが、読む者に忘れがたい印象を残す、まさにこれぞ奇跡の一作というような……。

『たけくらべ』は、吉原を舞台に、遊女となる運命を定められた美登利と、僧侶の息子・信如の淡い恋を描いた一作です。この作品の不思議な魅力は、初恋への懐古の情に訴えるものなどではないでしょう。キャラクター的には、信如よりも美登利のほうに断然主役としての力点が置かれています。美しく勝気で、諦念を少女のまだ固い身のどこかに隠した美登利は、一葉自身の姿が多分に投影されているのではないでしょうか。気弱で生真面目な信如、その信如に対して、ときに邪険でさえある美登利。ふたりの恋は、時代風俗のなか、市井の仮初めの平穏さのなかに置かれて、いかにも新鮮に感じられます。けれども、繰り返しますが、この作品はただの初恋物語ではありません。忘れてはいけないのは、美登利の悲劇的と呼ぶべき境遇が描かれていることです。

物語は、美登利が遊女の苦界に足を踏み入れようとする朝で終わります。美登利は、端から哀れな境遇に生まれ落ちており、『たけくらべ』は不幸な主人公の少女時代の終焉の一幕を描いています。その意味で『たけくらべ』は社会小説なのであり、またそう捉えるほうが、この作品の魅力や神髄により近づけるでしょう。『たけくらべ』のタイトルは伊勢物語から採られていますが、伊勢物語の幼馴染の夫婦とは対照的な初恋の別れが描かれているのも暗示的です。一葉の天才は、美登利の不幸を、女達を見舞った時代の暗さを、暗い影なく描いたところに集約されます。物語はむしろ瑞々しく、思春期の儚さは比類なく美しく――。社会小説である『たけくらべ』の見事さは、おそらくこの点で極まっているのではないかと思われます。

或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。
(同上)

終幕、美登利はおとなになることへの嫌悪感を口にして、幼馴染の正太郎を追い返します。この美登利の突然の変化の理由については文学者たちのあいだでも論争がありますが、彼女の少女時代の終焉を示していると見ることには、誰も異論を挟まないでしょう。憮然としながらも得体の知れない不安に慄く正太郎の様子にも、それが描き込まれています。そして、切なくも鮮烈な印象を残すのは、格子に水仙の造花が指し込まれている悼尾の場面。それは僧学校入学のため遠方へと発っていった信如の仕業であることが暗示されています。しかし、この花はなぜ造花だったのでしょう。偽の花だけれどいつまでも枯れない花。まるで遊女を表すようですが、若く正直な信如がそんな意味を込めたはずもありません。信如にとって、それは最も素直な心を込めた選択だったのでしょう。いつまでも枯れずに美登利のそばに在る花。それが造花であったことは、少女と少年の恋に哀れさ、残酷さを感じさせるのでした。

天才の、天才らしい教えに応えるという挑戦

樋口一葉は、無惨な社会の姿を、儚く美しい初恋の物語『たけくらべ』に昇華させました。一葉、23歳から24歳にかけてのことです。執筆期は『大つごもり』から『裏紫』までの「奇跡の14ヶ月」の前半にあたりますが、その若さで幾重にも繊細な綾を重ねた小説を編むとは、まさに驚倒すべき「奇跡」です。もちろん「奇跡」とは、限られた者のみに許される恩寵であるかもしれません。が、凡人であっても、「奇跡」を具現する作品から何かしらのエッセンスを学ぶことはできるはずです。

凡人は天才にいい知れない憧れをもち、その型破りで破滅的な生き方にさえ心を奪われます。そこには、そのような激しい破滅の末路など迎えるはずもない、己の平凡さに対する密やかな安心感があるようにも思えます。スタンダールはその著作『赤と黒』に、「天才の特徴は、凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ」と綴っていますが、脇目も振らずに創作に邁進し、たった14か月の間にいくつもの不朽の名作を産み落とした樋口一葉の奇跡の晩年こそは、その言葉を証明するものかもしれません。天才に限らず万人に門戸が開かれている――小説を書く、本を書く――創作世界。そこに天才からの薫陶を引っ提げて臨んでいくのも、作家になりたい者にとってやりがいに満ちた挑戦といえるのではないでしょうか。