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ありきたりでない「老い」を書くための一考察

2018年11月02日 【作家になる】

まずは先入観を捨てて「老い」を考える

「秋の日のヴィオロンのため息の……」(『海潮音 上田敏訳詩集』新潮社/1952年)とはじまる上田敏の名訳で知られるポール・ヴェルレーヌの『落葉』。美しくも侘びしげな秋の風景、そのなかで途方に暮れる人物の姿を描くこの詩は、「老い」を題材にしているとも「失恋」を詠っているとも受け取れます。“人生の秋”という言葉がありますが、秋は老年期の入り口、やがて葉も枯れ落ちる人生の終わりの季節に向かっていく状況や心境を示す喩えであり、確かに“年老いること”には、冬の足音を遠くに聞くような侘しさがつきまとうのは否めません。

しかし一方で、秋は“実りの秋”ともいわれます。それにヒンドゥー教では、この時期を「林住期」と呼び、修行の季節と位置づけています。老年期に差し掛かると、瀬戸内寂聴先生と並んで多くの人が気になりはじめる五木寛之先生も、林住期こそは人生のクライマックスといっておられます(五木寛之『林住期』幻冬舎/2008年)。ある作品の主要な役まわりを老人に託したいと考えているなら、あなた自身たとえお若いとしても、「老い」に対する考え方をいま一度見詰め直し、この方面についてのスタンスを定めてもいいのかもしれません。

生と死の達人になるための「わざ」とは

超高齢社会に突入した日本、出版界にも映像世界にも「老い」をテーマにした作品は引きも切らず、老人予備軍に備えあれとばかりに、さまざまなメッセージが発信される今日このごろ。いや「さまざま」といいましたが、とどのつまりはメッセージはほぼひとつ。人生の秋を安らかに活き活きと送るための心身の備えを説く言葉で占められているようです。もちろん、それらの言葉は深く温かく、老いへ向かう心のみならず、人生盛りの多忙な人にも、若く傷ついた心にも、いついつまでも忘れがたい大切な“何か”を教えてくれます(ある意味、老若男女、日本国民の大半が疲弊しているといえるかもしれませんが……)。

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静におのれの十字架をになう
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見つけても妬まず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役たたずとも
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後の磨きをかける
まことの故郷へ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつ
はずしていくのは、真にえらい仕事。
(後略)
(ヘルマン・ホイヴェルス著/林幹雄編『人生の秋に』春秋社/2008年)

ヘルマン・ホイヴェルスは、戦前上智大学総長を務めたドイツ人宣教師です。彼の死後編纂された随想選集はその名も『人生の秋に』。この季節を迎えようとする人々に贈る言葉を詰め込んだ本書所収の詩『最上のわざ』は、まさしく心洗われる一篇。映画『ツナグ』(東宝/2012年公開)で、樹木希林が朗読したシーンによって注目されました。

作家の想像力は「老い」で試される?

ところで、こうした含蓄のある言葉ですが、当の老人側はどう受け止めているのでしょうか。70越えても老いの心得に共感もクソもないわ! と元気いっぱい偏屈全開のロックンロール翁もいらっしゃることとは思いますが、ともかくも老い先が案外長いのがいま時代、80になっても90になっても見て読んで考え楽しめる、いろいろな作品が身近にあって迷惑することはないはずです。

いまでは老いの入り口ともいえない52歳で没した中島らもは、かつて『超老伝』(角川書店/1993年)というハチャメチャな老人物語を書きました。控えめにも上品とはほど遠いこの作品は、少なくとも高齢者を慰問するような思いで書かれた作品ではないのでしょうが、だからといって当の高齢者を楽しませるものではないとは誰にもいえません。読者を元気づける滋味ある言葉は無論尊く貴重ですが、らものパンクな『超老伝』のように、異端な態度で「老い」のテーマに切り込む作品だって、ないよりはあったほうが断然楽しめるはずです。

また、明治・大正・昭和と生きた仏教学者の鈴木大拙は「90にならなければわからないことがある」と述べたそうですが、グランマ・モーゼスや柴田トヨをもち出すまでもなく、人は老いてもなお成長することができるのだという事実も、ごく当たり前の認識としてインプットしておきたいところです。つまり、作家になろうと期する者の「老い」の捉え方としては、単に枯れた木の葉が空っ風に吹かれ散ってゆく――みたないな当たり前の心象やテーマに安住するのではなく、「そこ!?」と声を裏ッ返して目を剥くくらいに、意表を突く角度から老いを扱う融通無碍なる精神がほしいのです。

フィクションの世界で異彩放つ老人たち

たとえば、1985年のアメリカ映画『コクーン』が、老人ホームを舞台に老人たちが活躍し、最後には宇宙に旅立つSFファンタジーであったのはひときわ新鮮な印象でした。老人は頭が硬い、融通が利かない、といったイメージを逆手にとる発想といえましょうか。何十年も同じレールに乗ったような生き方をしている老人だから、いまさら道を外れることなんてできない? いえいえ、そんな生き方に飽き飽きしているのが老人の実像です。若者がレールを踏み外さないよう慎重に小股で進むのを尻目に、いざとなればレールなんぞぶち折って無軌道に走り出しかねないのが老人という生きものです。

戦後の動乱期を原風景にもち、その後、日本の高度経済成長の一翼を担い、現代日本のもっともラディカルな変革時代を生きた世代であれば、悪の大王にも、魔法使いにも、亡霊にだってなれるかもしれません。その後の、まさしく「平成(≒平静)」に青年期を過ごした大半の世代とは、土台、素地からして違うのです。ワシはのう○○なんじゃ――みたいなステレオタイプの檻に閉じ込めようにも、そうは素直に収監されないシタタカさを垣間見せるキャラクターを描いてみることが、「老い」を扱う作品の要諦といえるかもしれません。

「だめになっているように見えるかね?」ジョーが、簞笥の上の埃を指でぬぐいながら言った。「死んでいると思っているようだな」ジェイはうなずいた。部屋は風通しが悪く、じめじめして、トマト畑みたいな青臭い匂いがした。ジョーが、少しさびしそうにほほえんだ。「だまされるなよ。種はみんな生きている。ひとたび土に植えれば、みごとに生長する。どれもこれも、みんな、ロケットのように勢いよくだ」
(ジョアン・ハリス著/松尾たいこ訳『ブラックベリー・ワイン』角川書店/2004年)

第3作『ショコラ』の映画化とともに、世界規模のベストセラー作家に仲間入りしたジョアン・ハリス。その『ブラックベリー・ワイン』に登場するジョーは、果実とワインづくりの名人です。ありとあらゆる植物の種を所有し、千里眼のように何でもお見通し、姿を現したり消えたりする様子は亡霊さながら。そんな不思議な老人ジョーが、年若い友人を奇跡へと導いていく物語は優しさに溢れ、過去と現在、炭鉱町の廃線脇の庭と南仏の風景、まったく違うように見える世界が交差しながら、実はそこには同じ「ひとつのもの」があるのだと教えてくれるようです。

ああ! もうしぶんない、けっこう、けっこうですな、キリンですか(コートの素地を触ってみる)。おや! おや! 第一級品のキリンだ。息子さんなかなかですな……
このとき、二頭のキリンがゆっくりと、何も言わずに、ミュエット広場を横切り、二人の老人はキリンたちに気づかないふりをし、とりわけコートの老人だ。ひどく決まり悪そうに、キリンたちによく思われるように、キリン賛歌を歌い、もうひとりの老人もいっしょに歌う。

老人二人のコーラス
ああ! キリンの時代
すばらしかったあの時代!
小さな屋根裏部屋で
おおきなキリンとともに
二十歳の日はなんとたのしいことか(くりかえし)!
(ジャック・プレヴェール著/小笠原豊樹訳『金色の老人と喪服の時計』大和書房/1977年)

フランスの詩人・童話作家のジャック・プレヴェール(『天井桟敷の人々』の脚本家でもある)の著作には、そこかしこに老人の姿があります。20世紀初頭、プレヴェール少年が父と歩いたパリや郊外の田舎町で出会った老人たちは、陽気で純粋そうな目を見開きながら、その実、反骨の気概を胸に秘めているかのよう。

『金色の老人と喪服の時計』所収、“よくない子”向け童話『キリンのオペラ』は、老人たちの独壇場ともいえる一篇です。極上のキリンの毛皮を身にまとう老人を、もうひとりの老人が、ほう! すばらしい毛皮ですななどとホメちぎります。そこに現れた老人の息子が、キリンを目にして猛りたち発砲、仕留めてポーズをとっているとツエツエ蠅に刺されて長い眠りにつく――という何とも夢幻的なお話。眠る息子は死んだよう、死んだキリンは眠っているよう……と結ぶ幕切れでは、騒ぎも泣きもしない古木然とした老人たちの姿がありありと目に浮かびます。彼らは、プレヴェール少年がパリの街角やサーカスで出会った老人たちの、表向きとは違うまた別の「相」を表しているのではないかと思われます。

カギは「老い」を「変身」と捉えることができるか、否か

「あのね、年をとるっていうのは本当におもしろいもの。年をとるっていうのは絶対におもしろい現象がいっぱいあるのよ。だから、若い時には当たり前にできていたものが、できなくなること、ひとつずつをおもしろがってほしいのよ」

最後に紹介したいのは、先ごろ亡くなった前出の女優・樹木希林の言葉。若さを失い年老いていくことが、哀れであるのか、おもしろいのかは一概にはいえないし、あるいはいずれでもなく、果てなく空虚な心境であるかもしれません。けれど、身体の衰えをただただ嘆いていても、何もはじまらないというのは厳然たる事実。嘆きのオペラでも書けば、笑い飛ばすことだってできるというものです。実際、多くの老人は、自身の衰えを本気で嘆いてなんていないじゃないですか。老化現象も大病も自虐的なネタにして周囲の笑いをとり、ときおり陽の傾きを感じさせる表情を見せながら、それでいて溌剌としているのが案外老人です。

作中に老人を描くならば、書き手自身が若かろうが年配だろうが、少なくとも、年をとることのおもしろさに気づいたうえで人物を造形する必要があります。それなしでは「人間」という奇奇怪怪な一面をもつ生きものを、平板なものと見ていると目されかねません。本を書きたいあなたであれば、人より幾分かは洞察力があると自負されていることでしょう。その気になりさえすれば、老いた人の姿にはいろいろなものが見えてくるはずです。「老い」とはつまり「変身」。そう思えたなら、そう思うことのおもしろさに気づいたなら、次作の主人公はもう決まったも同然なのでしょう。ついに平成の世も終わりを迎える超高齢社会、憂慮でも慨嘆でも励ましでも啓蒙でもない「老い」を描いた作品の誕生に、ぜひとも期待したいところです。

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