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文学作品における「雪」の役割

2019年02月08日 【小説を書く】

「雪=ロマンティック」の図式が“いまさら”なワケ

四季をもつ日本。冬来たりなば、北国や山間部には「雪」と呼ばれる摩訶不思議な物体が舞い降りて、辺りを白銀色に染めていきます。世界を文字どおり一変させる雪が、古今東西、文学や絵画のなかで重要なモチーフや効果的な小道具として用いられてきたのはご存じのとおりです。一自然現象と片づけるにはあまりにも鮮やかな変化に富み、命をもっているかのようなその風情――。今回お話するのは、そんな「雪」と「文学」の関係についてです。

「雪は天から送られた手紙である」という有名な言葉を残した中谷宇吉郎という物理学者がいます。日本人は、こと「手紙」という語に一様に特定の反応を示しますが、いかにも広告コピーに流用されそうな中谷の言葉も、やはり「なんてロマンティック!」と感激した人たちによってあちらこちらに引用されたようです。が、作家志望者たる者、俗な感性に同調してもらっては困ります。中谷はこの言葉を、決してロマンティックな意味で口にしたわけではありません。雪とは、天空の科学的な情報をパックして地表に降りてくることから、空の気象の状態をふんだんに伝えてくれるありがたいもの――と、あくまで科学者としての見識に基づいて語ったのです。

だいたい「雪=ロマンティック」という発想からして、いささか陳腐でお世辞にも想像力に富んでいるとはいえません。余談にはなりますが、中谷は若かりし日、師と仰いだ寺田寅彦(物理学者にして随筆家)の「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」という問いかけによって、科学に生涯を捧げる道を選んだそうです。少々甘ったるいイメージを伴う「ロマンティック」という語から離れ、真の「ロマン」を感じるというのなら、むしろこちらの逸話がふさわしいとは思いませんか。

雪を扱った誰もが知る小説といえば、以前も当ブログで取り上げましたが、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という一文を冒頭に掲げる『雪国』(『めぐる季節に文章術を学ぶ』)が挙げられます。この作品にしたって、もちろん、かのノーベル賞作家ともあろう者が、雪を単にロマンティックな演出の小道具に用いたりするはずがありません。雪は、生々しい業の絡み合う人間ドラマを尻目に、自然の仕組みにしたがってただ降り積もっていくだけ――。けれど、生々しい人間ドラマを描くなら、別に亜熱帯地方が舞台でもよかったはずです。川端センセイは、なぜ雪国を舞台としたのでしょうか。この謎を考えるところに、「雪」と「文学」の関係を探るヒントが見えてくるかもしれません。

「雪」に“気高さ”を描くは西のノーベル賞作家

奇しくも東西ノーベル賞作家対決のようになってしまいますが、「雪」というキーワードを考えるとあっては、アーネスト・ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』を取り上げたくなるというもの。これは、端的にいって「死の物語」といってよいでしょう。戦争や事故で幾度も死を間近にし、ついに猟銃で自らの命を絶ったヘミングウェイ。『キリマンジャロの雪』は、まだ30代の彼が、スペイン戦争へ赴く前に書かれました。

見ると、前方に、視界をさえぎって、全世界のように幅の広い、大きい、高い、陽光を浴びて信じられないくらい純白に輝いているキリマンジャロの四角ばった山頂がそびえている。そのとき、彼は、自分の行くところはきっとあすこだなと思った。
(アーネスト・ヘミングウェイ著・龍口直太郎訳『キリマンジャロの雪』角川書店/1969年)

主人公は、キリマンジャロにハンティングに訪れ、事故に遭って壊疽を発症し、もはや死を待つしかない身の作家です。その脳裏には煩悶が渦巻きます。もっと何かできたのではないか、いまならもっとマシな作品が書けるのではないか――。しかし彼には、自分にはもはや「死」しかないことがわかっています。絶望的状況下、その眼に映ったのが、人間の煩悶とはまったく関わりなく、天辺を純白に輝かせるキリマンジャロの姿でした。それまで人間らしい弱さ愚かさも露わにしていた作家でしたが、死の間際の一瞬、彼の魂は輝く山頂の雪に向かって解き放たれたのかもしれません。

音を聴いて、世界をイメージし、本を書く

雪の降る日は、降り積もった雪が町の喧騒を吸音し静かなものです。ですが、その静けさが逆に、ふだんは聞き取れない梢の擦れ合う音や、雪の重みに軋む幹の音を際立たせ、自然の生命の音はむしろ賑わいを見せます。それを聴き取り、自身の感性をフィルターにひとつの心象風景をイメージするというのは、作家志望者にとってとても大事なことです。たとえば詩人の三好達治は、雪の景色を描写することなく、雪がしんしんと降って真白く変わっていく世界を浮かび上がらせました。それは、静謐でいて命が息づく音を感じさせるかのような、幻想的な世界です。

太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。
(三好達治『雪』/『測量船』所収/講談社/2004年)

詩人は「雪」に「母性」を重ねたのでしょうか。というより「母性」のほうに、「雪」に通じるものがあるのかもしれません。絶えまなく降りつづく雪。“静けさ”という音を教え、辺りを無垢な色に塗り替えていく雪。人間に寄り添うようでいながら、人間におかまいなしにただ降る雪。ときに優しく、ときに非情で、尊さの象徴のごとき姿を見せる雪。何ものにも似ないのに、すべてに通じているような雪――。そんな「雪」ですから、ヘタに扱えばいくらでも陳腐に堕すというものです。作家になりたいあなたは「雪」に何をイメージし、どのようなテーマを託すでしょうか。「雪」と「文学」のあいだに目覚ましく親密な関係を築けるか否か、それはあなたの感性、腕次第というわけです。この週末はひとまず、「雪」を素材として習作を一篇書いてみてはいかがでしょうか。

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