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1945年、誰もが知るように、太平洋戦争で日本は夥しい犠牲を出した末に敗戦を喫しました。そして、決して忘れてはならない規範と新たな時代の認識をもたらしたこの戦争を、未来永劫最後のものにすると誓いました。それから75年――。いま、日本人、いえ世界中の人々は、誓いを新たにするべき岐路に立たされています。それを知る者の大半が去り、知らぬ者のほうが圧倒的多数となる時代を迎えたからこそ、戦争について真剣に考える必要があるのです。戦争を対岸の出来事と済ませてはいけない、とは誰もが口にする決まり文句ですが、そうならないための活動なり勉強なりに取り組んでいる人は決して多くはないでしょう。しかし、知らない、ピンとこないではもはや済まされません。作家になりたいならば、何をかいわんや、です。いつなんどき、再びあの大きな悲劇が繰り返されないとは限らないのです。戦争を知ること、伝えることが、作家志望者にとって看過できないひとつのテーマであるのは間違いないでしょう。
戦争を知る、戦争を学ぶ――といって図書館の蔵書を漁るにしても、この分野ばかりは古典に頼れそうもありません。カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』は名高い名著ですが、彼が戦ったのはナポレオン戦争、語られるのは戦争観と軍事戦略ですし、当然ながら論文とノンフィクションは根本的に違います。ナポレオン戦争に限らず、人類はこの地上に誕生してからというもの延々と戦争を繰り返してきたわけですが、それら前時代的な無数の戦いと先の大戦の大きな違いのひとつに、非軍人をことごとく巻き込んだ点が挙げられます。軍人以外の国民にとってはそれこそが最大の痛みとして記憶に残っているはずで、本稿においても、またほとんどの場合においても、戦争を対岸の出来事と済ませてはいけない、次代に語り継いでいかなければならない――との言葉は、この点にフォーカスした意志の現れでしょう。ここで繙くべきは、限定的に「太平洋戦争」を扱った記録であり、戦争体験者の生の声にも当然耳を傾けるべきなのです。が、終戦から長い年月が経ったいま、体験者は減少の一途を辿っており、生の声に接することのほうが難しくなっています。だからといって手をこまねいる限り、戦争そのものの記憶は風化するばかりです。――と、そうしたジレンマにガシッと穿たれ、感情を伴った時代の記憶をつなぐ楔となるのが、作家の仕事ということになるのでしょう。作家になりたい、本を書きたいと志す者は、当人が希望しようとしまいと、事実の伝達者となるべく宿命を負っています。未来の作家が「戦争」というテーマを後世につなげようとするなら、いかなる姿勢と方法論をもって臨むべきか、今回はそのことを考えたいと思います。
〈家畜のように死んで行った者のために、忙しく鐘を鳴らしたことでなんになろう。
大砲の化物じみた怒り、
どもりの小銃の早口のおしゃべりだけが、
大急ぎでお祈りをとなえてくれるだろう。〉
これは前大戦で戦死したイギリスの詩人オーウェンの詩句であるが、こうして私の願いは、むだな涙を流し、鎮魂の調べをかなでるかわりに、レイテ島で行われた砲声と硝煙と血のにおいを再現することであった。
(大岡昇平『証言その時々』筑摩書房/1987年)
大岡昇平の『レイテ戦記』は、戦争文学の最高峰の一冊に数えられています。終戦の1年前、35歳で招集され、フィリピン・ミンドロ島でアメリカ軍の俘虜となり、レイテ島の病院に収容された大岡は、病室の壁一枚を隔て文字どおりこの戦闘と隣り合って生きる時間を過ごしました。敗戦へと加速度が増していく重大な局面であったレイテ島の戦い。その結末は、日本軍8万人超の将兵がほとんど全滅という無惨なものでした。想像を絶する――というしかありませんが、戦争を知らない者には、もとより想像することすらできません。だからこそ、“事実”はこの上ない説得力をもつのです。『レイテ戦記』は小説としてカテゴライズされていますが、作家大岡が膨大な資料に当たり、数多の証言を収集し、戦争の“現実”を克明に再現したという点でドキュメンタリーといってよい作品です。
兵隊の中には神経の鈍い、犯罪的傾向を持った者がいた。石のように冷たい神経と破壊欲が、あくまでも機関銃の狙いを狂わせないこともあった。与えられた務めを果たさないと気持の悪い律儀なたちの人間も頑強であった。普段はおとなしい奴と思われ、大きな声でものをいわない人間が、不意に大きな声を出して、僚友をはげましたりした。
(『レイテ戦記』中央公論新社/2018年)
『レイテ戦記』のドキュメンタリーとしての圧倒的な質量は、事実の追求への飽くなき姿勢と、息詰まるようなリアリティを具えた細緻な描写によってつくり上げられました。上掲の一文のような人物を作中に配置させるために、大岡はどれほどの時間を費やしインタビューを重ねたのか、それは気の遠くなるような作業であったはずです。そして彼自身、取材で話を聴くほどに、レイテに散った人々が息を吹き返すかのように感じたのではないでしょうか。ノンフィクションライターならずとも、本を出版したいと目標をもつ者ならば、自分の想像のみで安易に作品を書き上げてはならないと知っているはずです。人の想像力は往々にして現実にはおよびません。ましてや戦争の現実など、体験した者でなければ語りようもないのです。
私はいわゆる戦争小説のような描写はあまり行わなかった。作戦、命令、部隊行動という段階をたどれば、その結果たる戦闘の事実の重みが感じられると信じた。(略)私は「事実に歌わせる」あるいは「事実が自分で歌う」ことを願ったのである。(略)一人か数人の代表的人物を選び、その行動と心理を描くことも出来るが、わたしはきっとすべての死者の死を書きたかったのだろう。
(『証言その時々』)
考えるに、現代の過剰なほどの情報化社会を生きる私たちは、実は「事実」を知ることが不得手なのではないでしょうか。ニュース番組は年々ワイドショーじみた仕立てへと変質し、ニュースサイトもアマチュアから学者までが自由にコメンテーターとして登場し得るCGM(Consumer Generated Media - 消費者生成メディア)化しつつあります。要するに、どこかの誰かのバイアスが添えられていなければ、事実をどのように呑み込んでいいかわからなくなってきているということです。メディアの報道やネット情報、根も葉もない噂やデマまで、私たちは事実やその背景を知ろうとすることもなく脊髄反射し、周辺情報を渡り歩き、容易に踊らされ影響されてしまっているのではないしょうか。これこそは、“物書き”にあらざるべき資質。仮にも作家になりたいと胸を張るのならば、自分の目と耳、足を活用し、資料に当たる努力、事実を集める努力を惜しんでいてはなりません。むしろその営みを、執筆行為そのものと同じレベルで喜び愉しまなければならないのです。多くの無辜の人々の命や生活の実像、それらを無思慮に奪った戦争を語り継ごうとするならばなおさらです。戦争の事実を知る――その仕事は、己の作品を世に出したいと未来を見つめる者にとって、比類なく価値ある挑戦となるはずです。あなたという存在がなければ絶えてしまったかもしれない人類の貴重な意志が、その筆で次代へと継がれてゆくのですから。
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