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スポーツにさまざまな競技があるように、文芸のおいてもいくつものジャンルがあり、そのそれぞれに特性というものがあります。「難解なエッセイ」と聞いてなんだかしっくり来ないのは、エッセイならばやはり親しみやすく――というのが人々の前提としてあるからです。知的な好奇心をくすぐるといえば謎解きミステリ、人間存在の実像に迫るといえば純潔の純文学といった感じになるでしょうか。では、「悟る」「達観する」という言葉から、あなたはどんな文芸ジャンルを思い浮かべるでしょう。これら言葉が指し示すのは、物事の本質を見抜き、深く理解するといった方向性であり、この境地は文学を志す者にとって重要な意味をもつでしょう。さあ、どんなジャンル? ――と、もはや問うまでもありませんね、そう、詩です。磨き抜いた詩句を編みあげる詩人にとって、「悟る」「達観する」はひとつの到達点を示す語といえるのかもしれません。
ところが、一流と折り紙をつけられた詩人でも、晩年を待たずに燃え尽きてしまう者は少なくありません。詩人とくれば夭逝ということもあるにはあるのですが、さながら詩人としてのピークを天に定められていたかのように、生きているのに詩人としてはダメになる、たとえば80まで生きて詩を書いた著名な詩人でもピークは50歳だった――というケースはいくらでもあるのです。けれどもそうした詩人界にあって、生涯に亘って前進することを諦めず、変貌し進化しつづけていくひと握りの詩人たちがいます。彼らの生と晩年の詩作からは、ひょっとすると、詩とともに歩んでいく道標が見えてくるのではないでしょうか。たとえば、谷川俊太郎はそのひとりですし、吉増剛造もそうでしょう。そして45年前、79歳にして新たな詩業に取り組もうというなかで散った金子光晴も、間違いなくそうした息の長い詩人のひとりでした。
1923年、27歳の金子光晴は、エミール・ヴェルハーレンらヨーロッパの象徴派詩人の影響を受けた詩集『こがね蟲』を発表し、青く傲慢な青年像を輝かしく謳いあげて、同業の若い詩人たちにその名を知られる存在となりました。しかし、その後の金子の運命は時代に揺さぶられる振り子のごとく波瀾万丈となり、関東大震災、流転、窮乏生活の果てについに筆を折ります。金子光晴の詩の魂が再び目覚めたのは、詩界を去って10年後のこと。あてどない異国放浪の途で出合った風景によってでした。
両岸のニッパ椰子よ。
ながれる水のうへの
静思よ。
はてない伴侶よ。
文明のない、さびしい明るさが
文明の一漂流物、私をながめる。
胡椒や、ゴムの
プランター達をながめたやうに。
「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学。
ニッパは
女たちよりやさしい。
たばこをふかしてねそべつてる
どんな女たちよりも。
ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
だが、精悍なほど
いきいきとして。
聡明で
すこしの淫らさもなくて、
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろへて。
(金子光春『ニッパ椰子の唄』/『女たちへのエレジー』所収/講談社/1998年)
『ニッパ椰子の唄』は、漂泊する金子が身の慰めをニッパ椰子の姿に見出した詩です。どろりと重い熱気のなか、湿地の泥から茎を伸ばし川岸に揺れる瑞々しいニッパ椰子には、自然の純朴な生命力が感じとれます。日本人的詩情としてはいささか馴染みのない椰子ではありますが、河辺の湿地で揺れる思惟ある樹木といえば、ちょうど日本人にとっての柳のような存在だったのでしょうか。後年、老齢に至った金子は、自分が愛着する詩としてこの一篇を挙げることがありました。アジア放浪以前のパリ時代については、20年以上ものあいだ口を閉ざしていたことからすると(自伝『詩人』で告白)、まったく対極的な、よほど思い出深い旅だったと窺えます。パリの荒んだ生活からは一篇の詩も生まれませんでした。貧しさという点ではパリと違いはなかったものの、強国に踏みしだかれるアジアのありさまは、一度は捨てた詩の心を蘇らせるほどに金子を揺さぶったのです。やがて金子は重大な転機となったアジアの旅から帰国します。そして時代は、夥しい犠牲を生む世界戦争へと突入していきました。
戦時下に反戦詩を書きつづけ、のちに抵抗詩人と呼ばれた金子光晴は、詩を遠ざけたり、遠ざけられたりしながらも、自他ともに認めるとおり生涯を「詩人」として生きました。そんな彼の生前最後の詩集となったのが、『花とあきビン』です。
どのビンにも、どこか
みおぼえがあるやうだが、
せんかたないことながら
どうもはっきりわからない。
(略)
吸ひかけの巻煙草を耳に挟んで
数へる人は
ビンを選りわけ、
割れを 片寄せ、
(略)
ビンはビンづれと
一口に言っても
となりあふことは
とかく鬱陶しい。
(略)
ビンとビンとがふれあって、
立てる音さへいまいましく、
こん畜生!
割れてしまへ、とおもふ。
ビンが敵の末のやうに
互ひにあたりちらすのは
形がよく似たうへに
辿ってきた運命もおなじだからだ。
けふも 空地の日だまりの
薊蒲公英(あざみたんぽぽ)の根がしがみついた
石灰殻を捨てる空地の崖ふちに
あのビン、このビンの勢揃ひ。
(金子光春『あきビンを選る人の唄』/『花とあきビン』所収/青娥書房/1973年)
『あきビンを選る人の唄』は、老境に達した金子の人間観、人生観が一見して素朴な情景に詠われていて、若き日のきらきらしい『こがね蟲』とはまったく対照的な詩といえます。「ビンを選る人」がビンを選りわける手捌きは頓着なく機械的であり、欠けたビンなどが片寄せられていく様子は無常で哀れです。似たもの同士のビンたちのあいだにも諍いが絶えません。愚かで卑小な人間社会さながらのその風景を、金子は慈しみをもって見つめています。そこには、似たり寄ったりの道を通ってきたといま思う、金子自身の境遇も重ねられているのでした。『あきビンを選る人の唄』は、数限りなく人間に失望しながら、それでも終生人間を好きでありつづけた、金子光晴が至った詩の境地を示す一篇といってよいでしょう。
金子光晴をはじめ、生涯詩人の道を貫いた者にとって、詩を書くことと生きることは同義であったと思えます。詩を書き、詩人になりたいと切磋琢磨するあなたは、詩をやめてはいけません。たとえやめても、どこかで詩のことを考えつづけ、いつかまた帰ってきてほしいと思います。そして誰がなんと言おうと、自分は詩人なのだと念じつづけるのです。そんな人生を過ごすあなたは、いつの日か必ず詩人になります。誰がなんと言おうと詩人なのです。それが、苦難と挫折とともに歩みつづけた道の先にこそ詩作のまだ見ぬ到達点がある――と信じた者にだけ訪れる詩人の境地です。
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