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小説における「色」の視覚的効果

2019年05月31日 【小説を書く】

「目が覚めるような」小説の名品

小説において「色」というと、突然キラリと眼を輝かす殿方もいらっしゃるかと思いますが、あいにく今回はそういうお話ではございません。大真面目に「色(=COLOR)」について語ります。

「目が覚めるような」という言葉がありますね。そう、ぼんやりとしていた眼差しが、瞬時にカッと冴え渡るような鮮烈な印象を受けたときに用いる言葉です。もちろんこの「目が覚めるような」感覚は、小説を書くうえでも大変重要です。なぜって、小説とは文章の意味を追って理解するだけのものではないからです。心情や情景の単なる説明書とは違うのですから、人間の五感に触れてくる文章かどうか、そこがキモになるわけです。読みの手の心の目がカッと見開くのは、そこに触れられた瞬間です。事物の“質”を判断する五感が文章と交感しはじめると、読む者の想像力は刺激され、二次元の表現のなかでももっとも簡素といえる文字の世界に精彩をもたらします。小説にとって、読者の五感へと触手を伸ばせるかどうか、これは重要な課題です。わけても「視覚」は、鮮烈なイメージを喚起し多大な効果をあげる――となれば、これは放っておくわけにはいきませんね。

名だたる作家や多くの小説愛好家が、口をそろえて「極上」と称える一篇の小説があります。“彩りの物語”とでも呼ぶべき、目が覚めるような色が弾けるその作品のタイトルは『檸檬』。そういえば「レモン」というワードでネット検索すると、検索結果画面を埋め尽くすのは、2018年の邦楽チャートを席巻した米津玄師の『Lemon』です。この楽曲が時代の波に洗われるのはもちろんこれからではありますが、邦楽のさまざまなセールスレコードを塗り替えた『Lemon』が、「レモン」という語のみならず、玄人筋からの評価が高いという点においても小説『檸檬』と通ずるのは、なかなかの不思議です。

さて、話を本題『檸檬』戻します。原稿用紙にして20枚に満たないこの短編は、31歳の若さで夭折した梶井基次郎の代表作といわれます。『檸檬』にはさまざまな色が配されています。といって、単に多彩な色で飾られた、絵画のように美しきお話であるとの早計な見方は避けなければなりません。梶井は、このごく短い作品において「色」を定義づけ、それぞれにグループ分けをしました。が、そうして登場する幾種類もの色たちを、烈日が放つ白光のごとく一気に褪せさせてしまうのが、つまり「檸檬」なのです。

物語の「詩美」について考える

『檸檬』は、得体の知れない憂鬱と焦燥を抱えた若い「私」が、馴染みの八百屋で檸檬を買った一日を描いています。冒頭、みすぼらしい街に勢いのいいカンナや向日葵が咲く風景が映し出されますが、このモノクロームのなかの清新な“彩り”からして、終幕へと向かう着色がもうはじまっているのです。その後も、花火や色硝子のおはじきなどが登場し、主人公に幼い日の記憶を蘇えらせます。これら色は明度・彩度・質感といった風合いにそれぞれ違いがあり、その分だけ作品世界もまた彩りを増していきます。梶井は、色がつくりあげるそうした風味を「詩美」と表現しました。聞き慣れない「詩美」という言葉の意味は、文字どおり“詩のような美しさ”。それは、レモンイエローが輝きを放つ物語の舞台に欠かせない“美”なのでした。

私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

(梶井基次郎『檸檬』/『檸檬・ある心の風景 他二十編』所収/旺文社/1974年 ルビは引用者による)

幼時の記憶を蘇らせる色につづくのは、ハイカラな書店に並ぶ赤や黒のオーデコロンや翡翠色の香水瓶。しかしかつて愛したそれらの色も、もはや主人公にとってはこれ見よがしな重苦しい色でしかありません。そしてついに登場する裏通りの庶民的な八百屋。夜、暗闇に絢爛と浮かぶ色鮮やかな果物や野菜のイメージは、まさしく舞台を思わせます。主人公は、庶民的な八百屋には珍しかった檸檬を買います(事実、梶井は檸檬好きだった)。単純な黄色や冷たさ、爽やかな香りは素朴な幸福感をもたらしますが、せっかく湧いたそんな幸福感をたちまち翳らせるのは、くだんのハイカラな書店「丸善」。どういうわけなのか――。さまざまな種類の象徴的な色が描かれた情景、そこに浮かび上がる「詩美」の異なる風味。それらが繊細な情緒を表します。

あなたの気持ちを変える「何か」が、小説の空気や色をも変える

さて、丸善に入り「私」は重い画集を手に取ります。けれど、あれほど好きだった画集なのに、書棚から引き抜いたもののもとに戻す気力すら湧かず、他の画集とともに目の前に山となっていきます。そのとき、主人公にふとしたいたずら心が起きます。それは、ゴチャゴチャとした本の山の上に、そっと檸檬を据えてみるというもの。さらにはその檸檬をそのまま放置して店を出る、という第二のアイデアに胸が高鳴ります。置き去られた檸檬はもはや爆弾。画集もろとも爆発する――という空想にひとり微笑む主人公の周辺には、たちまち街のざわめきと生気ある色が蘇えってくるかのようです。

「生きること」はあらゆるものに喩えられますが、そのひとつとして、さまざまな色をまつわりつかせること――と見ることもできます。正体のわからない憂鬱や焦燥のような感情は、それらの色の本来の色をなからしめ、いっそう暗鬱な淀みを生むものです。その淀みが湛える暗色を、檸檬が爆弾のごとき威力で一瞬のうちに雲散霧消させるという痛快さ。「小説を書く」という仕事において力を発揮するのが、この感覚なのです。人の暮らしのなかにある気持ちの浮き沈みは、たとえ10年に一度の僥倖に与ったとしても、その先の安寧が保障されるわけではありません。むしろ日々補修を施すような、ダウン傾向にある心理をアゲてくれるパッションのコンスタントな供給こそが必要です。小説『檸檬』における檸檬の実体とは、まさにそれ。中盤のくだり、八百屋で檸檬を見かけた際、主人公はこう言っています。「いったい私はあの檸檬が好きだ」。わけもなく気落ちするのが生理現象なのだとすれば、やはりそこから引っ張り上げてくれるのも、生理的に好きだといえる「何か」の存在なのかもしれません

ちょっと意外な気もしますが、梶井基次郎は理系の出身でした。檸檬の彩りや香気が主人公にもたらす目覚ましい効果は、化学反応に通じているのかもしれません。私たち誰もが、そのような感覚をもたらす特別な「何か」をもっているはずです。すなわちそれが、あなたが描く物語の色を蘇えらせ、作中の空気を変える「何か」です。それこそは、「詩美」のある清新な小説を書く大きな助け“秘密兵器”(=爆弾)なのです。

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