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何ごとも、見目形がキレイでありさえすれば、それでよいというものではありません。「内面の美」を称える言葉は、苦しまぎれの賛辞だったり、おためごかしに使われる場合もありますが、やはり真理を突く言葉でもあるのです。では文学作品においてはどうでしょう。「美しい物語」とは、どのようなものでしょうか。美しい場面をちりばめた物語? 美しい世界を描いた物語? それとも、心の美しさを表現した物語? どれも正しいようであり、陳腐な解釈のようでもあり、おいそれとは答えが出しがたいような気がします。いやそもそも、答えなどないかもしれません。――だとしても、いずれにしろいえるのは、あなたが作家になりたいと夢抱き、世にも美しい物語を書きたいと胸逸らせているなら、何はさて置いても、「物語の美しさ」の本質を知る必要がある、ということです。いや、答えがない以上、知ることは望めないとしても、せめてその本質を探る思索の旅に出ることは求められるのではないでしょうか。
「美しさ」の定義は難しくとも、人種を超えた共通認識はあります。たとえば、雪の光り輝く峻峰や、白い砂とエメラルド色の海岸、色とりどりの花咲き乱れる丘の風景……それを美しいと思う人は多いでしょう。しかし「風景」ではなく、それが「物語」となると話は別です。花が咲き虹の架かる楽園に宝石のような蝶が舞い、ギリシア神話のアドニスのような美青年がハープを掻き鳴らす情景を描写したからといって、嗚呼、美しい! と人がひれ伏すかというと、そんなことはぜんぜんないのです。また、美しい物語というと、ともすれば悲恋ものが照射されがちです。実際、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』などは世界一美しい悲恋物語と称賛されますし、儚いもの、叶わぬ運命に「美」が宿ると見るのはまあ頷けます。けれど、その読者心理を狙って悲恋物語を描くというのは、何か人間の情緒的弱さにつけこんでいるようで、美しい物語と堂々認定するにはどうも憚られるものがあります。半世紀以上も前の、マーケティングなんて言葉が文学に絡みつくことのなかった時代のこと、ボリス・ヴィアンだってことさらに「美しい物語を書いてやろう!」と勇んで悲恋を描いたわけではないはずなのです。
水のように澄んだ空が星を漬し、星を現像していた。
2012年の7月から9月にかけて、紀伊國屋書店新宿本店で「ほんのまくら」フェアが開催されました(まくら:出だしの一文)。これは作品タイトルも作者も内容も明かされず、ただ書き出しの一文が刷られたカバーを見て本を選ぶという、なかなか斬新なイベントでした。そして当日、一番人気で早々と完売となったのが上記「まくら」を巻いた一冊。この本のタイトルは『夜間飛行』(堀口大學訳/新潮社/1956年)、作者はサン=テグジュペリです。『星の王子さま』が有名なサン=テグジュペリですが、あなたのサン=テグジュペリ体験をそれで終わらせてしまっては、彼の一面しか知らないことになります。『星の王子さま』が童話なら、『夜間飛行』はその大人版、人生の悲壮をリアルに美しく描いた物語といえます。『夜間飛行』には『夜間飛行』と『南方郵便機』の2編が収録され、「水のように――」の一文はサン=テグジュペリの処女作である『南方郵便機』を飾るものでした。
サン=テグジュペリは第二次世界大戦末期、南仏方面へ偵察飛行に出たまま帰らぬ人となりました。『夜間飛行』と『南方郵便機』には、幼いころからその死まで、大空を夢見つづけたサン=テグジュペリの生き方と飛行へのロマンが込められています。物語はいずれも、航空機による郵便事業草創期を舞台としています。その当時「飛ぶこと」は命を懸けて尽くさなければならない仕事であり、作中の主人公たち同様、サン=テグジュペリ自身も終生その姿勢をもちつづけたようです。現実の苛酷さと悲しみを捉えた物語であればこそ、美しい文章がいっそう水晶のような輝きと透明感を帯びます。『星の王子さま』にしても、その同じ精神を宿しているがゆえに、これほどまでに時代や国境を超えて愛されるのではないでしょうか。
ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。
(中略)
「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」
(アンデルセン著/矢崎源九郎訳『絵のない絵本』新潮社/1952年)
ハンス・クリスチャン・アンデルセン作『絵のない絵本』がなぜ「絵のない絵本」と題されているのか。絵がないというのに、なぜそれでもわざわざ「絵本」と題されているのか――。貧しい青年に月が「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と勧めて聞かせる物語集『絵のない絵本』。世界中の国を照らす月が目にしたほんの束の間の物語は、万華鏡のように多彩な美しさを見せますが、読者はその美しい情景を青年の絵を想像するようにそれぞれの脳裏に描いていきます。しかし『絵のない絵本』は、そうして作品そのものを愉しむだけでなく、空想というものはかくも自由で果てしなく、そして幸福感に満ちている――と、私たち自身の想像力の素晴らしさをも知ることのできる類稀な一作なのです。月の語る物語は、貧しい少年時代を過ごしたアンデルセンが、毎夜空を見ながら空想した別世界の一幕であったのでしょう。つまり物語の構図とまったく同じように、アンデルセン自身が月という語り手になり、煌めきのごとき物語のかけらをコラージュし、読者を想像世界へといざなっているのです。
美しさの追求などには興味がない、人間のダークサイドを掘り下げ、世にも醜い物語を書きたいのだ――というヘソ曲がりがいても、ま、それはそれでよいでしょう。よほどのっぺりした人でない限りは、人間誰しもそうした一面をもっているものです。けれど「美しさ」の本質を知る姿勢がなければ、その逆の「醜さ」に関しても表面的な解釈に終わることは自明です。本を書きたいと志す者なら、ここでひとつ頷き、「美しさ」について深く考え、その確固たる姿を見出し、自らの定義をラべリングしてほしいと思うのです。掴みどころのない禅問答のようで申しわけありませんが、というわけでここでは「美」に対するこれといった解釈を挟むことなく筆を擱きたいと思います。
美とは決して、目に見えるだけのものではありません。人間の内面同様、物語世界においては、そこに貫かれるさまざまな信念や意識によって「美しさ」が宿ります。物語の美しさはひとつではなく、またその本質は目には見えないところにあるのです。美しい物語を書こうとする奮闘は、つまりその本質を探す旅。きっとあなたを、作家としてひとまわりもふたまわりも成長させてくれることでしょう。
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