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書店に赴くと賑わいを感じさせる一角があります。何のフェアだろうと近づいてみると、「第二の人生」をテーマとした啓蒙書やノウハウ書、エッセイ、小説……とさまざまなジャンルの書籍が並んでいます。そう、それは「終活市場」という名のマーケットを狙った特設の販売ワゴン。いまや本だけではありません。テレビも新聞も雑誌も大規模な商業施設でも、「終活」をテーマにしたあらゆる番組、記事、イベントが並んでいます。繰り返し接していると、それらが説く“人生を終える活動”を地で行くことが、唯一の“まほろば”への道筋であるとすり込まれる気にもなります。ですが、どれもこれも目にしたことのあるような前向きな言葉が並びがちで、そうした書物が、何か“ため”になる真のメッセージを本気で発しようと世に出され、実際に“ため”になっているのだろうか、ことさらに耳を傾けるべき提言が織り込まれているのだろうか――と、正直ふと自問したくもなる冷静な自分もいます。
「第二の人生」とは、すなわち「余生」とされてきた老後の後半生を、「新たな人生」として捉えたフレーズです。エッセイを書く、小説を書くという立場の者であれば、この語に前向きな香づけがなされていることに気づかねばなりません。「第二の人生」を書くことは、じつは思いのほか難しいものなのです。確かな理解と洞察をもって「老い」というテーマに臨んだとき、人生とはそれほど単純で画一的ではないと気づくはずです。ひとりひとりの生まれや境遇が千差万別であるように、幸福な老後も人それぞれ。それなのに、どうでしょう。巷に溢れる「第二の人生」のキャッチコピーのごときフレーズは、「幸せな老後を考える」「老後をいかに生きるべきか」「モノを捨てて身軽になろう」「生きがいをもつことが何より大事」……など、すべて同じ立ち位置から発せられているような塩梅です。もちろん、いずれも正論であろうし提案として間違ってはいません。けれど、一読者ではなく、本を書きたい、作家になりたいと志抱く者となれば、社会が「老い」を語る際の、こうした十把一絡げにする動向におめおめと乗っかってはならないのです。
20世紀フランス、シモーヌ・ド・ボーヴォワールというひとりの女性が世に出ました。作家で哲学者、女性解放思想を説いた草分け的思想家です。ボーヴォワールといえば、学生時代に出会ったジャン=ポール・サルトルとの法的な拘束を伴わない“結婚”が有名で、互いが互いを伴侶と認めることでのみ成り立っていたその関係は、サルトルの死までおよそ50年間つづきました。ボーヴォワールの代表作としては、フェミニズム運動の嚆矢となった『第二の性』(当ブログ記事『イズムと作家の関係』参照)が知られていますが、その双璧と見なされているのが、その名も『老い』です。執筆当時、61歳。まさしく老いの領域に入っていこうとする年代であった彼女は、本作においてただひたすら冷徹に「老い」を見つめました。
老いが心の明澄さをもたらすという偏見は徹底的に排除されなければならない。古代以来、成人は人間の境涯を楽観的な光の下で見ようと努めてきた。成人は自分以外の年齢に自分がもっていない美徳を押しつけてきた。すなわち、純真無垢を子供に、明澄さを老人たちに。……これは都合のいい幻影であった。なぜなら、この幻影は、老人たちがあらゆる病苦にうちひしがれていることを知っているにもかかわらず、老人たちは幸福なのだと考えることを人に許し、彼らをその境涯にうち棄ておくことを許すからである。
(シモーヌ・ド・ボーヴォワール著/朝吹三吉訳『老い』人文書院/2013年)
ボーヴォワールはさまざまな角度、カテゴリーから膨大な「老い」を収集・分析し、その実相が同じひとつの像を結ばないことを裏づけました。民俗学的、歴史的な見地からリサーチを進め、高齢者を大切に扱った(または逆に排除した)民族や時代はどのようなものであったかと示すいっぽう、著名な作家や歴史上の人物の老いに関するコメントやエピソードも紹介し、彼らの三者三様の楽観的・悲観的・達観的態度を浮かび上がらせました。楽観論者の最たる者は詩人のホイットマンでしたが、そんな彼にして老いて身体の不自由を実感すると泣き言を口にしたといいます。人生はさまざま、老いもさまざま、しかし総じていえるのは、老いた人は明澄でも幸福でもなかった――そうボーヴォワールは記すのでした。
50年前、老いは明澄さをもたらすものでも、幸福を運んでくるものではないと断じたボーヴォワールはまた、老いをあらゆる角度から照射した上で、社会が真実、老いを考える姿勢をもち得ていないと指摘しました。慧眼の極みを感じる一節ではありませんか。つまり老いを真正面から見据えられない私たちが已むなく描く幻想――ズバリ言えば、それが終活市場がこぞって謳う「第二の人生」だったというわけなのです。この事実! それが老いを取り巻く絶対的な事実であるとするなら、作家になりたいと思う者は、こうした人間の内部に潜む弱さを手にじかに取って観察できる地点から、「老い」をどのように描くかあらためて考える必要があるのではないでしょうか。
ボーヴォワールの『老い』から厳然と浮かび上がってくるのは、老いが無惨であり、しかも無惨であるのが当たり前であるという事実です。「老い」は、ある面から見れば自然の成り行きの一形態に過ぎません。人間の精神を「悟り」の特別な状態に至らせるものではないのです。そして、昨今の事件事故のニュースが示すように、60になったから、70になったから、じゃあ老いの心がまえを――と誰もが等しく区切りとして迎え入れられるものではないようです。ただただひとつ言えることは、岸辺に寄せる波のように、老いはいずれは誰にも同じように訪れ、ジタバタする者も積極的に取り込む者も、やがてさらわれて命の終わりを迎えます。もしかすると、老いを書く前提として何よりも大事なのは、この当たり前の現実をしっかりと理解することなのかもしれません。老いて人は何を見る……のでありましょうか。
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