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『夜の木』――絵本のスペシャリストを魅了した“黒い絵本”

2019年10月25日 【絵本・童話を書く】

芸術作品のごとき絵本の真の力とは

「絵本」といえばクマがいてウサギがいて村は平和を取り戻し――というステレオタイプな概念から逸脱する、外観からして甚だしく異色の“黒い絵本”があります。手漉きの紙一枚一枚にシルクスクリーンでプリント、全編手づくりという、そんなものがネットショッピングが主流のこの時代に流通するのか商品になるのかと、ふつうの人なら疑ってかかるのが当たり前の絵本です。えー、絶対無理でしょう……と。ところが、なったのです。しかも重版に重版を重ね、いまや容易に手に入らない垂涎の一冊となっています。この離れ業さながらの流通出版を成し遂げたのが、誰あろう絵本業界のスペシャリストで、出版の世界を熟知し、すなわちコトの難しさなら人並み以上に予想できた絵本出版人、タムラ堂の田村氏でした。そんなプロ中のプロを魅了した絵本とは、文字どおり唯一無二のハンドメイド仕上げ、黒い表紙を神秘的な木の姿が飾る『夜の木』です。

『夜の木』は南インドの小さな出版社から生まれました。一冊一冊ハンドメイドで仕上げる制作法は、なにも高級路線を狙ったわけではなく、創業当時、外国絵本ばかりだったインドの子どもたちにこんな絵本を読ませたいと企画した結果だといいます。描かれているのは、インドの先住民族・ゴンド族に伝わる神話・民話の世界。夜になると、木であって木ではない真実の姿を現す聖なる木々の物語でした。ゴンド出身の3人のアーティストの合作であり、労と時間をかけた一点一点の絵はまさにアート作品と呼ぶにふさわしい出来。とはいえ、出会った人を魅了するこの作品の秘密は芸術性の高さでしょうか。無論、高度な技法、精緻な描写は見応えに事欠きません。ですが、どうもそれだけではないような気がしてならないのです……。

“自然”と結びついた比類ない芸術性

『夜の木』を日本で出版したタムラ堂の田村氏は、児童書系の出版社に在社中『夜の木』と出会い、一目で魅了されたものの、日本での出版は難しいと一度は諦めました。ところが『夜の木』の不思議なパワーは氏に憑りついて離れず、ついに自分で出版社を立ち上げ、奔走の末に、夜の神秘に満ち満ちたこの黒い絵本をついに世に送り出すに至りました。つまり、冗談抜き誇張抜きに、初めに本ありき。タムラ堂は『夜の木』を出版するために誕生した出版社だったのです。しかも田村氏は自身の作品を自画自賛し陶酔する作者ではなく、この場合はさしずめキュレーターといった立場だったのですから、その惚れ込みようは半端なものではありません。それにしても、長年に亘り絵本の出版に携わって来た氏をして、これほど大胆な行動に駆り立てた『夜の木』の力とはいったい何なのでしょう。

うたの木
ゴンドの七人の兄弟が、あるとき、財産なんかみんな誰かにあげてしまって、ふつうの人のように暮らしたいと思った。するといちばん末の弟の夢に大いなる神が姿をあらわし、こう告げた。
「おまえたちの使命は、これからは、サジャの木のしたに座って、神をたたえる音楽をかなでることだ」
そのとき以来、サジャの木はうたの木とよばれるようになった。

(シャーム/バーイー/ウルヴェーティ著・青木惠都訳『夜の木』タムラ堂/2013年)

前述のとおり、『夜の木』は絵本の形をとったアート作品ともいえます。芸術性がその魅力のすべてではないといっても、高い芸術性、それに加えて、質的な豊かさを見過ごすことはできません。『夜の木』には独特の手触りがあります。この手触りが、まず五感を呼び覚まします。手漉きによる紙ならではの感触、シルクスクリーンのインクの凹凸感。書店でそこそこ見かけるエンボス加工や箔押しとは別次元の実感です。本という平面の世界において、文字が形づくる“声”のほかに、手触りによる質感の“声”が(気持ちいいよ、あったかいよ)と伝わってくるのでした。そして五感を刺激するその“声”こそが、『夜の木』のもつ世界観にこの上なくふさわしいものだったのです。

自然の定めに生きる本能が共鳴する絵本

『夜の木』が描くのは、夜になると、獣や鳥や蛇など、自然界に生きる他の生物たちと一体となった本当の姿を見せる聖なる木の物語であり、ゴンド族のアニミズム(自然物に霊が宿るという考え方・信仰)に根差しています。それは、自然が宿したおおいなる命が鼓動し、精霊たちが静かに囁く世界です。ゴンドのアーティストが描いた細密なひと筆ひと筆は、いわば“祈り”を込めた神聖な仕事なのです。不思議なのは、遠く離れた文明社会に生きる私たちに及ぼすその効果です。ページを繰ると、その原始の呼びかけ、力が、いつしか心に共鳴したかのように、はっと厳かな感動に打たれるのでした。

富士山、屋久島、阿蘇、熊野古道……、全国各地のパワースポットは多くの人で賑わいますが、どこか観光業界やマスコミ業界と密接に繋がっているようにも見え、それゆえ逆に、こぞって群がる人々はじめ、現代の日本社会は自然への信仰などとうに失ってしまったかのようにも思えます。縄文杉をバックに写真を撮ってインスタ映え――、それはもはや承認欲求を満たす安易な一形式でしかないはず。……でも、もしかしたらそれだけではないのかもしれません。昨今の自然災害は私たちをねじ伏せるように“人間だって自然の定めに従って生きる存在なのだ”と知らせてくるようです。そうした時代に生きる人間の無意識は、アニミズムを信じる・信じないとは別のレイヤーにおいて、むしろ鋭敏になっているのかもしれません。人間ひとりひとりの心の内には、自然の神秘や力を畏怖する無垢な部分が細胞のように具わっているのでしょう。『夜の木』が発する原始の祈りへの力は、人間の奥底にある本能的な感情を震わせ、怖れつつも身を委ねるべき自然への共鳴を呼び起こすのではないか――そう思われてならないのです。

ひょっとすると高度な手づくり技法を採り入れたこの黒い絵本は、絵本というジャンルのみならず、小説、エッセイ、詩歌、楽曲……といった創作全般の未来にひとつの方向性を示しているのかもしれません。畢竟、絵本作家になりたい人、本を書きたいすべての人が注目すべき一冊であることは間違いないでしょう。タムラ堂では幾度となく版を重ねるも、たちまち品薄状態になってしまうようです。幸いにも手にすることができた方は、『夜の木』に触れた自身の身体に走る微弱な電流をとらえてください。導線の上に置いた方位磁石が右ねじの法則で一定の方角を指すように、あなたにも自然界からの静かなる啓示が訪れるかもしれません。

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