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女流歌人の生き方に「作歌」を学ぶ

2021年04月19日 【詩を書く】

「歌」はどこから生まれてくるのか

五・七・五・七・七で詠まれる和歌の一形式「短歌」。日本に古くから根づいている文化であるにも関わらず、不思議と他の領域のようにジェンダー的な不均衡は見られず、いまもむかしも男女の差異なく親しまれている文芸の一ジャンルです。しかし、だからといって創作された「歌」にも男女の違いがないかというと、必ずしもそうではないようです。近代歌人といって必ずその名を挙げられるのは「与謝野晶子」ですが、晶子が詠んだような歌を男性が詠むことは難しいようにも思われます。それは晶子が、歌人として生きた歌人であるだけではなく、あくまで女として生きた迸るような真情を「短歌」として結実させた歌人であるからです。では、男性歌人が晶子に習うべきものが何もないかといえば、そんなことはありません。心惹かれた風景をただ美しいと詠い、悲喜こもごもの感情をただ表現するだけでは、描線に沿ってきれいに色をつけたぬり絵のような詩歌にしかならない、という理に男女の別などあるはずもないからです。生きた詩や歌は、“生き方”のなかから現れてくるもの。その“生き方”を学ぶのに、与謝野晶子に勝る歌人の師はいないでしょう。

1878(明治11)年、大阪堺の傾きかけた老舗和菓子屋に生まれた晶子は、三女であったためか両親に顧みられず、本ばかり読み耽るような内気な少女でした。長じて短歌に目覚め、師・与謝野鉄幹に出会って熱烈な恋をし、その情熱を数々の歌に詠い上げました。それまでにない女性の官能に満ち溢れた歌は鉄幹の目に留まり、処女歌集『みだれ髪』が刊行されるや、晶子は歌壇にセンセーションを巻き起こし、不倫関係を制し鉄幹の妻の座を射止めます。略奪愛とはいえひとまずの成就、ふつうはこれでめでたしと――なって歌風も穏やかになるか、夫婦となった男女の情熱の火が衰えるままに創作が色褪せるか、いずれかのケースが考えられるところです。しかし晶子は違いました。彼女の情熱の炉は恋心ではなく、別のところにあったからです。

不世出の歌人、その「センセーショナル」の秘密

その子二十 櫛にながるる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな

やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君

(与謝野晶子著『みだれ髪』/新潮社/2000年)

優れた恋の歌、恋の詩は世に星の数ほどあります。ということは、先達の歌人・詩人たちは、恋を熱源にそれらの作品を創り上げてきたのでしょうか。いいえ、そうは甘くないでしょう。恋は、いわば火種。熱源は精神のもっと深いところにあるはずです。だって、いままさに絶頂と燃え盛る恋心を創作の唯一の熱源とするならば、その恋の火が消えたとたん歌も詩も書けなくなってしまうではないですか。いや、下手をすると恋に破れたら詩どころか生きる意欲さえ失い、せっかくの才能も埋もれかねません。表層的な感情に頼って創作に臨むことは、かように危険なのです。

上掲の二首は『みだれ髪』のなかでも有名な歌。鉄幹への恋に情熱を燃やしていたころの晶子が詠んだ歌ですが、ここに浮かび上がるのはひたすら恋うる男の姿でしょうか。読みば一目瞭然、そんなことはありませんね。たとえばはじめの一首については、俵万智の「チョコレート語訳」を引用するとわかりやすいかもしれません。

二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏(おそ)れを知らぬ春のヴィーナス

(俵万智著『チョコレート語訳 みだれ髪』河出書房新社/2002年)

鉄幹と出会ったころの晶子は二十歳。その自分に重ねて、瑞々しい美しさで春真っ盛りの若い女性像を謳い上げているそこには、当の恋しい男の姿など影形もなく、その奢りっぷりはもはや爽快なほどです。つづく歌「やは肌の――」にしても、不倫関係にあった鉄幹が「やは肌」を知らぬはずはなく、むしろ文学論をぶつ角張った青年を蠱惑するような笑みを投げかけ妖艶な空気が漂います。つまり晶子は、一世一代ともいえる鉄幹への恋心をみずからの作歌の目覚めとして、女性の官能を世に知らしめたのです。時代は明治、まさにセンセーショナルな歌人の誕生でした。

作歌の源泉――素養と好奇心、そして進取の気性

では、与謝野晶子という傑出した歌人の創作の熱源はどこにあったのでしょう。

詩人で小説家の佐藤春夫は、若き日に師事した与謝野晶子に無上の敬愛と憧憬を捧げ、一篇の物語『晶子曼荼羅』を書きました。そこでの晶子は、友であり同人でもあった山川登美子と鉄幹との三角関係に懊悩し、脇目も降らず妻の座を奪う凄艶なひとりの女性として生きています。佐藤春夫が描き上げたのは、完全無欠な偶像の晶子ではない、才能に溢れ自由奔放で勇敢だが嫉妬深さや愚かさも人一倍もち合わせている、生身の晶子です。佐藤はそんな彼女を無二の師として賛美し、情熱的な作歌の根の在り処を示したのです。

『晶子曼荼羅』は与謝野晶子の少女時代から歌人として世に出るまでを描いていますが、実はこの少女時代に鍵があります。少女のころから古典に親しんだ晶子は、『源氏物語』の名訳を残していますが、万葉の女性たちの情熱と官能は晶子にとって馴染み深いものであり、いつしか己の血肉としていったのでしょう。晶子のなかには“古風”と“自由”が共存しています。1911年(明治44)年、『青鞜』巻頭の辞に寄せて「山の動く日来る」と女性の目覚めを高らかに宣言した晶子。彼女は、時代に縛られず怯むことなく駆けつづけた先進的な女性であったけれど、同時に、“大和魂”を誇らかに表明する根っからの日本女性であったのです。

与謝野晶子の生き方に、あなたは何を見出すでしょうか。これだけはいえます。短歌も詩も、いっときの感情のみで詠われるものであってはなりません。惚れた腫れたの恋心に頼って歌を詠んで悦に入るうちは、第三者の琴線に触れる作品など紡ぎようもないのです。優れた詩歌を詠むには、蓄積された知識や素養、好奇心、革新に挑む発想力や勇気といった、複雑精緻な栄養成分をもつ精神的な源泉が必要なのです。詩歌を志し本を書きたいと願うならば、創作のもととなる栄養成分を蓄えましょう。その学びをはじめるのに早いも遅いもありません。人生何をするにせよ、いつだって遅すぎるということはないはずじゃないですか――何をするにも、そう、決して。

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