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谷川俊太郎に学ぶ「詩」と「言葉」の本質

2019年07月19日 【詩を書く】

「言葉に意味はない」とまず理解する

コンテストの応募原稿などを読んでいると、詩=メッセージとばかりに、やたらに生きのよい言葉を書き連ねている人がいます。少なくない数います。けれどもそれは、詩は自由であると承知の上で選者目線でいうと、詩を書くスタンスとして誤りがあるとはっきりいえます。確かに生きづらい世の中であり、この地球上でともに生きる仲間たちに応援歌を送って元気づけたいと願う気持ちはわかります。大なり小なり誰もがストレスめいたものを抱え、何も問題なく満ち足りた人などいないのです。元気を分け合うことの必要性も否定などしません。けれど、言葉によるメッセージでは真に人を癒すことも、救うことも、叶いません。言葉そのものに意味はないからです。詩人志願者であれば、そのことをよくよく胸に刻んで詩作に臨む必要があります。

言葉に意味はない――。この一節の意味を紐解くことで、直截的な言葉でメッセージを発することの無意味さが理解されるはずです。とはいえ、一見難解なレトリックのようでもあり、謎解きのキーワードのようでもあるこのフレーズは、すとんと腑に落ちるものではないでしょう。では、こんなふうに喩えたら少しはわかりやすいでしょうか。

人は折々、幸福とは何だろうかなどとその意味を探ってみたりします。しかし実は、日だまりで愛犬と寝そべっていたりするとき、私たちは「幸福」と呼べる満たされた気持ちを味わっています。つまり、「幸福感」を心と身体はすでに知っており感受できるのです。「幸福」という言葉は、そうした気持ちに付せられたいわば記号であり、記号自体が意味などもちようもありません。だから、メッセージを発しようと詩を書き、「幸福になろうよ!」「元気をだそうよ!」と促したところで、記号を差し出しているのと変わりなく、幸福感や元気がもりもり湧きあがってきはしないのは当たり前なのです。

「詩を書く」とは言葉≒記号に命を与えること

詩を書こうとするなら、記号でメッセージを直接伝えようとする考えをまず捨てなければなりません。詩語という言葉を操る詩人谷川俊太郎は、いくつかのメディアでこんなことを言っています。

意味じゃないものに心を動かされるのが最高
詩の「意味」っていうのはあまり重要ではない

(上・J-WAVE 81.3FM 『GROWING REED』 2014年11月9日)
(下・DMM英会話ブログ 2015年10月6日)

そう、意味を伝えようと言葉を用いるのではなく、言葉によって浮かび上がってくる情景に声なきメッセージを託すのが「詩」なのです。それはどんなのかって? たとえば、あなたが忙しい毎日に疲れ、心も身体もどんよりと重くなっていたとします。ああもうイヤだと気持ちは投げやりで、何に抗う元気もありません。――そんなとき、読むべき詩が谷川の次の一篇です。

やめたいと思うのにやめられない
泥水をかき回すように
何度も何度も心をかき回して
濁りきった心をかかえて部屋を出た

山に雪が残っていた
空に太陽が輝いていた
電線に鳥がとまっていた
道に犬を散歩させる人がいた

いつもの景色を眺めて歩いた
泥がだんだん沈殿していって
心が少しずつ透き通ってきて
世界がはっきり見えてきて

その美しさにびっくりする

(谷川俊太郎『散歩』/『こころ』所収/朝日新聞出版/2013年)

泥水がかき回されたように濁った心をもてあまし、ふと散歩に出る。いつもの風景を眺めるうちに、泡立った心が静かに凪いで澄み渡っていき、不意に美しい世界が見える――。「見慣れた風景は心を休める」と言われたって、「世界は美しい」と言われたって、そうかもな……くらいには思っても、心のありようまで変えてくれる感動はポコンとも湧いてきません。記号をただ繋いで意味を通じさせたところで、詩は生まれないのです。

言葉を探し愛おしむ――詩人のあるべき姿勢

谷川俊太郎が2013年に発表した詩集『こころ』には、言葉というものの空虚さに触れながら、はかない詩を愛おしんだ一篇があります。詩人のあるべき姿を教えてくれる詩でもあります。

限りなく沈黙に近いことばで
愛するものに近づきたいと
多くのあえかな詩が書かれ
決して声を荒げない文字で
それらは後世に伝えられた

口に出すと雪のように溶けてしまい
心の中でしか声に出せないことば

意味を後ろ手に隠していることばが
都市の喧騒にまぎれて いまも
ひそかに白い裸身をさらしている

(『裸身』/『こころ』所収)

谷川俊太郎という詩人は、70年近く前(何たる長命詩人!)、第一詩集『二十億光年の孤独』(集英社/2008年)においてこう語っていました。

一輪の本当のバラは沈黙している。だが、その沈黙は、バラについての、リルケのいかなる美しい詩句にもまして、私を慰める。言葉とは本来そのような貧しさに住むものではないのか

谷川はいまも、“本当のバラの沈黙”を求めて、きらびやかだが空虚な偽りにもなりかねない「言葉」というものを操りつづけているのでしょう。そんな現代詩壇の第一人者の詩は、詩人になりたい、本を書きたいあなたを導く優しさと包容力に満ちています。

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