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時代を詩化した戦後詩壇の旗手

2019年11月15日 【詩を書く】

“同人のなかの同人”のカリスマ性

作家になりたいと切磋琢磨する者ならば、「同人」という言葉を聞いたことがあるでしょう。あるいは、過去に、いやいま現在も、主宰されたり所属されている方もいるかもしれませんね。同人――、同じ思想と志をもつ(あるいは最近なら趣味を同じくする)者たちが集まり、会合やイベントを開催したり同人誌を刊行したりする団体のことです。文学の世界でもさまざまな同人があり、かつては世に出るためのひとつの有益な場でもありました。時代の変遷とともに終刊や復刊を繰り返しながら、現在も名を残す有名な同人誌もあります。アララギ派と呼ばれた歌人たちの「アララギ」や、武者小路実篤や志賀直哉の「白樺」、夏目漱石が参加した「ホトトギス」といった同人誌名を耳にしたことのある人は少なくないでしょう。

詩の世界でも然り、有名無名の同人がひしめいているのは、いまもむかしも同じです。たとえば「荒地」は、1947年9月から翌年6月にかけて刊行された同人誌で、一年にも満たない短い期間の活動ながら、その名は伝説的、戦後の現代詩界を牽引するまさに“台風の目”的な存在でした。鮎川信夫、北村太郎、加島祥造、吉本隆明ら錚々たる気鋭の詩人たちが集い、さらにそのなかで求心力となっていたのが田村隆一でした。

詩を書くために重要な“時代に対する姿勢”

田村隆一という詩人がどういう詩を書いたか、彼から何を学ぶべきか――。田村をひと言で言い表せば、戦後という時代を体現した詩人であった、ということです。時代の申し子といっては軽々しく聞こえるかもしれませんが、もとよりそうした存在はなろうとしてなれるものではないでしょう。また、戦後の気風を濃密にまとった詩が、必ずしもいまの時代にマッチするとは限りません。だからそう、詩人田村隆一を通して知るべき最も重要な一事は、時代の申し子のなり方でも戦後詩の書き方でもなく、彼が彼の生きた時代をどのように感じどのように表現したかという、詩人としての姿勢なのです。

「荒地」という詩誌のタイトルは、第一次大戦後の荒廃のなかでの生と死を詠うT・S・エリオットの『荒地』をオマージュしたものです。そして田村は、第二次大戦後の日本における精神と環境双方の「荒地」を背負って詩作に臨んだのでした。代表作は終戦から10年間の詩作を収めた『四千の日と夜』。戦後詩を代表する詩集とも評される一冊です。

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した
(中略)
一篇の詩を生むためには、
我々はいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない

(『四千の日と夜』/『田村隆一詩集』所収/思潮社/1968年)

鮎川信夫の詩集に寄せた『地図のない旅』というエッセイで、田村隆一は、ふたつの大戦を経験した現代文明が最も破壊したものは何かと問い、それは言葉と想像力だとみずから答えています。近代戦争を体験した田村は、社会のシステムが加速的に人の手を離れていくことを予見していました。そこからおのずと、言葉と想像力の衰退も危惧されたのではないでしょうか。

詩人の真の第一歩は自分の「原型」となる詩を見つけること

出来合いのフレーズや流行り言葉が氾濫し、誰もが一様に同じ情緒を抱いてシェアし合う――SNSの登場は、まさしくこうした連鎖の爆発的な拡大を招きました。多くの人間が手帖に手記を残すがごとくSNSメディアに独白を綴る現代は、テキスト量ということでいえば過去ないほどの分量の言葉を世界に溢れてさせています。にもかかわらず、言葉と想像力が成熟に向かっている社会であるとは到底いえそうもありません。そのことを念頭に、『四千の日と夜』をもう一度見てみましょう。もちろん暗喩ではありますが、詩人が詩を書くためには、「いとしいものを殺」してでも「死者を甦らせる」――そうしてはじめて「失われた言葉を取り戻す」――のだと、悲壮な覚悟を詠っています。いとも激しい詩作の姿勢ですが、元来詩人とは、そういう宿命を背負う存在であるのかもしれません。田村の次の言葉は、詩人の在るべき姿を教えています。

ひとりの詩人にとって、もっとも重要なことは、彼自身の原型となり得る詩を、いかなる時と場所において見出すかということではないかと思います。なぜなら、この原型となる詩は、彼に課せられた『地図のない旅』の全体であり、時と、死、そして愛の諸観念がすべて、ひとつのものとなってそこにふくまれているからです。

(『地図のない旅―鮎川信夫詩集について』/同上)

中途から「荒地」に参加した吉本隆明が、日本の詩人でプロフェッショナルと呼べるのは3人だけと名前を挙げたひとり田村隆一は(あとふたりは谷川俊太郎と吉増剛造)、詩人がどのように自己と対話すべきであるかを体現し、死と喩えるほどに壮絶な意識をもって詩語を探しつづけました。詩人になりたいと真に思う者にとって、彼の詩人としての生き方は、重く、かけがえのない「教え」を授けてくれるはず。田村隆一は言いました。詩人として見つけるべきもの、それは自身の原型となり得る詩なのだと――。

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※古書のみの取り扱い

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